こちら郵政省特配課

 大学は私立の3から5流で成績は優が片手くらい、その癖妙にプライドは高くままならない世をいつも拗ね、大人になることを厭いかといって子供のままでいたいとは思わず、ホンカツ・朝ジャあたりを読んで社会の不平等に憤り、一方で社会なんてこんなもんだと知ったかぶりする人間が、官僚それもキャリアと呼ばれる昔でいうなら高等文官を快く思っているはずがない。

 とはいえ単純に嫌いだという心理の背後には、どう逆立ちしても官僚にはなれなかったやっかみがあって、だからこそ官僚の不正をことさらに書き立てる本を読み、ならなくて良かったと安心してみせる捻れた気持ちがある。人間とは卑屈で闊達で小心で勇敢で権力志向で反骨心旺盛という矛盾する気持ちを共有させ得る曖昧模糊とした生き物なのだ。名古屋だけに通じる例えで言えば(今も通じるのか)「靴のマルトミ」以上にフクザツなんです人間って。

 「こちら郵政省特配課」(朝日ソノラマ、530円)のあとがきで、作者の小川一水が語る官僚について示す「いけないけれどもうらやましい」(316ページ)というスタンスは、その多大勢と見なされている普通一般の大衆におそらくは共通な心理だが、普通一般の大衆はそれをあからさまに示さないことでこの世知辛い世の中を、角度30度の礼とも非礼ともとれるお辞儀をするイメージで渡っている。好きだが嫌いと敢えて言う小川一水のスタンスはだから、どっちともとられない普通一般の曖昧さとは正反対の、どっちにもとられる可能性を持った見ようによっては勇気のある態度だろう。エラいぞ小川一水。

 マルチメディア社会の到来で通信を管掌する立場から、霞ヶ関ヒエラルキーの中でもこのところ地位が上がりがちな雰囲気の見える郵政省。ここでもう1発ダメを押そうと思ったのか、宅配便に押されて壊滅への道を歩き始めていた郵便事業に持ち込んだ起死回生の1策が、何時いかなる物であっても迅速丁寧にお届けしますという「宅配便」サービスだった。その名も「郵政省郵務局特配課」通称「特配(トッパイ)」は、病院に入院している老人を畳の上で死なせてあげる為に自宅を病院の前まで運び、府中の東京競馬場で開かれる「日本ダービー」の為に当日滋賀県の栗東から馬を運ぶ、他のどこもやりそうもない仕事を手がけて評判になっていた。

 頭は良かったもののいろいろあってドロップアウトし、当然ながらエリート官僚ではなかった八橋鳳一が、どこを見初められたかやって来たのが霞ヶ関の郵政省。そこで出逢った理不尽に高飛車な美少女こそが、「特配課」で鳳一がパートナーとして組む班長の桜田美鳥だった。エリート大卒にしてキャリア官僚ながら、というかキャリア官僚なればこその真っ直ぐさで仕事に猪突猛進した挙げ句に回された「特配課」。けれども美鳥は相変わらずの真っ直ぐぶりで仕事に明け暮れ公用車という「ランボルギーニカウンタックLP500」を乗り回し、霞ヶ関の威光も高らかに所轄をねじふせ多省庁を跪かせて何でも運ぶし時には人命救助もする。アパート宅配用に便利と入れた最新型のはしご車を使って火事のマンションから。

 鳳一の大学時代の後輩で女性を取り合った仲でもあり、我が身に染み着いたエリートへの嫌悪感なんて傍目には贅沢過ぎる鳳一に看過されたか民間企業のトーハイに就職した出水との、今度は社会に場所を移しての激しいバトルもあってコマの揃った人間たちの織りなすドラマに、謎めいた課長におっとりとした郵政大臣の不思議な関係が絡みつつ展開していく4つの短編。水戸黄門にも通じる圧倒的な権力が権威を嵩に着た半端エリートをけちらすカタルシスもそれなりにあって、なるほど小川一水正しい権力は正々堂々と誉める心の広さは持っている。

 しかし一方で「あとがき」に権威権力への反発心を表明している以上は、いかな礼賛に見えても裏に権力を茶化し貶そうとするスタンスが含まれているものと認識するのが権力者たちの厄介さ。全編を通じて猪突猛進とばかりに仕事に邁進する美鳥の態度を、有明海を例に引くまでもなく何事においても融通が利かず決めたら最後まで突っ走る官僚の欠点への批判と見るのは朝飯前で、第3話の「Fly mail to the moon」を、日本さえ良ければ、自分たちさえ助かるのならばあれほどまでに危険な郵便物を空へと放り上げてしまう官僚の独善ぶりへの、小説を借りた誹謗と取って不思議はない。

 美鳥がよく口にする「霞ヶ関までいらっしゃい」という言葉など、格好良い啖呵であると同時に官僚の尊大さを示す言葉の最たるもの。態度さえどっちつかずならば無言の笑顔で逃げられたものを、どっちもと言ってしまっている以上は御随意にと逃げてももう遅い。悪くとられるに決まっている。そうでなくともエンディング部分の次官局長の企みなどから「官僚はワルじゃのう」といった作者の気持ちが垣間見えるだけに、なおのこと権力にネガティブな印象ばかりをそこから汲み取ってしまうだろう。

 とはいえ実はありもしない作者の反権力の感情を勝手に読みとり、物語や設定の水戸黄門的な面白さを素直に味わえないと言っているだけに過ぎないのかもしれず、あるいは作者の名を借りて勝手な自分の反権力で親権力な捻れた心理を、格好良すぎる「特配課」の人たちに抱いているだけなのかもしれないので、ルサンチマンなりトラウマがどう反応し、結果果たしてストレートな感動の中に溜飲を下げるか背後のフクザツな感情を抱くかを、それぞれが読んで確かめてみるのが良いだろう。

 以下は蛇足。たった1省が権力を志向しようとも、現実に大蔵通産に警察自治といった内務省系が幅を利かせる霞ヶ関ヒエラルキーを飛び越え、目立つ「特配課」なる組織を派手に立ち回らせるのことは難しいと思うのだが。やはり次官局長に大臣をも含めた「郵政族」に連なる面々の思惑を越えた高みで権力を束ねる権力が暗躍し、かくも奇妙な「特配課」を後押しし成り立たせていると考えるのが自然で、だとすれば反権力と言いつつ働く現場の人々の純粋な思いを利用した権力に、やがて気付き挑むのがスジだろう。まあこれは勝手な思いこみであって、作者は別にもっと格好良くもっと派手な活躍を彼らと彼女に用意して、裏など思う暇などない圧倒的な物語を読者に明示してくれているのかもしれない。あるなら続編を待ちたい。


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