タイピングハイ! さみしがりやのイロハ

 長森浩平の「タイピングハイ! さみしがりやのイロハ」(角川スニーカー文庫、533円)は文章が凄い。展開が凄い。発想が凄い。おまけに橘りうた描くイラストも凄いと、凄さのグランドスラムを達成してしまった観すらある。

 ひとりの少年が学園へと転入しては、美少女と出会いまくり楽しい学園ラブコメを繰り広げまくるストーリー。と聞くとそれの一体どこが凄いんだ、世間に無数にあり過ぎるボーイ・ミーツ・ガールのラブコメディの典型じゃないかという指摘も出て当然だ。

 だがしばし待たれよ。その美少女、というより幼女は冒頭からスカートをはがされ縞のパンツ姿でひっくりこけているのだ。凄いとした言いようがない。

 なるほど分かった。つまりはボーイ・ミーツ・ガールをエスカレートさせただけであって、そういった方面に果てしない憧憬を抱く読者を喜ばせまくる物語だということなんだろうと、そんな突っ込みにも答えよう。まるで違う。全然違う。凄まじく違う、と。

 主人公が学園に行くこと事態に裏がある。天才的なハッカーとしてコンピュータを不正に操作し、無理矢理潜り込んである種の潜入調査を行おうと彼はしていた。なおかつ転入早々に、自分がそうやって不正によって入ったことを入学式の場で全盛とに向かって公言してしまう。そんなスパイが過去にいたか? いないだろう。

 かといってそこで退学になるかというとさにあらず。認められ入学を果たしてしまうからまた驚き。そこから始まる学園の謎に迫る物語も、正義感とか情熱といったものによって進められる謎解きミステリーとは一線を画して軽妙に、けれどもどこかにシリアスさを残して進んでいく。

 冒頭で出てきた縞のパンツの少女を「縞ぱんちゃん」としか呼ばず、本当だったら自分が総代になったはずだと主人公にクレームを付け、後に同級生になったステンシア・ローズフィートという美少女を、髪にウェーブかかっていたからという理由でウェービーさんとしか呼ばない主人公。そのキャラクター造型ひとつとっても、「タイピングハイ!」が一筋縄ではいかない物語であることを現している。

 「縞ぱんちゃん」は進入の難しい学園にどうやってか張り込み、うろついては主人公を見つけて駆け寄ってきて、口を×印にして何やら強い感情をぶつけて来る。言葉にならない歌を唄って主人公にまとわりつく。生徒会室に行くと仮面というかサングラスというかヘッドマウンテッドディスプレーというか、とにかく顔を覆う物を被った少女が生徒会長として現れ、主人公をエリート揃いの生徒会へと誘う。

 予測できない展開。既成概念を超えるキャラクター群。描かれるそれらによって次に一体何が起こるのか分からないまま、次に何が起こるのだろうと言う期待とともにページを繰らされラストシーンへと導かれる。

 クライマックスでは人間の運命にとっていささかシビアで残酷で切ないドラマも繰り出される。これが一般的な学園ラブコメだったら、あるいは青春小説だったら幸運が訪れるなり正義が勝利するといった落とし所へと向かうだろうが、そこは「タイピングハイ!」。そうはならず悲惨極まりない方向へと向かってしまい、なのに主人公はそれを悔恨しつつもひっくり返すところまではいかない冷徹さで受け止める。

 呆れるほどに非道な展開であるにも関わらず、読んで嫌悪感を抱かされることはそれほどない。むしろそういうものなのだと妙に納得させられ、読ませられてしまう。形作られたキャラクターと構築された世界、それらを紡ぐ文体が、悲劇的で残酷な物語を客観的な視点から読者に受け止めさせ、深刻な世界に引きずり込ませないでいるのだろう。

 破天荒でハチャメチャで、行き当たりばったりのようで締めるところではしっかりと締める。AIの人間性を問いAIを作る難しさを考える描写もあって、SF的な側面からも考えさせられるストーリー。冒頭に出てきたホログラムの美少女がただの前振りではなく、最後にもしっかりと役割を果たす構成の妙にも感心させられる。なおかつそこに仕込まれた薫り高い仕掛けの面白さといったら。切なさと笑いの入り混じった感動をもたらしてくれる。

 「角川スニーカー小説大賞」優秀賞受賞作。つまり新人ということだが、これが新人だとしたら、とてつもない新人と言えるだろう。この無茶苦茶な展開がもたらす効果を考えてやっているんだとしたら、とてつもない計算高さを持った作家ということにもなる。天然だとしたらそれはそれでやはり凄い。続く物語で何を書くかが計算高いか天然か、真に凄いかフロックかを判断する分かれ目となるだろう。


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