乳と卵

 作品の中身よりも、書いた作家のキャラクターが話題になってしまうケースが他の文学賞に比べてありがちなのが芥川龍之介賞という奴で、投稿が編集長の目に留まってデビューした耽美な内容の三島由紀夫の再来と讃えられた京大出身の青年とか、最年少で受賞した早稲田に通う美少女作家とといった面々が過去に登場しては、メディアを通して大いに盛り上がった。

 その後彼や彼女がどうしたかというと、作品は書いているものの文学作品として大きく話題になったということもなく、どちらかといえば「あの作家の最新作」といった具合に、プロフィルが先行しての話題が先に立つ。中には受賞会見で椅子に突っ込んだパンク作家のように、あっさりと忘れ去られてししまう人もいる。んな人の方が多かったりする。

 そんな中で2008年1月に、第138回芥川賞を「乳と卵」(文藝春秋、1143円)で受賞した川上未映子の場合もやはり、プロフィルばかりが今のところは話題の前面に立っている。何しろ美人。そして歌手。32歳と少女ではないものの歳を感じさせない麗しさとスタイルでもって、世の人々の目を満足させている。

 このプロフィルの分厚さだけでも他が1年で消えるところを3年5年は保ちそうな上に、作家としての腕前もなかなかに確かなもの。その時々の“女”という存在をとりまく空気を肌や心のセンサーによって確実につかみとっては、言葉に現し物語として汲み上げる力をしっかり持っている。男からの下心も混じった視線だけに止まらず、同性からの関心をしっかりと集めて、10年は確実に最前線を走り続けることだろう。

 例えば受賞作の「乳と卵」。40歳を目前にした姉が小学6年生になった娘を連れて東京に豊胸手術にやってくる。妹はそんな姉を自分の部屋に住まわせながら、年甲斐もなく豊胸手術に心躍らせる姉が身に秘めた女の情念を露わにし始める様を見る。そしてそんな母親の姿に己が中に芽生えつつある女を否応なしに感じさせられる娘の震えを感じ取る。

 そしてぶつかる母と娘。激しい言葉で娘は母をなじり手にした卵を割ってぶつけて泣きじゃくった夜を越えて、何事もなかったかのようにすっきりとした雰囲気となって、姉と娘は家のある大阪へと帰っていく。そんな2人の姿を見送りながら、妹はそうした生の感情をぶつける相手もおらず、己が肉体への激しい葛藤も抱けない自分に虚ろさを覚えて沈み込む。

 3人の女たちが見せる3態が、浮かび上がらせるのは“女”として生きるということ。まだ若い少女は娘の、歳を重ねた女は姉の、そしてその間にあって子供ではないと粋がりながらも、年増には達していないと自認しつつ、けれども重なる年齢に畏れを抱きはじめた女は妹の姿からきっと、何かを感じ取るだろう。行く先は達観か希望か更なる不安か。その意味では決して狭くない女たちの関心を得られる作品と言えそうだ。

 併録されている芥川賞受賞第1作の「あなたたちの恋愛は瀕死」も、いい歳をした女が引きずり払えないでいる過剰な自意識が、未来の見えなさに身を固くする若い男の叫びのような行為によって砕かれる切なさに溢れて、女たちを震わせる。この鋭さが続きさえすれば、そして当人も歳を重ねていけばより広い層へと届き響く物語を紡ぎ続けて行けるだろう。

 その物語を欲するならば、作家が影響を受けたと話す樋口一葉のように夭逝しないで書き続けて欲しい、10年後でも最前線に立って女を描いて欲しいと女たちは願うのだ。男にとってはどれだけの価値を抱けるのかはいささか不明。せめてだからその美貌だけも今のままあってと願う。


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