ウランバーナの森

 かつて「モノマガジン」誌上でコラム「モノモノしい話」を連載し、物欲者を嘲弄するひねくれたその文体が一部に絶賛を浴びて、同誌躍進の一翼を担った男がいた。名を奥田英朗という。90年には同コラムをまとめた単行本「B型陳情団」を講談社から上梓し、前途も洋々と見られたのもつかの間、あまりにひねくれたテイストが高級グッズ広告誌と化した「モノマガジン」にそぐわなかったのか、程なくしてコラムは打ち切りの憂き目となってしまった。

 単行本も売れずにやがて絶版断裁の運命をたどり、奥田英朗の消息も、以来ぱったりと聞かなくなった。あるいは「B型陳情団」所収の「ニュービジネスの研究と開発」で挙げた麻雀の点数計算代行業を始めたのか、それともコラムで嘲笑した「アルト・ワークス・フルタイム4WD」を1日中磨いている小太りの青年の恨みをかってひき逃げされたのか、もしかするとファンという中日ドラゴンズのふがいなさに憤死したのかと、そんな噂が新宿ゴールデン街を駆けめぐったこともあった。

 というのは冗談で、「モノマガジン」でもタイトルを変えてコラムを連載していたし、名前は出ないけれど本来のプランニングやら編集やらの仕事をしていただろう。しかしまさか密かに小説を書いていたとは知らなかったよお富さん。それもコシマキに「浅田次朗氏絶賛!」の文字を燦然と輝かせての登場に、奥田英朗の名前を初めて聞く読者はもちろん、コラム時代からのファンにとってもきっと衝撃だったに違いない。もっとも初耳の人だったら「本当か」という疑問がまず先に立つところを、「モノマガジン」でのあの名調子を知る者にとってみれば、いささかも誇張なんかじゃないと確信を持って本を手に取ることができただろう。それだけ面白かったんだから。「モノモノしい話」は。

 それでも「いったいどんな小説を書いたんだろう」と、興味津々恐怖半分のところはあったけど、読み始めて心配はすぐに消えた。冒頭からもう「ぐふふふふふ。ぬひゃひゃひゃひゃ。どへへへへ」の連続。面白い、いやもう本格的に面白い。例えば浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」(浅田次郎、集英社、1500円)が、電車で読めないくらいの涙を誘う悲しい小説ナンバー1だとしたら、奥田英朗の処女長編たる「ウランバーナの森」(講談社、1600円)は、電車で読めないくらいの笑いを誘うおかしいおかしい小説ベスト10に確実に入る。それでいてラストにはジンと来る爽快感を与えてくれる、奇妙な味わいの不思議な魅力を持った小説だ。別の意味でのスプラッシュ! な爽快感を与えてもくれるんだけどね。

 1979年、夏。世界的なポップスターとして活躍しながら、生来のわがままやんちゃな性格や、周囲の反対を押し切って日本人アーティストのケイコと結婚したことが原因となってバンドのメンバーとうまくいかなくなり、解散後はろくすっぽ仕事もせずにブラブラしていたジョンは、今年も軽井沢の別荘地に、妻のケイコと息子のジュニアを連れだって滞在し、主夫業に勤(いそ)しみながら怠惰な日々を送っていた。

 その日もジョンは、主夫の勤めとして近所のパン屋へと出向いてパンロールを買っていた。突然響いて来た「ジョン」をいう声。すでに他界した母親とそっくりなその声にジョンは取り乱し、親子を追って店を飛び出した。すぐに親子が、自分の母親とも自分の子供時代とも似つかぬものだったことに気づいたが、夜になって3年ぶりの強迫神経症に脅かされ、翌日から腹部に異様な違和感を覚え、痛みに苛まれるようになってしまった。

 いかにも神経質そうだったあの有名アーティストを想起させるエピソードで幕を開けた「ウランバーナの森」。しかしここからが「私のチクリチクリはしつこいぞぉ」(「B型陳情団」所収「私設応援団の寄りかかり体質」より)とコラムで宣言する奥田英朗の真骨頂、あの有名なアーティストを肴に、人間には不可欠な生理的欲求が阻害された時の塗炭の苦しみを、面白おかしく描き見せてくれる。

