とげ

 それが戦争であっても、意に添わぬ相手との結婚であっても職務として命令されたのなら忠実に遂行する公務員の、形式主義的で権威主義的で事なかれ主義的な様を描いて、この社会の如何ともし難い硬直ぶりを見せてくれた作品に、小説すばる文学賞を受賞した三崎亜紀の「となり町戦争」(集英社、1400円)がある。

 筒井康隆の疑似イベント物に似て、社会への批判性に富んだ作品として注目を集め、物語の社会と現実の社会と照らし合わせて、このまま人々が惰性に流されていった果てにもたらされる、息苦しくてやるせない世界の有様に思いを馳せさせてくれた。

 だが、しょせんは架空の観念の上に構築された批判性。現実の公務員の世界が持っている不条理さを目の当たりにすると、架空の寓話によって得られた公務員社会への憤りなどたちまちのうちにかき消されてしまう。関西のとある都市の市役所に勤める公務員に起こった事件を描いた山本甲士の「とげ」(小学館、1700円)。読むとなるほど公務員という存在の非効率で形式主義的で権威主義的な様が分かって怒髪天を衝く。

 主人公は市民相談室に務める倉永晴之という男。役職は主査で上には課長がいて下には使えない部下がいるといういわゆる中間管理職で、その立場からいつも仕事で割を食わされ参っている。本来だったらあくまで相談窓口であって、市民の相談の中身を聞いてそれが公園の金網の破損していて子供がケガとしたという話だったら、公園を管理する課へとつなぎ修繕を依頼すれば済んでしまう。

 ところがそこはお役所仕事の常というか、面倒な仕事は背負い込みたくないという公務員ならではの特性が働いているというちこなのか。金網で子供がケガをしたのは本当なのかと当該の部署から問われ、それを確かめて来いと言われさらには確かめた後の修繕もついでに自分でやってこいとまで命令されてしまう。その不条理な指令に倉永は逆らいたくても逆らえず、粛々と仕事をこなしては部下に冷たい目で見られる。

 公園にワニがいると言われればそれも見に行かされる羽目に。家に帰れば子供が学校でイジメをしていると先生から言われ、さらには公務員の妻が酒気帯び運転で交通事故まで起こし、懲戒免職か諭旨免職かの狭間で右往左往するといった具合に、倉永に次々と災難が巻き起こる。そんな彼にひとつの転機が舞い込んだ。

 やはり市民相談室へと持ち込まれ、当該部署に上げようにもたらい回しにされて自分で見に行く羽目となった、用水路を繁殖力の強いボタンウキクサ埋め尽くしている事態をどうにかしようと、イライラも手伝って当該部署へと半ば強引に訴えたことが彼を次のステップへと導いた。市役所でもエリートコースを走る若手管理職へと訴えが伝わり、そのまま市役所の中で非効率ぶりを改善をしようという志を持って集まった人たちのグループに、倉永は招き入れられる。

 その会合の流れで出会った飲酒中の市長から、突き飛ばされケガを負わされるという事件にも遭遇して、倉永は医薬品のセールスマンから転じて公務員となって以降、流されるまま言われるままに惰性で歩いてきた公務員としての道から飛び出し、自らの決断で道を拓いていこうと決意する。

 もちろん事はそう簡単には運ばず、ケガをさせたことを誤って欲しいと訴える倉永への市長からの懐柔があり、上司を通しての恫喝があって倉永の歩み始めた道は早速右へ左へと大きく揺れる。現状に憤りを持ち、強い志を持って集まった若手管理職のグループで押し立てた市長候補が、霞ヶ関からの落下傘候補の活躍もあって落選するという憂き目にも遭って、倉永の約束されていた将来の展望も真っ暗になって閉ざされかける。

 けれどもそこは開き直った中年男の心意気。起死回生の一策を、半ば周到に進めて人生の大逆転を成し遂げる。いささか卑怯な部分も見えない訳ではないけれど、自分のためだけっていったギラギラした感じの成り上がりストーリーへと流れず、最後まで誰かのために何かをしなければならないという、虐げられた果てに悟った男の強い意志が貫かれている部分が、読み終えて心地よさを感じさせてくれる。

 一方では、すべてを行政に任せきりにして、自分で出来ることでもやらない市民たちの怠惰で無責任な様も指摘されていて、自省を促されつつも痛快な気分を味わえる。なるほど道ばたのゴミは自分で拾えばそれだけ街は綺麗になる。金網が破れていたら自分で繕えば知り合いの子供もケガをしない。自分の街なんだから自分たちで守ろうという、以前だったら当たり前だった行動が普通にできなくなってしまっている、そんな現代社会の不思議さがあぶり出される。

 公務員の非効率ぶりがやり玉に挙げらる風潮は今も強いしこれからますます強まりそう。けれども公務員が非効率になってしまった理由は、公務員が自分の至福を肥やそうと暗躍したからでは決してない。何もかも公僕と押しつけてしまう市民の限度を超えた依存心、裏返せば自らの無責任ぶりもそこには何らかの陰を落としていたりする。

 そんな鬱屈して閉塞感の漂う組織の中から、あるいは市民の中から正義なんて大仰なものじゃなくても構わないから普通に、真っ当に世の中を明るくしていこうという意欲を持って動き出す人が、倉永の振る舞いを見て増えて来て欲しいと期待したくなる。すべての公務員は即座に「とげ」を読むべし。そして全ての社会に生きる者も「とげ」を読んで必要なことは文句ではなく、実行ななのだと知るべきだ。


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