囲碁とは宇宙であり、宇宙とは囲碁である。

 そんな言葉がある訳ではないけれど、囲碁の対局で碁盤の上に並べられていく黒と白の石は、どこか宇宙に浮かぶ星々に似ている。対局に向かう棋士の気持ちが、広い宇宙に星々を置いて世界を作り出すような感覚になって、世界の成り立ちだとか、広い宇宙の探求へと向かっていっても不思議はない。

 冲方丁の「天地明察」(角川書店、円)は囲碁の棋士、それも徳川幕府に囲碁の腕前で仕える碁方という身分ながら、天文学者になって日本独自の暦を初めて作った渋川春海を主人公にした歴史小説。その生涯から、若い人にはあまりなじみのない囲碁というゲームの意外な奥深さ、計算によって宇宙を解読する算術の面白さ、そしてひとりの人間が自分という存在の意味を追い求めていく人生の物語を楽しめる。

 囲碁に数学に人生論。こう並ぶと堅苦しい小説だと思われがちだけれど、そこは肉体を機械に換えて戦う少女たちを描いた「シュピーゲル・シリーズ」をはじめ、強烈なキャラクターと物語の力で引きつける作品を送り出してきた冲方丁。「天地明察」も頼りなささげな主人公がいて、圧倒的な力量を持ったライバルがいて、少女とはいかないけれども可愛い女性を相手にしたラブストーリーが絡んでと、キャラクターの個性に引きつけられる。

 その上に、とてつもない難題を乗り越え、目標に向かって突き進んで成功をつかむサクセスストーリーが乗る。「シュピーゲル・シリーズ」とは違って文体も“普通”だから、冒頭からグイグイと引っ張り込まれて、気がつけばラストの1行、なんてことになるはずだ。絶対に。

 さて物語。囲碁家元の家系に生まれた主人公は、安井算哲という父親の名を継いで二世目算哲となったものの、父親が以前に養子として迎えていた義兄が家名を継いでいたため、どこか宙ぶらりんな立場にあった。武士に囲碁を教える仕事をしながらも、気持ちは算術という学問の方へと傾いていて、渋川春海という別名を名乗って研究に勤しんでいた。

 研究というのは、神社などに奉納されている算額を解くこと。馬が描かれた絵馬とは別に、数学の問題が記された算額というものが、江戸時代には神社仏閣に奉納されていて、その問題に解答するのが算術を志すものの栄誉になっていた。正解を示した人に出題者から得られるのが「明察」という言葉。「天地明察」というタイトルもこれから来ている。

 その日も、渋谷の宮益坂に今もある金王八幡宮という神社に、奉納されている算額を見に行った春海。難問ぞろいだと思いながらながめていた問題が、すこし目を離したすきに関という人物によってすべてあっさりと解かれてしまい仰天する。

 関とは和算の開祖として日本史にも出てくる関孝和のこと。そんな関に対抗意識を燃やした春海は、自分で問題を作って挑んだものの、関は問題にあった欠陥を即座に見抜いて春海を激しく打ちのめす。囲碁の方でも、安井家と同様に徳川幕府に仕える碁方の本因坊家から、道策という天才が出てきて春海を追い上げる。

 才能に自信があった者が、上には上がいると知ってやる気をなくしてしまう。青春時代に起こりがちな、挫折を味わい壁を感じて前に進めなくなる状態が、春海の境遇を通してつづられる。けれども春海は、老中の酒井忠清から「北極星を見て参れ」という命令、つまりは日本を測量して来いという役目を与えられ、旅に出た先で老いても探求心を失わない男たちに刺激されて、ふたたび関に挑もうと決心する。

 どうにか役目を成し遂げ戻った春海は、関に再び出題して今度はちゃんと解答をもらって認められ、失い書けていた自信を取り戻す。そんな春海に今度は、新しい暦を作れというとてつもない命令が下る。

 陰陽道で知られる安倍晴明の時代から、暦作りは朝廷が担っていた重要な仕事。立場的には朝廷の下にある幕府が、そこに口出しするというだけでも相当な抵抗が予想された。今ほど宇宙の仕組みも星の動き方も知られておらず、日蝕がいつ起こり季節がどう巡るかを正確に予測した暦を作るのは、技術的にも難しかった。

 そんな大事業に、三十才前後とまだ年若い春海が抜擢された。棋士が相手の囲碁でもなければ図形や数式が相手の算術でもない、天地を相手にした大勝負。「明察」の答えをもらうべく、春海の生涯をかけた挑戦が始まる。妻との死別があったり、若い頃に出会った娘との再婚があったりと恋愛方面のエピソードでも楽しませてくれるけれど、とてつもない難事業に知恵と気持ちで挑み、成し遂げる本筋から浮かぶ歓喜の感情が心地よい。

 面白いのは、若いころはまっすぐな情熱で押し切ろうとしていた春海が、年をとって社会の仕組みが分かってきて、真理や正論だけでは人は動かないことに気づき、どこをどう動かせば何が起こるかということも含めて、戦略を立てるようになったこと。

 囲碁でも布石といって、一見無意味に見えてあとで大きく利いてくる石が重要だ。たとえ宇宙にとっての真理であっても、たどりつくためには人の間にいくつもの布石を打ち、人の心を真理に気づかせていく必要性を指し示す。このテクニックは囲碁にも人生にも役立ちそう。

 読めば囲碁に興味がわき、算術に関心が向かい、宇宙へと心を飛んでいかせる物語。春海のように、そのいずれにも並々ならぬ才能を発揮するのは無理だけれど、面白そうだと感じたのなら、どれかひとつでもはじめてみれば、前とは世界が違って見えてくるはずだ。


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