wizard’s brain
ウィザーズ・ブレイン

 命の価値を別の何かと比べて考えることは果たして可能なのだろうか。なるほど戦争の時のような、自分の命をかけて家族を守り国を守るといった行動は有史以来ずっとあって、大勢の命は1人の命よりも価値が高いような印象を醸し出している。あるいは老いた人が、自分の残り少ない命で若い命が助かるならと身を投げ出すことも少なからずある。老人の命よりも若者の命の方が価値がある、といった認識なのだろう。これもまた世間一般に根強い。

 ほかにもある。家族の命と他人の命。恋人の命と恋敵の命。同国人の命と異国人の命。どちらがより重いと聞かれた時に帰ってくる意見の多くはおそらく、家族であり恋人であり同朋の命をより重いといったものになるだろう。ならば問いたい。恋人の命と同国人1万人の命とではどちらが重いのか。家族の命と異国人1億人の命とではどちらが高い価値を持つのか。数という要素以外のさまざまな感情や関係性が答えを出そうとする気持をさえぎる。だからと言って1000万人より重い1人の命だってあるのかもしれない、と考えるのもやはり難しい。

 命の価値は量れない。比べられない。その場にあって、それぞれの人が、それぞれの思いによって判断するより仕方がにない。たとえ10年後、あるいは100年後に非道である、残虐であると言われて激しく非難されることになるのだとしても。そんなことを、「ウィザーズ・ブレイン」(三枝零一、メディアワークス、610円)に描かれる1人と大勢の命の価値を問いかけてくる物語を読み、目の前の幸福に喜ぶ登場人物たちの姿を目の当たりにしながら考える。

 人類が科学の力によって天候さえも制するようになり、一気に繁栄への道を進もうとした矢先に起こった何かしらの妨害工作が、世界を一転して地獄の縁へと追いやってしまった。光を遮られて零下40度の大気が覆った地球の上で、一部の人類が7つだけ残った巨大なドーム都市「シティ」に住んで文明的な生活を営み、残る人類は「シティ」や打ち捨てられた発電プラント、食料プラントの周囲に集まってかろうじて生き延びていた。

 10数年前の大異変に前後して、人類は1つの力を手に入れていた。超高速に演算を行うコンピュータが作り出す「情報」の世界が現実と大差ないものだとしたら、現実の世界も「情報の」集合と見なせるのではないか。そんな理論を突き詰めた結果、「I−ブレイン」と呼ばれる超高速での演算を可能とする生体コンピュータを脳内に持った人間は、あらゆるものに付属する「存在している」という「情報」を操作して、物理法則すら自在に操ることが出来るようになっていた。

 近接空間内の全物質の座標、運動量を初期値に3秒先までのニュートン力学的未来を予測する力「ラプラス」。気体分子の運動を制御し、超低温から超高温まで温度を自在に操る力「マクスウェル」。常態ではおよそ不可能だった物理法則の操作を、あたかも魔法でも使っているかのように、脳内の「I−ブレイン」を動作させることで可能にした人々は、「魔法士」と呼ばれて敬われ恐れられていた。

 物語の方は、神戸に残った「シティ」を護る仕事についていた「魔法士」の黒沢祐一と、神戸のシティに運ばれる途中だった培養槽に入った謎の少女「フィア」を助けた、普段は「シティ」の外に住んで外部からの依頼に便利屋のように応えている「魔法士」の少年、天樹錬との戦いを主軸に展開されていく。どう見ても人間の少女と変わりがない「フィア」はいったい何者なのか。「フィア」は何のために神戸に運ばれようとしていたのか。「フィア」を錬たちに奪わせた依頼の主は誰だったのか。すべての謎が明らかになった時に浮かび上がるのが、冒頭に掲げた命の価値を問うシビアでシリアスな命題だ。

 大勢の命を救うために1人が犠牲になることは正しいのか。せいぜいが10年、命脈を伸ばしただけに過ぎない対策など無意味なのか。それでも人類は生き延びる道を選ぶべきなのか。同じ人類を含むさまざまな生命を犠牲にしながら行き続けて来た人類が、過去・現在・未来のどの時間でも問われ大勢の頭を悩ませ、けれども決して正解の得られなかった命題への、著者なりの1つの解が示される。

 もちろんそれは正解ではないし、読み易さが大前提のヤングアダルトというパッケージにおいて哲学的な思索は似合わないのか、正解に読者を導こうとする論理的な説得もない。魔法を物理的に実体化させようとした力業を突き詰めれば、ハードSFとしての雰囲気も浮かび上がっただろうが、これについてもパッケージを重視した関係からか可能性の可否についての議論はない。どちらかと言えば登場するキャラクターたちが演じる恋愛であったり反目であったり、魔法を駆使したバトルの話が中心に据えられている。

 それでも世界を滅亡の縁に追いやろうとした存在への言及や、残されたシティごとのエピソード、滅亡の縁にある地球がかつてよのうな光に恵まれた星へと回復していく可能性など、前後左右に展開できそうな設定を持っている点は、あるいは命の価値について深く考察するようなシリアスな物語、あるいは科学で魔法を作り出すプロセスの妙を楽しむ思弁的な物語が繰り出される期待を持つことも可能にしている。作者にもいろいろと腹案があるようで、ここは是非とも続きを書いてもらいたい。

 電撃ゲーム小説大賞では銀賞受賞と金賞ではなかった物語が、改稿とアドバイスによって深みと重さを増した事実が、作者の持つ潜在能力を示している。今後のさらなる精進を大いに期待しつつ、次の物語が繰り出される日を期して待とう。


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