やさしい魔女の救い方

 悪魔の証明。それは、なかったことをなかったことだと証明することで、悪魔にだって難しいからそう呼ばれる。井上悠宇の「やさしい魔女の救い方」(LINE文庫、630円)もそんな、悪魔の証明に匹敵する難題が登場する。魔女はカンニングをしなかった、という証明だ。

 魔女が登場するなら西洋か中世の話かというと違うし、架空世界が舞台のファンタジーでもない。現代の日本。ただし、魔女の存在は広く世間に受け入れられているという設定。何か不思議なことをしでかす魔女の少女が高校に通っていて、テストで全教科満点を取ってしまったため、カンニングをしたのではないかと疑われ、魔女裁判にかけると追求された。

 その魔女、真條ティナは決してカンニングなどしていないと言い張る。それを証明できないため、当時は検察官だった父親が持っていた六法全書に興味を持ち、読み込むようになって今も六法全書を抱えて歩くことからベンゴシと呼ばれる四方司という男子に相談する。

 法律の専門家だけあって、魔女が魔法で何かを行っても、現代の法律では裁けないと理解する。だから、魔女裁判があるのだと気がつく。魔女裁判にかけられた魔女は100パーセント有罪になり、魔法を使えなくされてしまう。自分はカンニングなどしていない。そう自覚しているティナはヨモカタに弁護を依頼する。

 引き受けたヨモカタだが、問題はカンニングをしてないと証明する難しさ。ティナが魔法を使えるのなら、何か方法があったはずだと疑われ続ける。悪魔の証明に等しい難題に、ヨモカタは魔法が使える余地を徹底的に排除し、そこで得られた結果からティナは魔法を使ってカンニングなどしてないことを立証しようとする。

 ファンタスティックな現象があり得る世界であっても、ロジカルに問題を解決しようする部分に、ミステリならではの推理と探求の面白さがある。

 もっとも、これで問題は解決とはならなかった。次ぎにかかった容疑がティナにとって絶体絶命的なものだった。野球部の新進一年生投手、朝比奈昇が三年生でエースの鳥塚清司に殴りかかったのをティナが魔法で止めようとしたら、一年生の腕が折れてしまった。昇は殴りかかったことも、腕が折れていることも認めている。ティナに言い逃れの余地はなさそうだった。

 そこでまたヨモカタが頑張る。現実に起こっている事象はいった何が原因だったのか。そして本当は何が起こっているのか。それらを諸処の材料から類推し、証拠として有用にしつつ魔女裁判に臨む。魔女達が見守る法廷で繰り広げられる、告発した者とされた者との丁々発止のやりとりは、まさしく法廷ミステリの醍醐味。なおかつ、その先で繰り出される問答めいたものがとても心に響く。

 一度かけられたら絶対に有罪にしなくてはいけないのが魔女裁判の暗黙のルール。そうでなければ魔女裁判の“正当性”が疑われ、魔女への不安が渦巻くようになってしまうからだ。ある意味で自己防衛に近いそうした状況に対し、ヨモカタは高らかに訴える。日々、優しさをふりまいていたティナの姿を紹介し、魔女とは何のために存在しているのかと集まった魔女たちに問いかけ、魔法は何のためにあるのかと問う。

 過去、自分がしたことでひとりの魔女が魔女としての運命を断たれたことをヨモカタは思い出す。その経緯から、魔法が存在することで魔女に疑いがかかるなら、魔法なんてなくたってしまった方が良いという主張が生み出されたことを知る。やはり魔法なんて必要ないのか。違う、断じて違うとヨモカタは気付き、ティナのやさしさを守り育むために懸命になる。読めば誰もがヨモカタの言葉に感銘を受けるだろう。

 魔女裁判の果てに繰り広げられたある光景に、もしかしたらヨモカタは誰かの掌の上で躍らされていたのかもと思えたりもする。敵はなかなかにしたたかだ。というか、彼女は敵なのか、それとも味方なのか。そんな謎も含みつつ、魔女であり続けることが許された真條ティナがぶち当たる難題を、ヨモカタが法律の知識と推理力と弁舌で突破していく話を読んでいきたい。

 それにはシリーズ化が必須だが、果たして緑の文庫は続くのか? そこが最大の難題だ。


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