たい密室博士たち
DOCTORS IN ISOLATED ROOM
 インターネットの個人ホームページを幾つか回ってみれば、そこかしこで工学部とか理学部とかいった「理系」の学生のホームページに行き当たる。すべてというわけではないが、多くがデザイン的にも内容的にも、同時代的であったり先鋭的であったりして、「理系」という言葉が持っていた、「暗い」とか「地味」とかいった旧来的なイメージなど、軽く吹き飛ばしてくれる。逆に文系人間のホームページの方が、デザインが地味で内容が固かったりすることもよくある訳で(オレのページだ)、いちがいに「理系人間」と「文系人間」を分けられない時代になっている。

 理系の人間は研究に没頭してしまえば寝食を忘れてしまう、といった固定観念など通用する時代ではな。遊びと研究の両方に没頭できる理系人間だって大勢いる。だから、たとえ理系の学校を出て理系の大学で働いている人間が理系の大学を舞台に描いた小説だからといって、「理系人間」をリアルに描いた作品だとは言いたくない。「理系人間」「文系人間」といった人種の分け方などは、共通する地盤を得た人が、「うんうん、あるある」といった程度の共感を覚えた程度の要素として止めておき、固定観念も先入観も持たずに、小説を楽しめばいい。

 理系の学校を出て理系の大学で働いている人間が理系の大学を舞台に描いたミステリー「すべてがFになる」で、文系の学校を出て文系の会社(新聞社だ)で働いている人間に鮮烈な驚きを与えた森博嗣が、待望の第2作「冷たい密室と博士たち」(講談社ノベルズ、800円)を発表した。登場人物は前作と同じ建築学科助教授の犀川創平と、建築学科2年生で超お嬢様の西之園萌絵。もっとも、孤島で発生した天才科学者をめぐる殺人事件を描いた前作とは趣をガラリと変えて、今度は同じ大学にある施設、極地研で発生した密室殺人事件に、「探偵」犀川創平と「助手」西之園萌絵が挑む。

 「すべてがFになる」で感じたような、伏線を張ったさいの違和感も今回はあまりなく、最後にきて「ああ、あそこがそうだったのか」と感嘆させられるように、上手く巧みになっている。これはまあ、読み手の熟練度が低いからなのかもしれないとして、登場人物たちのかわす会話がテンポよく進んだり、行動にあたっての心理状態が何となく理解できるなど、人物が生き生きとして来ていることは、間違いないと思う。ここで「理系人間の人物描写」といわれてしまうと、ちょっと「違うな」と感じるのは、研究熱心だったりすのは文系でも同じ、プライドが高いのも同様で、あくまで個人の属性の部分に、事件の鍵が隠されているからだ。

 人物描写がこなれてくればくるほど、茫洋として得体がしれず、しかしキレ者だった犀川創平のキャラクターが固まってしまい、傍若無人で傲岸不遜なお嬢様ぶりを見せてほしいと願っていた西之園萌絵も、犀川に好意を寄せる、キレ者だけれどちょっとおしゃまなお嬢様になってしまっていて、そんな2人のラブ・ストーリーを軸に、これからもシリーズが進んでいくのかと考えると、気が重くなってしまう。愛知県警の本部長ともあろうお方が、姪の頼みに負けて極秘資料を貸し出すなんて設定も、練り上げられたトリックの緻密さを削ぐような気がしてならない。丸谷才一の「女ざかり」で首相が元恋人と官邸で逢い引きする場面を読んでいるようで、鼻白む。

 しかしまあ、たとえ名古屋弁が片言たりとも出てこないにしろ、地元名古屋を舞台にしている小説は、それだけで評価を上乗せするのが人情というものだ。次も頑張れ。必ず読むからな。


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