 その欲求とはつまり便意。精神的な不安が原因となったのか、それとも環境の変化が知らず体調に作用していたのか、ジョンは翌日から激しい便秘に襲われてしまったのだった。医者に入っては腹部の痛みに死ぬんじゃないかと不安がり、便秘と解ると今度は下剤を飲んだり無花果(いちじく)型の例のアレを差し込んだりして、不安の元を取り去ろうとのたうち回る。

 あの世界的なポップスターがだよ。股間から手を回したのか尻の外から手を伸ばしたのかはともかくとして、柔らか無花果を手にとってその先端をそっと差し込む姿を想像してみるだけで、ぐふふふふ、ほらもう笑いがこみ上げて来た。こんな描写に加えて、まじめな顔をしてサッと椅子を引き、頭からワインをかけて火を付けるような奥田英朗の文体が、おかしさにさらに拍車をかけている。例えば。

 「ジョンはパンツを下げてしゃがんだ。少し深呼吸してからおもむろに力を入れた。ふんむっ。おおおおおおおっ。呼吸を整え直した。両腕で膝を抱え、腹部を圧迫するようにしてもう1度力んだ。ふりゃぐばばばばばばっ」。ジョンほどひどくはないにしても、2日3日とため込んだ膨満感にトイレでのたうち回った経験のある人なら、その形容の見事さ擬音のリアル? さに、必ずや腹をよじれさせるのではないだろうか。

 さて苦しんだ果てに無花果でも効き目がないと解ったジョンは、森の中にある夏の間だけしか開院しないとう「アネモネ医院」に通うことになった。最初に試してみたのがやっぱり浣腸。今度は無花果なんてかわいいものではなかったけど、やっぱりまったく効き目がなく、これは精神的なものが原因だとにらんだ院長は、ジョンにマッサージをしながら心を落ち着かせようとした。

 診療を終えて、病院を出て靄の中を歩いていたジョンは、突然マスクをした巨大な男に呼び止められ、いきなり殴りかかられる。よく見ると男は、ジョンがかつて公演に入った先で殴り殺してしまったのではと思いこみ、ずっと心の傷として残っていた男だった。ジョンが訳を話して謝罪すると、男は納得して靄のなかへと消えて行いった。しかし次の通院の日、治療を終えて靄の中を歩いていたジョンに、今度は子供の残酷な心理からひどいことを言ってしまったと気に病んでいた、ガールフレンドの母親が呼び掛けて来た。

 幽霊たちとの邂逅を通じて語られるジョンの秘められた、ジョン自身も心の奥底に封じ込めていた物語の数々。やがてそれは、母親との確執の原因をたどる辛い物語へと進んで行き、ジョンに自分自身のあり方を深く見つめ直させ、便のように溜まっていた言葉を、音楽を再び取り戻すきっかけを与える。飄々としながらも心に傷を負った孤高のポップスターが、1人の夫であり母であり息子として再生し立ち直っていく様子に取り込まれながら、いつしか自分自身の心の再生を、わずかでも果たすことができるような気がする

 「ウランバーナの森」のジョンが、一般に広く知られたあのポップスターだったとしたら、翌年の12月に彼は、全世界を悲しみのどん底にたたき込んだ悲劇に見舞われることになる。奥田英朗はそこまでの面倒は見ていないけれど、かつてのように押しつぶされそうになった心が吐き出す叫びのような音楽ではない、愛と平和を真実の言葉をもって再び歌い始めたジョンの、未来への期待をそがれたことへの怒りを一方に感じながらも、もう一方では心許し逢えた母親や仲間やマネジャーのブライアンや、その他大勢の人々といっしょに、あっちの世界でよろしくやっているのではないだろうかと、そう思って少しだけ安心してページを閉じることが出来た。

 まるで何年もため込んだ腸内のブツを、一気に噴出させたようなセンセーショナルでコミカルでファンタスティックな作品でデビューしてしまい、果たして奥田英朗はこの先も同じような素晴らしい小説を書いていけるのかと、心配する向きも多いだろう。しかしあれだけのアイデアいっぱいユーモアいっぱいなコラムを書ける人だもの。前出の「ニュービジネス」に登場した「ディベート酒場」なんて本当に出来てしまったほど。そんな先見の明と、それから味わい深い文体を持った奥田英朗なら、きっと次も面白く、やがて悲しくそれでもやっぱり爆笑な、楽しい小説を書いてくれるに違いない。

 そうなるためにも、まずは「ウランバーナの森」が売れなきゃね。


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