となり町戦争

 戦争が始まって戦争が行われて戦争が終わってまたどこかで戦争が始まって。

 世界はそれほどまでに戦争に溢れているのに、妙に戦争への実感が乏しいのはたぶん、身近なところに如実に戦争の影って奴が現れていないから、なんだろう。だから想像はできても切実なものとして感じ取ることができない。戦争に協力するような法案が通って戦場に人が送り込まれても、送り込まれた人に身近な人のないうちは無関心でいられ続ける。

 小説すばる新人賞を受賞した三崎亜紀の「となり町戦争」(集英社、1400円)は、ある日となりどうしにある町が戦争を始めるという物語。行政機関が送ってくる公報でそれを知った主人公は、何が起こるんだろうと思いつつもそのまま会社勤めをしていたら、ある日役場に呼ばれて偵察という仕事を依頼されてしまった。

 といっても通勤途中に隣町の様子を見て報告するだけの仕事。引き受け報告するとそれのお陰で損害率が何%下がったと言われ、なるほど役に立っているんだと安心したもののやっぱり戦争が行われていて、自分が貢献しているという実感が湧かない。公報に戦死者は出ているといった報告が綴られていても、目の前で銃弾が飛び交う訳でもなく死体が転がっている訳でもないからだ。

 そうこううするうちに主人公は、偵察を本格的に命じられて、窓口になっていた役場の女性と偽装結婚をして隣町へと移り住む。役場の女性は公務員らしくてきぱきと主人公との新婚生活を演じる。彼女にどうして戦争が行われているのか、何故行われているのかと尋ねると、ひとつには公共事業であってそれをすることで景気とか、経済とかにいろいろとプラスがあるのだという。なるほどと思いつつも相変わらず戦争をしている実感を得ないまま任務をこなしていた主人公にやがて危機が訪れる。

 スパイであることが露見しそうなので、書類を持って逃げてくださいと同居していた公務員の女性に言われ、主人公は書類を抱えてアパートを離れ、見知らぬ家へと入りすぐさま裏口から抜け、暗渠をくぐり目隠しをされて山を越えて元の町へと脱出する。途中で段ボール箱に入れられ運ばれていた荷台に、ごろんと何かが転がされ、それはクリーンセンターへと運ばれたと聞かされる描写に戦争の、戦場のリアリティがにわかに立ち上る。

 そしてそれが主人公の回りに現れた人たちの死によって、一気にリアルなものへと変貌を遂げる。遠くで起こっている無関係の戦争が、実は人間にとって決して無関心でいられないものであるということを突きつけられる。一方で、そんな個人的な感情から遙か高みなる次元で、国や企業といったものが政治や経済の方便として戦争を始め繰り広げる可能性、というより繰り広げている現実へと思い至らされる。

 非日常的なシチュエーションへと放り込まれた人間が、状況に翻弄される様を笑い楽しむ娯楽的な小説。同時に戦争というものが持つ役割とは何なのかといったことを問いかける観念的な小説。「となり町戦争」はそんなふたつの、あるいはさらに見えない幾つもの顔をもった複雑で奥深い小説だ。

 疑似イベントの系譜に連なる筒井康隆のジュブナイルの傑作「三丁目が戦争です」の方が、戦争の愚かさと哀しさを身近な場所と身近な人を出すことで強く現しているし、遠くで起こっている戦争に知らず人が巻き込まれていることだったら、押井守が「機動警察パトレイバー THE MOVIE2」の中で自衛隊による叛乱というテーマを描く中で指摘している。

 不条理にも戦場に放り込まれた少年たち少女たちが、戦いに明け暮れさせられる日常から虚しさとくみ取らせ、それでも賢明に生きようとする彼女たち彼らの姿から強さを感じ取らせる物語なんてヤングアダルトの定番。アニメーションにだってゲームにだって類似のテーマは山とあってそれぞれが戦争の意味を考えさせる。怖ろしさ哀しさやるせなさを突きつける。

 五木寛之や井上ひさしといった選考に当たった作家たちが斬新であり秀逸といった言葉を使って褒め称える程の目新しさを、だから「となり町戦争」から感じ取ることの出来ない読者もいるかもしれない。ただし。淡々として抑制が利いた描写からじわりと浮かぶ、戦争の愚かさとやるせなさへの感情には格別なものがある。

 加えて戦争にしても公共事業にしても、動き出してしまったプロジェクトは容易に停止できないこの国の抑圧的で勘力的な体質を浮かび上がらせ、そんな体質に実はどっぷりと浸かって流されるままとなっている人々の虚ろで空っぽな様を感じさせる。戦争が始まり終わりまた始まって終わっても、もはや人は動かず奮わず諾々と受け入れ静かに漂い続けるのかもしれない。

 そんな戦争の、人間の姿に思い至らしめるという意味で「となり町戦争」は「三丁目が戦争です」なり「ガンパレードマーチ」などと等しく、戦争の危うさを描いた物語と言えるだろう。もっともそれに気付いたからといってどうなるのかは分からない。ひとり戦争の悲惨さを知る男性は、それ故に戦争に、人の生死に鈍感というか達観してしまっている。慣れてもいけない。見過ごしてもいけない。成すべきことは何か? 考えそして歩きだそう。


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