明治骨董奇譚 ゆめじい

 まだ若く、貴公子然とした容貌体躯ながらも、深い目利きで骨董の真偽も含めて判断しては、それらが絡んだ難事件を、あっさり解決してみせたりする話は多々。まだ妙齢の女性がやたらと古書に詳しく、店主をする古書店に持ち込まれた本にまつわる謎を、これまたすっきり解き明かしてみせる話も大人気だ。

 生まれ育った環境と、日々の勤勉がもたらした博識ぶりや聡明さが、年齢を問わず人を活躍の場へと立たせて拙いことはない。とはいえ現実、書画骨董の世界はやはり経験が大きく物をいう。

 20歳そこそこの若い娘より、その何倍もの年輪を重ねた老人の方が、古書なり骨董の類に関する真偽の見極めでも、それらに関わる人たちの心情を汲んでの難事件の解決でも、適格にして鮮やかにやってのけるのではないか。と、そんなことをやまあき道屯の「明治骨董奇譚 ゆめじい」(小学館)が、見た目の若さに傾きがちな現代に問いかける。

 時は明治も終わりごろ。京都でも随一の目利きといわれる古道具屋の店主の老人は、孫の娘を側において、店番のようなことをさせながらも、彼女が未熟さと虚栄心から偽物をつかまされたりしても、それを横目でさらりと流して孫娘に経験を積ませつつ、一方で古物の裏にうごめく企みめいたものの尻尾をギュッとつかみ、たぐり寄せてはしっかりと自分の儲けに結びつける。

 高貴な身分の女性が出家して入る、尼門跡という寺院から出た骨董を引き取りに行った折には、菊の御紋が入った皿を見つけた孫娘が、きっと皇室の由緒を持ったものだと、なけなしの1円をはたいて引き取る様を見ながらも、店主の老人はその場ではたださず、後で真っ赤な偽者と断じて過ちを諭す。

 一方で、同じ尼門跡寺院で引き取った、江戸時代の雛人形については、ショーウインドーに置いて往来に見せながらも、元勲が欲しがっているといった虚報を流しては、ガラス玉を持ち込んできた胡散くさげな客に、逆に人形を返金不可の条件で掴ませそして、人形にかかっているらしい呪いめいたものに、その客を巻きこんで困らせる。

 恐ろしくなった客はすぐさま返品にやって来たものの、先の条件を持ち出し、知ったことかと言い張る客が、前に企んだ御紋入りの皿のすり替えを糾弾して黙らせ、返金しないで人形代をそのまま儲ける。何という知略。とはいえ雛人形は、何度も見に来ていた小僧に2厘とあとは働き払いで渡してしまう。不思議な行動。

 小僧にとってその雛人形は、死んだ母親にそっくりで、母親の顔を知らない幼い妹に見せて寂しさを埋め合わせてあげたかった。その意図までは知らずとも、思いを汲んだ店主の配慮で人形をもらった兄と妹は、人形の呪いならぬ思いに包まれ良い夢を見る。商売には厳しく、それでいて情は汲む店主の振るまい。これが歳の功というものなのだろう。

 連続する辻斬りのような事件に、土佐と関わる刀が絡んでいると気づいて犯人をあぶり出し、刀を回収してそれに憑いていた想いを鎮めたときも、もともと持っていた刀売りの男に、実は価値があるものだと知らせて刀を引き取らせて儲けてから、いわれを話して震え上がらせ、刀の想いがかなう場所へと奉納させたりする。秘蔵の石が消えたと訴え出た、目利きを自称する大店の若旦那には、かげでおこなっていた悪行を白状させつつ、訴えは出ないで大店との繋がりとして尻尾を掴んだままにする。

 いたずらな正義感や、純真さゆえの潔癖ぶりでは誰かが幸せになっても、誰かが不幸にまみれかねない。ほどほどのところで万事まるく治めてみせるこの腕前は、若い貴公子や美女より老人の方が似つかわしいし、確からしい。読んで気持もスッとなる。

 孫娘がかつて学校でいっしょだった少女が、英国人の宝石商を夫に持つ貴婦人という風体で帰ってきて、孫娘に取り入ろうとする話でも、学校で孫娘が少女を守ろうとしたことへの恩返しという行為の裏側にある、女性の本心を暴き立ててつつ、命を奪うところまで追い込むことはしないで、自ら処遇を判断させる。確かに厳しいけれども、しっかり温情も見せる振るまいから、孫娘は落胆しながらも現実の厳しさを学ぶ。老人は教育者でもあった。

 とはいえ、相場で儲けた男の後妻に収まった若い女の企みを、暴いて追い込みはしたものの敵も去る者、最後に証拠不十分で娑婆へと戻ったときに、ちろりと見せたその舌が、自分を追い込んだ骨董屋の老人爺さんを狙う企みへと向かうのか。孫娘を騙そうとした女性の、嫉妬や羨望が絡んだ悪意とは比べものにならない、心底からの悪意を相手に老人はどんな叡智を見せるのか。そうしたエピソードが語られているのなら、続く巻も読んでみたくなる。

 誰をも幸せに導ける訳ではないようで、長く世話してきた盲目の令嬢が、自分を置いて嫁いでしまうと思いこんだ老乳母が、懊悩から百目という妖怪になってしまったエピソードでは、どうして老乳母は報われなかったのかという残念さが残る。すでに先走っていた老乳母を、さすがに老人も救えなかったようだけれど、最後に心を取り戻させたことだけは天晴れ。虚心坦懐にして他人を恨まず、自分を律して生きるのだと諭される。

 「エロヒム」や「x細胞は深く息をする」といった、美しい少女の登場する過去の作品と比べ、女性の登場する割合が少なく絵からは華やかさが下がってはいるけれど、細かい描き込みによって明治末の京都の街や人を表現していて、生きている活力を感じさせる。それでいて、雛人形についた呪いの美女や、相場師の夫を騙した美少女は前にも増して華麗で可憐。そうした絵の確かさと、物語の奥深さが両輪となって紡がれた明治の奇譚集。お楽しみあれ。


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