武者震いの第6番

 
 某大学のOBオケで3番を演奏したその2年後(2012年10月)に今度は6番を演奏しました。『悲劇的』というタイトルは作曲者自身がつけたのではないという説もありますが、そのタイトルからリヒャルト・シュトラウスの交響詩『英雄の生涯』と相通じるものがあり、自らを悲劇の主人公に見立ててカタルシスを導く自己陶酔的な展開と響きが感じられます。マーラーは若い頃から失恋を繰り返し、作曲コンクールでは落選し、敬愛するブルックナーの交響曲の初演に立会ってほとんどの聴衆が途中退席したのに最後まで席に残ったわずか数名に名を連ね、生活のためにやむを得ず指揮者となってもその完全主義ゆえオーケストラの団員から嫌われ、多忙な指揮活動の合間に苦労して作曲した交響曲は世に受け入れられず、批評家からも叩かれまくります。人類の苦悩のすべてを背負い込んでいるかのような人生を送っていたマーラーですからその多くの作品は「悲劇」とか「苦悩」とかと無縁のものは少ないわけで、この作品に限って『悲劇的』と言うのも変な話しではないか、と密かに思っていました。「運命の打撃」に打ちのめされる英雄の物語、実際にステージで打ち下ろされるハンマー、マーラー夫人である「アルマのテーマ」と言われる第1楽章の第2主題(アルマのでっち上げ説もある)、アンダンテ楽章とスケルツォ楽章の順番の謎、牛の首にぶら下がっているベルをイメージしたカウベルがガランガラン打ち鳴らされること等など、話題に事欠かない曲でもあります。

 しかし私はこの曲が完成された時期のウィーンにおける芸術というものがマーラーに及ぼした影響についても考慮すべきではないかと考えています。マーラーがこの曲に着手したのは1903年の夏。その前年の1902年、ウィーン分離派の「ベートーヴェン」をテーマにした展覧会の開会式にマーラーは指揮者として招かれ、そこでウィーン分離派の画家アルフレート・ロラーと知り合いになります。マーラーは翌1903年2月に宮廷歌劇場において上演された楽劇『トリスタンとイゾルデ』(ワーグナー没後20周年記念)でロラーを舞台装置家兼演出家として起用し、その後も自身が上演するオペラの舞台美術を依頼するほど重用しています。また、ベートーヴェンの第9交響曲の第4楽章を自らアレンジして展示会内で演奏した1902年ウィーン分離派の展覧会こそ、かのグスタフ・クリムトが大作『ベートーヴェン・フリーズ』を発表して大不評を蒙った場所でありました。58,000人という多くの来場者を数え、展覧会としては大成功を収めたにもかかわらず、クリムトの作品は評価されませんでした。女性による男性の救済というテーマやグロテスクな性表現などは当時の理解やモラルを超えていて、しかもタイトルに持ち上げられたベートーヴェンを侮辱するものと多くの人々から非難されました。

         クリムト ベートーヴェン・フリーズ    クリムト ベートーヴェン・フリーズ

 果たしてマーラーはどう思ったのでしょう。この点について私はまだ調べが足らないのですが、その『ベートーヴェン・フリーズ』の中でベートーヴェンとされる「金色の甲冑を身に着けた男」は実のところマーラーの顔に似せて描かれたものと言われていることからすると、本人まんざらではなかったのかもしれません。なお、マーラーは1900年にアルマ・シンドラーと知り合い、そのアルマの紹介でクリムトとマーラーは知り合ったことになっています。マーラーは1902年3月にアルマと結婚しますが、アルマの華やかだった過去の交情関係の数ページにクリムトの名前が記されていても不思議ではありません。交響曲第6番の初演は1906年でした。

 この曲の構想・作曲された時期とマーラーが参加したウィーン分離派の展覧会の開催時期が重なることは軽視できないと考えられます。ベートーヴェンの作品をわざわざ編曲すら行なうなど、普段以上にベートーヴェンに深く関わっていたのですから、同時期に作曲していた作品になんらかの痕跡が残っていると考えられます。4楽章構成からなる純器楽的な交響曲第6番は、これまでの交響曲に明確に表れていた歌曲との関連性を断ち切り、両端の楽章をソナタ形式として全曲に一貫するテーマをもつ古典的スタイルを保ち、とりわけ緊密な構成のうちにきわめて劇的な表現が盛り込まれている点ではベートーヴェンを意識した、或いはベートーヴェンへの挑戦とも言えるかもしれません。交響曲第5番におけるベートーヴェンの「運命」の動機の単なる引用から一歩踏み込んでベートーヴェンが確立した音楽の展開、「苦悩を通して歓喜に至る」、「暗→明」という図式を逆にした、音量の減衰を伴う長和音→短和音のハーモニーの変転を動機とするといった高次元でベートーヴェンと対峙を目指したのかもしれません。生への挑戦或いは自分自身への戦いに挑もうとする作曲者の姿こそまさしくベートーヴェンであり、マーラーはそれを理想像として追い求めることで確固たる自信に溢れた作品を実現させたと言えます。

 社会人になって最初の給料日の帰りに行ったのが渋谷にオープンしたばかりのタワーレコード(日本上陸2号店)、買ったのはこの6番(レヴァイン指揮ロンドン・フィル)とジャズ・ヴァイオリンのステファン・グラッペリのLPでした。人から貰ったお年玉とかで購入したのではない、自分で稼いだお金で初めて買ったLPのひとつがこの6番だったのです。レコードの針をおろすたびに冒頭からの激しい音楽に備えてドキドキしたものです。それからおよそ30年後、譜面を前にしてこの曲を演奏する時はいつも武者震いを禁じえませんでした。それともうひとつ、マーラー研究家から怒られるかもしれませんが、これが何故『悲劇的』?という疑問・・・。
                   レヴァイン指揮ロンドン響 マーラー6番

 その後、仕事でアメリカ出張に行った帰りにニューヨークに寄った際、真っ先に楽譜屋に駆け込み、この曲のパート譜がバラ売りされているのを発見して狂喜して買い求めたのを憶えています(この時は3番と9番も購入)。間違いの多いKALMUSの譜面でしたが、インターネットがまだ普及していなかった時代、無料で様々な譜面がダウンロードできる昨今とは違い、著作権の切れていないオーケストラパート譜を目にすることなんてプロの演奏家でない限りありえなかったのでした。


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