よつばと!15

 とある1年の365日の1日を切り取って、日を追うようにして描いていっているのかと思ったこともあった、あずまきよひこによる漫画「よつばと!」のシリーズだけれど、最新の「よつばと! 15」(電撃コミックス、700円)を読んだら、よつばとばーちゃんとの会話がスマートフォンになっていて、とーちゃんが使うPCもiMacになっていた。

 「よつばと!」の連載が始まったのは2003年の3月で、その頃はスマートフォンなんてなかったし、PCでもまだまだCRTが主流でようやく液晶モニターが普及し始めたといったところだった。渋谷で「よつばと10年1日展」が開かれた2011年頃でさえ、スマートフォンは一部の好事家たちのアイテムだった。

 となると、「よつばと!」はいったいいつの時点を描いているんか。想像するならそれは、漫画が描かれた時点の風景を切り取っているのではないだろうか。その上でだんだんと進む季節に合わせて描き進めているのではないだろうか。漫画の中で季節は春から夏を経て秋に至り、冬が近づいてこたつを出して冬に備えよとしていたから。

 同じ漫画の1年も経っていない物語の中で、テクノロジーだけは17年分がしっかり経っていることに、違和感を覚えるかというとあまりない。それは、まさに今、漫画を読んでいるこの時代であり時間をエピソードに映して見ているからだ。

 誰もがLINEのようなメッセンジャーを使って会話し、スマホでゲームをして遊んでいるこの時代の1日を切り取って、その中によつばやとーちゃんや風花やジャンボやほかいろいろな人たちの暮らしを置いているだけのことなのだ。だからもし、これから10年が経って、物語の中で数ヶ月進んだ時間が舞台となった時、よつばやとーちゃんが床暖房で暖まり、フードプリンタで料理を作って食べていたとしても、それを不思議と思うことはないだろう。

 例えるなら、スライドする時間とモーフィングする背景の中で、登場人物たちだけが自分自身を生きている。それが「よつばと!」という漫画なのだ。読む人はだから、常に今と接することができる。よって「よつばと!」を読んでも、人はノスタルジーの中に埋もれて感慨をもよおすようなことにはならない。

 だからダイレクトな感動を味わえるのだ。毎日を全力で生きているよつばの姿を目の当たりにして、心からの喜びと、慈しみと、愛おしさを感じるのだ。そんなよつばを見守るとーちゃんや、風香に恵那にあさぎの三姉妹や、ジャンボややんだやしまうーやみうらちゃんといった登場人物たちの優しさに心を落ち着かされるのだ。

 そうした効果を意識して、物語の中の時代を固定化させなかったのだとしたら、あずまきよひこはさすがなもの。もしかしたら電子書籍では出さず、アニメにもドラマにもしないのは、そうやって個別の時間にエピソードが固定化されてしまって、多層化構造になっている背景がその瞬間に合わせて選び取られ、モーフィングすることを拒絶してしまうからなのかもしれない。

 とはいえ、ここに来て一気に物語を進めていこうといった意図もあるのかと考えた。第14巻から3年ぶりの刊行で、とーちゃんはiMacが板につき、スマートフォンはテレビ電話的な使い方がされるようになり、miniのオープンカーはよつばや恵那やみうらちゃんを乗せて海へと行った。それぞれがテクノロジーの変化、環境の変化が以前よりも濃く感じられて、時代を意識しているようにも思えた。

 そして、よつばにランドセルが与えられた。そこに見えるの小学校進学という大イベントが、永遠の子供という状況からの逸脱を示すように見えた。変わらずにたゆたう時の流れに浸らせ続けた物語も、いよいよクライマックスが近づいていると意識させるべく、時代性を敢えて織り込み、一気にケリを付けようとしたのか、違うのか。それは、これからの掲載ペースにかかってくる。また3年後、あるいは5年後となっていくなら安心、感動の物語にまだまだ付き合えるということだから。

 どうだろう。


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