妖魔の騎士

 人工受精で生まれた子どもが、まだ見ぬ父親を求めて旅に出る物語が現代に成立するとしたら、結末は果たしてハッピー・エンドだろうか。それともアンハッピー・エンドだろうか。

 男性側は名前も身柄も一切公開しないという条件で、精子バンクに精子を提供しているだろうし、それを使って受精・出産する女性の方も、父親を探すようなことをしないという条件で、精子の提供を受けているに違いない。しかし、成長して権力や調査力を持った子どもが、その権力や調査力を駆使して、真実を探り当てないとも限らない。もしも母親が、自分の希望と憶測で父親像を語っていたとしたら、そして真実の父親像と激しい開きがあったとしたら、子どもは平静でいられるだろうか。

 フィリス・アイゼンシュタインの「妖魔の騎士」(井辻朱美訳、ハヤカワ文庫FT、上・下各520円)が米国で刊行された1979年当時、こうした人工受精の抱える様々な問題が、どれほど社会的にクローズアップされていたのかはは解らないが、「試験管ベイビー」の発想が古くからあったことを考えれば、もたらされる福音とともに、起こりうる様々な問題についても、議論がなされていたと考えるのが普通だろう。

 ファンタジーである「妖魔の騎士」には、もちろん「人工受精」とか「試験管ベイビー」といったモダンな用語や設定は登場しないが、描かれている物語には、こうした問題への1つの解を明示あるいは暗示しているような気がする。
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 妖魔支配者(デーモンマスター)の魔法使い、スマダ・レジークは、織物や地の生き物たちを支配する女魔法使いのデリヴェヴ・オルモルに振られたことを根に持ち、彼女の攻撃を恐れて一計を案じる。それは、自分の僕(しもべ)である妖魔、ギルドラムを使って彼女を妊娠させ、彼女の魔法の力を一時的に奪ってしまおうというものだった。

 普段はレジークによって与えられた14歳の少女の姿でいるギルドラムだったが、レジークは奸計のために新しく若く美しい騎士の姿を作ってギルドラムに与え、デリヴェヴの住む城へと向かわせた。命令に背けない僕のギルドラムは、メロールと名を変え騎士の身分を偽ってデリヴェヴに取り入り、彼女を妊娠させることに成功する。しかし妖魔の身で人間を妊娠させることは不可能だっと知っていたので、あらかじめ自分のマスター、レジークの子種をその身に仕込んでいた。

 美しいメロールを愛してしまったデリヴェヴは、レジークの予想を超えて子どもを出産し、父親の姿を織ったタペストリーを見せながら育てることにしてしまった。やがて成長したその子、クレイは、母親が今も愛してやまない父親の姿を求めて、長い旅へと出かける。

 もちろんギルドラムが化けた騎士である以上、真実の父親など見つかるはずがない。様々な困難に出会い、惑う若者クレイを、なぜか妖魔のギルドラムが複雑な心境で見守っている。そう、ギルドラムは母親の魔法使い、デリヴェヴがメロールを愛してしまったのと同じくらいにデリヴェヴを愛してしまい、自分の子種でないにもかかわらず、デリヴェヴが生んだクレイに父親的な感情を持ってしまったのだ。

 やがて現世での道が閉ざされたことを悟ったクレイは、真実の道を知る唯一の方法として、あれほど嫌がっていた魔法使いへの道を進むことを決心する。そして唯一の方法とは妖魔支配者となって人間界で起こったすべての事柄に精通した妖魔を僕(しもべ)とすることだった。しかし、クレイとデリヴェヴがもしも真実にたどり着いたら、奸計の主であるレジークを決して許すはずがない。かといって今クレイを葬りされば、デリヴェヴがレジークを許すはずがない。一計を案じたレジークは、クレイを自分の弟子として受け入れ、クレイを飼い殺しにして真実の道から遠ざけようとした。

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 自分がクレイの父親であると知っているはずのレジークが、クレイに一切の愛情も示さず、ただ憎悪ばかりを抱く様とは対照的に、デリヴェヴを今も愛し続けるギルドラムが、僕(しもべ)としてレジークの命令に逆らうことのできない身分でありながら、その網を縫ってことあるごとにクレイを助け、やがて妖魔支配者となったクレイに自分を自由にしてもらい、真実を告げるとともにデリヴェヴと結ばれたいと願ってやまない心理的な葛藤には、なかなか切ないものがある。

 息子のクレイがこれまた鈍感な青年で、僕(しもべ)の身分のギルドラムが、命令によって言葉にできない思いを察してもらおうと、何度も何度も真実へのヒントを指し示すのに、なかなか解ろうとしない。普段の姿が14歳の美少女だけに、たとえ真の姿が光輝く炎という妖魔でも、届かぬ思いにはらはらと涙するギルドラムの方に、妙に惹かれてしまう。

 日本での刊行は1983年。どうして今さらこんな古い本を、という問いに答えるならば、実は近く1996年10月31日に、待望の続編「氷の城の乙女」が同じハヤカワ文庫FTから、同じ井辻朱美訳で刊行されることになっているのである。

 「心を持たぬ娘と出会った妖魔の息子クレイの愛と闘い」と銘打たれたこの作品で、「妖魔の騎士」のエンディングを経たクレイがどんな活躍を見せてくれているのか。妖魔ギルドラムと魔法使いデリヴェヴのその後はどうなっているのか。楽しみは尽きないが、新しい扉を開く前に、まずは最初の扉を開き、奇妙なシチュエーションの、けれども一途な愛のドラマを楽しんでみるのも悪くない。


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