美しき天然 嘉仁皇太子の修学旅行

 しばらく前に世の中を騒がせた「天皇の政治利用」という言葉。天皇陛下を時の政権が利用して、自分たちに利益をもたらそうという行動を指してのものらしい。

 けれども、太平洋戦争が終わって発足した現在の憲法の下で、天皇の立場は国と国民の象徴というものになっている。それなのに、政治利用という問題が持ち上がるのは、今もって天皇が世の中に対して、決して小さくない影響力を持ち得ているからに他ならない。

 ましてや時代は明治。王政復古で強い権威を取り戻した明治維新後の天皇が、いただく権威はとてつもなく絶大で、とてつもない利用価値があっただろう。当人にも、そして利用する側にとっても。

 日本の古い武術に詳しく、歴史についても研究している田中聡による初めての伝奇小説「美しき天然 嘉仁皇太子の修学旅行」(バジリコ、1800円)には、明治の時代に全国を視察して回った皇太子、後に大正天皇と呼ばれるようになる嘉仁親王が持っていた、後続ならではの権威をめぐっておこった争奪戦が描かれている。

 日本には、それこそ国造りの神話の時代から、日本の山野をかけめぐって、造林や治水の面倒をみてきたスクナの一族がいた。ところが、明治のご一新からこちら、木が切られ、鉱山が造られ、川が汚される状況が続いて、国の自然に浅くない乱れが生じてきた。

 これに異を唱えたスクナの一族は、全国を回って歩いていた嘉仁皇太子の心に、特別な力を使って働きかけて、皇室の権威を使って日本を破壊から守ろうと謀った。命令ひとつで日本中が右にも左にもふれる。その力を使えば日本を変えられると考えた。

 突然立ち止まったり、聞こえないものを聞いているような奇妙な振る舞いが目立ったという嘉仁皇太子、後の大正天皇の行動には、そうした背景があったという説明にもなっている。

 ここで注目したい部分に、嘉仁皇太子とスクナとの会話を通して語られる、日本という国の行く末についての洞察がある。嘉仁皇太子の視察先に油田があった。その称揚は、石油文明への傾斜を深める効果があった。

 もしもここで、スクナが示唆したように日本が石油への依存を留めていれば、世界に資源を求めた果てに南方へと進軍し、悲惨な結果を招くような歴史を変えられたかもしれない。

 環境保護というエコロジー的視点もそこに込め、現在の荒れ果てた山野を見つつ豊かだった過去を振り返り、今を決断する必要性を感じさせる面も強くうかがえる。そんな小説になっている。

 ただ、スクナの誘いに迷う皇太子が、繁栄のためには開発は避けられないと自答する部分もあって、ただ環境のあめだからと決断して良いものなのか、繁栄のためには犠牲にせざるを得ないものもあるのではいか、といった迷いも浮かぶ。

 いずれにしても、誰かが決断しなければ事は動かない。その決断がどちらに転んだとしても、受け入れられるだけの正当性なりが、決断する側には求められている。さらにいうなら、今は昔にまして利権が入り組み、混迷は深まるばかり。決断への依存は高まり、決断の重みも増している。

 しかし、そうした決断をすべき立場にある者たちが、何の対応も打てていないのが今の政治状況だ。だからこそ権威にすがろうとして「政治利用」をたくらむ輩も生まれてくる。

 だとしたら、政治に利用されるのではなく、政治を利用するくらいの聡明さで、国を導いてくれるリーダーになってくれれば、という気も浮かぶが、それに果たして答えられる状況にあるのか。状態にあるのか。象徴であっても厳然としてそこに存在している限り、議論はこれからも続くだろう。


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