ウルティモ・スーパースター
ULTIMO SUPER STAR

 ジャイアント馬場のひょいと上げた16文キックに、決まって相手は真正面から突っ込んでいく。ジャンボ鶴田のジャンピングニーパットを、誰もロープ際で左右にかわすことはしない。

 アブドゥーラ・ザ・ブッチャーの地獄突きからのエルボードロップを、喰らったら相手はもう立てない。ミル・マスカラスのフライングクロスチョップは、当たれば失神するくらいのダメージを受ける。テリー・ファンクとドリー・ファンクJrのスピニング・トゥー・ホールドを、逃れる術はギブアップしかない。

 そんなはずがあるか。そう思ったことも以前はあった。ただの演技に過ぎないと、小馬鹿にしていた時期も確かにあった。ストロングプロレスを標榜する団体が、日本人レスラーたちの血で血を争う下克上的抗争を前面に押し立て、ゴールデンタイプを席巻していた時には、これこそがプロレスリングだと感じていた。

 あるいは蹴りも投げも放たず、マットの上で寝転がり組み合った2人が、次の瞬間に1人の腕を固めてギブアップを奪うスタイルに、格闘の神髄を見た気持ちになったこともあった。けれども今は違う。須田信太郎の「ウルティモ・スーパースター」(エンターブレイン、920円)に描かれる、ルチャリブレのリングで繰り広げられるマスクマンたちの饗宴を読んで、プロレスは「”愛”と”信用”でなりたっている”命がけのショー”」なんだと思うようになった。

 巨体を揺すって花道をレスラーたちが現れた瞬間から始まり、リングの上でお互いが持てる技、秘めたパワーを惜しみなくぶつけあい、逆転につぐ逆転の盛り上がりを経た後、予定調和的ともいえる必殺技からのフィナーレへと向かって、集まった観客に感動と感銘を与える。そんな1夜限り、1ゴング限りのエンターテインメントこそがプロレスなんだと、今は強く信じている。

 新幹線が通過するだけで駅はなく、国道沿いにある2つのカラオケボックスくらいが”文化”という田舎に住む高校生・三波の通う学校に、ある日、額に星のマークを付けた覆面レスラーがおんぼろバスで乗り込んで来ては、数学の授業をしていた三波の担任に向かって、「やっと姿をあらわしたな、ルート仮面。ウルティモ・スーパースターと10年越しの決着をつけよう」と大声で呼びかけた。

 教師には実は、ルチャ・リブレの選手として、ウルティモ・スーパースターが率いる「るちゃプロレス」で選手をしていた過去があった。嫌がり抵抗していたものの、結局はウルティモ・スーパースターに引っ張り出されて、1戦を交える羽目になったルート仮面は、10年ぶりのリングでウルティモのクロスチョップを真正面から受け止めて、痛みの中に充実を感じ、歓喜の表情を浮かべてマットに沈む。

 そんな2人の戦いぶりを目の当たりにし、しがない教師にしか見えなかった担任の充実した姿や表情に触れた三波は、自分に欠けているものを探そうと、家出をしてウルティモ・スーパースターたちと旅をしながら、ルチャリブレの世界へとハマり込んでいく。

 かつて所属していた団体で、高い評価を得ていた過去を持ちながらも、訳あって今はメキシコ帰りの覆面レスラーとして、リングすら真っ当に借りられない弱小団体を引っ張るウルティモ・スーパースター。けれども彼は、そんな我が身をまったく卑下せず、弱小だからといって絶対に妥協しないで、観客の前でひたすらに凄いプロレスを見せようと奮闘する。

 リングがなくてもお構いなし。火事の現場へと駆けつけては、逃げ遅れた女性に向かって屋根からダイブを敢行し、助け上げては指を高々を掲げて野次馬たちに奇蹟のきらめきを与え感動してもらう。

 彼のまわりに集まるほかのレスラーも、同じようにルチャリブレの莫迦たちばかり。銀行員だったり土木作業員だったり警察官だったりと、さまざまな職を持ちながらも興行があればどこからともなく集合し、普段の生活をお首にもださず、マスクを被ってリングに上がって血みどろの戦いを繰り広げる。

 そんなルチャドールたちのひたむきな姿に接し、生きる熱情を育んでいく三波の体験をいっしょになって経験するうちに、夢に向かってひたむきに走ることの、辛いけれど面白くそして楽しい様が心の奥底からわき上がって、彼らと一緒におんぼろバスで全国を回って、ルチャをしたくなって来る。

 かつて一緒に巡業をし、今は地元に帰って当地での興行にだけは参加する1人の選手が、普段住んでる漁師町へと出向いたウルティモ・スーパースターに、子供の頃から彼の活躍を観て育った地元の女子高生たちが喜び勇んで飛びつき、不漁に落ち込む男たちを後目に、一緒になって興行を成功させようと頑張るエピソード。リングの上で繰り広げられている超人たちの饗宴が、無気力だった観客に刺激を与える様に、非日常的なプロレスが持つ底知れない力を感じさせられる。

 「『いける』と思っていてもなかなか一歩が踏み出せない……そして一生踏み出せない奴もいる」「泣きながらでも立ち上がらなきゃいけない……泣き顔で歩きださなきゃいけない……」「ルチャリブレのリングにあがったら何をしようがどんな人間になろうが自由なんだよ」「生活の中で生きづらい者ほどリングの上で生きる場所を見つけるコトができる」。

 ウルティモ・スーパースターの言葉は、夢を与えるルチャドールの神髄を語る。と同時に、この世知辛い社会を明るく楽しく前向きに生きる上での、大きな指針を与えてくれる。そんな言葉の数々に触れ、その活躍ぶりを目の当たりにしてもなお、たくさんの能書きと、BGMがなければ成り立たないプロレスをプロレスだと思いたいか。構成作家によって作られ、与えられたシナリオによって繰り広げられるドラマを、ただ漫然と楽しむだけで満足か。

 ノー。例え予定調和であっても、悪玉と善玉がきっちりと別れたデパートのヒーローショーのようなものであっても、そこに込められた観る人たちを楽しませたいという思いを強く持ち、そのためには普段の苦労など人前では絶対に見せず、マスクマンとして、超人としてリングに立ち続ける人たちの戦いを、「”愛”と”信用”でなりたっている”命がけのショー”」を楽しみたい。

 今もテレビでプロレス中継は続いている。プロレス以外の格闘技も数多く中継されている。けれどもそこに愛はあるのか。夢や希望は感じられるか。もしも感じられなかったらその時こそ、「ウルティモ・スーパースター」の出番だ。観よう。ウルティモ・スーパースターの活躍を。そして聞こう。ウルティモ・スーパースターの言葉を。


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