WILDSIDE
ワイルドサイド−ぼくらの新世界−


 携帯持ってベル持って、プリクラやって援助交際してって、そんな高校生とかが現れて来ている昨今、セックスとか暴力とかが一切絡まないジュブナイルSFを書いたって、きっとリアルじゃないだろう。もちろんだからといって、荒んだ暮らしや夢のない未来を見せて、絶望の淵に追いやって良いってことはない。先の見えない今だからこそ、ジュブナイルSFで夢ある未来を見せてあげることが大切。その見せ方にちょっぴり今という時代のスパイスをかけてやれば、今という時代に陳腐じゃない、リアルなジュブナイルSFが生まれるはずだ。

 たとえばアルコール中毒の高校生を登場させるとか。未成年が煙草を吸う姿を見せてはいけないって、漫画雑誌の自主規制にはそんな項目があるとかないとか聞いたことがあるけれど、現実において高校生の打ち上げコンパでは、ビールはじゃんじゃんと飲み放題だし、煙草だってスパスパと吹い放題。健全にジュースとコーラだけって方が、よほどリアルじゃなくって気持ち悪い。これだけ街の自販機でお酒が買い放題の時代なんだから、アル中の高校生がいたって全然不思議じゃない。

 それからゲイの高校生。「やおい」なんて言葉が散々っぱら使われて、男の子どうしが愛を育む小説に漫画が本屋にあふれている時代なんだもの。登場人物の全員が美しい男の子たちで、それぞれがあれやこれやと愛し合っているんだったら、ちょっぴり腰がヘトヘトになるけれど、ごくごく普通の街に住む、ごくごく普通の友だちグループの中に1人、ゲイの男の子が含まれているくらい、別に特別のことでもなんでもない。

 金儲けに熱心な高校生がいたって良いし、戦争から逃げてきた両親の元で育った高校生がいたって全然平気。大人の世界だけじゃない、子供の世界にだって影響を与えている政治的社会的文化的経済的なあらゆる変化を掬い取ってこそのリアリティーなんだと、そしてそのリアリティーがあってこそ強い説得力を持ったジュブナイルSFになるんだと、スティーヴン・グールドの「ワイルドサイド −ぼくらの新世界−」(ハヤカワ文庫SF、冬川亘訳、上下各580円)が教えてくれる。

 高校の卒業をお祝いするパーティーの夜。叔父から農場と納屋を譲り受けた少年チャーリーは、仲の良かった友だち4人にそっと秘密を打ち明けた。チャーリーが4人を案内した納屋には、19世紀に絶滅したと見られていたリョコウバトがケージに押し込められていて、クークーと鳴いていた。冗談めかしてか勘を働かせてか、さっそく辺りを探し始めたのが友人の1人のジョーイ。ガールフレンドのマリに「何を探しているの」と聞かれて、「タイム・マシン」と答えてチャーリーを見た。

 あまりに唐突な、けれどもわくわくさせられる往年のSFのような導入部。そしてチャーリーはさらに驚きの真実を仲間に告げるべく、納屋の屋の干し藁の向こうに隠してあったトンネルを案内し、その向こうに広がる青い空と平原を見せた。そこには人家は一切なく、もちろん人なんて1人もおらず、バイソンが野生の姿で駆け回り、マストドンだかマンモスだかが現存する世界が広がっていた。

 古典なジュブナイルSFだったら、あるいはジュール・ヴェルヌとかアーサー・コナン・ドイルの空想科学小説な時代だったら、少年少女は手に手をとって冒険の旅へと繰り出すんだろうけど、そこは現代社会のリアリティーあるジュブナイルSF。チャーリーはまずリョコウバトを現代の動物園に売り払い、お金を集めて飛行機を飛ばす施設やら燃料やら車やら銃やらを買い込んで、トンネルの向こうの世界「ワイルドサイド」へと運び込んだ。

 周到なものでチャーリーたち、リョコウバトを売って得たお金から足がつかないように、幾重にもガードを施した仕組みを使ってお金を手に入れ、おまけに「ラザルス・カンパニー」なんてダミー会社を作って弁護士に会計士まで雇って、出納管理をしっかりやってどこにもバレないように配慮した。それから仲間たち全員に飛行機操縦のための訓練を施し、「ワイルドサイド」に取って返って金鉱探しに乗りだした。

 チャーリーが片思いのマリが好きなジョーイがアル中で事故を起こしてセンターに収容されるアクシデントとか、仲間のリックがやっぱり仲間のクララとつき合っていながらも実はバイセクシャルで別に好きな少年がいるって打ち明けるとか、往年のジュブナイルだったら絶対に出てこない、けれども今の社会じゃ不思議でも特別でもないエピソードに彩られつつ、5人の少年と少女たちは離れたり邂逅したりしながら結束を固めていく。

 やがて軍隊が押し寄せて、トンネルの奪取に乗りだした時も、5人は悩みながらも結束してトンネルの防衛にあたり、危機に陥ったチャーリーを助けたり、飛び込んで来て傷ついた兵士を保護して元いた場所へと送り返したりする活躍を見せる。そんな清々しさに、トンネル奪取にふさがる瞬間あらゆる物を切断してしまう特性を利用して、兵士を切断面に寝そべらせる非道な手段を使った、大人たちの醜さがいっそう際だち、息子を護るために兵士を抱えて切断面の向こうへと帰っていったチャーリーの父親の勇敢さに、ちょっぴりだけど感動する。

 それでもやっぱりリアルな現代のジュブナイルSF。事が終わりかけた時、トンネルの秘密を売り渡して金を得て静かに暮らした方がよかったと、トンネルを塞ぐために危険を犯した息子の活躍をどこか醒めた眼で見て言い放った父親に、世代の断絶を見せられる思いがして、さすがグールド一筋縄ではいかない作家との意を新たにする。いったんの尊敬が軽蔑に代わる瞬間。居心地の悪さを味わうけれど、それがやっぱり現実なんだろう。

 トンネルの興亡に終始する展開に、せっかくの広大無辺な土地を前に、なんともったいない展開をするのだろうと思う読者も少なくないに違いない。けれどもやがて明らかになったトンネルの秘密、そしてそれが作られた理由に、子供たちが大人たちから一生懸命トンネルを護ろうとしたその事が、たとえ自分たちの利権を護りたかっただけなのであっても、他に変えようのないことくらい重要なことだったのだと、気づかされて眼を見張る。

 トンネルの向こう側の「ワイルドサイド」が、金や動物たちの鉱脈である以上に、決して使われることのない最後の箱船などだということに、彼らはようやく気がついた。そして読者も気づかされた。今なにをすべきなのか。彼らが進み始めた道に、遅ればせながらも着いていかねばと、そう思ってまずは使っていない部屋の明かりを消す。


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