塔の町、あたしたちの街

 青春ドラマのヒロインとかにいたりして、現実の存在として認知されていた時代も確かにあった。けれども今となっては異能の力の持ち主とか、巫女とか猫耳の神様とか転校生とか妹なんかと同じくらいに、現実にはあり得ないけれども物語の世界には一種の“記号”と化して、存在するだけになってしまったのかもしれない。それが“美少女剣士”。

 なるほど見渡したって芥川賞作家が描くような、普通に暮らしている人々の日常に起こったささいな出来事をつづった小説に剣道を嗜む少女はあまり見かけない、館で起こる殺人事件を名探偵が鮮やかに解決してみせる推理作家のミステリーで、ヒロインが竹刀を振り回すお転婆だという設定も見かけない。

 マラソンだ野球だと注目も高まる一方のスポーツがテーマになった小説にだって、剣道部の女主将が主人公になったような小説はない。剣道なり剣術というものが体育の時間からも遠ざかり、もちろん生活からは隔絶してしまっていることが、日常を描く小説に素材として登場させる気持ちを、作家から奪っているのだろうか。

 ところがライトノベルの世界だけは別の様子。闘うことが目的となる話が多く、そこでヒロインになる女の子もいることから、闘う武器として異能の力とは別に、刀や剣が大きな力となるケースが必然として多くなる、のかもしれない。決して読者として大半をしめる男子の間に、美しい女子から剣で打擲されたいという嗜虐性の持ち主が多く含まれているからではない。と思いたいが真実は不明。ということにしておこう。

 扇智史の「塔の町、あたしたちの街」(ファミ通文庫、620円)にもやっぱり、美少女剣士が登場する。2人の少女が暮らす家。主人公の西条なごみが寝ているところを、じっと見つめている皆口華多那こそが希代の剣術使い。愛らしい顔で眠るなごみをいつまでも見ていたいと起こさなかった華多那の性格が災いして、2人して遅刻しそうになって走り追いついた路面電車にも、普段から持ち歩いている刀を伸ばしてひっかけ、どうにか乗り込む。

 日常的に刀を持ち歩いているとはつまり、銃刀法違反ではいのか? と普通の世界だった思われて当然だけれど、「塔の町、あたしたちの街」の舞台はどうやら普通の世界ではなかった。大気の中に“歪気”と呼ばれるものが混じった「積野辺」という土地では、守代の一族が塔を作り、歪気を操る力を持って街を支配している。そして力をうまく導いて路面電車を動かしたり、重症を負った人間に仕込んだ機械を動かして、健常者と代わらない暮らしを送らせたりしている。

 歪気は時々暴走して怪物のようなものを生み出す。それを退治しして歩いていたのが守代の家を守護する側近の御三家。そのうちのひとつだった皆口の娘、華多那はだから守代の家に生まれ、今は塔を出てなごみや華多那たちが通う隻心学園を理事長として運営しながら生徒会長もしている守代皆理から帯刀を許されなごみを守り、歪気の暴走とも戦っていた。

 そして華多那には密かに別の使命も帯びていた。西条なごみと暮らしていたのは彼女を護るためでもあり、そして見守るため。なごみ自身は画家だった父が母親の死後、放浪の旅に出て街になくなり、孤児同然となっている自分を心配して、華多那が一緒に暮らしてくれていると思っている。でも、世の中はそんなに善意ばかりには溢れていなかった。

 守代に恨みを抱く者の導きもあって、守代が護る積野辺が出来た古(いにしえ)からの因縁とも言える、西条の家に秘められている謎になごみが気づき、謎を管理し隠蔽しようとしている守代との対峙が起こる。心からなごみが好き。けれども真の君主は守代皆理という華多那は、なごみと皆理との間に挟まり苦しみ悩む。

 そこに絡む守代への憎悪を爆発させた第三の敵。事実を知らされないまま押さえ込まれていたなごみの力が発動して、華多那との親友として戯れ合う享楽の日々は終わりを告げ、痛みと哀しみを伴うだろう探求と闘争の日々が幕を開ける。

 なるほど本編の主人公は西条なごみと言えるけれど、皆理の策謀となごみの探訪の間に入って最も苦しむという点で、華多那の存在の方が主役のなごみを超えている。皆理は冷酷さを剥き出しにしつつ目的を達成しようと屹立し、なごみは奪われている過去を追い求め自ら得た力を武器に巨大な権力者に挑む覚悟を決める。そんな結末を迎える中で、華多那が選ぶ立場はもっとも苛烈だ。

 今は最愛のなごみを選んだ華多那。けれども今後も2人の間に挟まって、悩みを抱え苦しみに揉まれていくことになるのだろう。そんな華多那の行く末こそが、信念にあふれて突き進むなごみと皆理の戦いの行く末や、西条家と守代家の関係とは別に、このシリーズの一方のテーマとして大きく、重く語られることになるのだろう。その剣戟の腕前が向かい振るわれた果てに至る世界の姿を、刮目しつつ続刊を待とう。


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