天王寺クイーン

 難波宮がかつて置かれ、堺の港が貿易で栄え、太閤秀吉が天下を取って大坂城から号令をかけ、徳川時代に商都として日本の経済を担いながらも大阪は、この100余年をどこか脇役のような立場で過ごしている。

 昭和の始めくらいまではそれでも、多くの銀行があって産業もあって、メディアだって新聞にテレビが独自の情報を発信しては、西日本にその勢力を及ぼしていた。それが戦後、交通が発達して情報通信も充実して東京へ、東京へと人も情報も集まるようになっていって大阪は、存在しながらもそうした情報網の枠の外へと置かれて、印象を薄くしている。

 行けばいまだに大勢の人がいて、賑やかそうに見えて潜在的なポテンシャルは高そうな街。必要なのはだからたぶんきっかけで、東京でなければならない必要性がほとんどないことに気づいた世間が、大阪に拠点を移してそこから日本全国へ、そして世界へと向けて経済と情報を発信していくスタンスを、取るようになれば10年20年で大阪が、東京に劣らずむしろ勝る街になることも、あったりするかもしれない。

 それは日本といった狭い範囲のことではなく、韓国中国台湾フィリピンからインドネシアにシンガポールマレーシア、グアムハワイオーストラリアといった広域にわたる圏における重要な場所として、屹立し得る可能性をも含む。必要なのはだからきっかけで、そのための道筋が野崎雅人の「天王寺クイーン」(日本経済新聞社、1500円)という小説の中に、示唆されている。

 帯の「戦国時代の闇の勢力がついに大阪を乗っ取る 巨大な<荘園>を建設し伊丹空港を封鎖? 女王に立ち向かう引きこもり女子高生の、iPodから流れるのは、70年代のあの名曲」という言葉から、万城目学の「プリンセストヨトミ」のような伝奇的シチュエーションを含むユーモア小説だと、想像した人もいるかもしれない。読めばまるで正反対の、ノワールでスリリングでバイオレンスもあってバイオレンスにもあふれた小説だ。

 引きこもり気味で、なぜか懐かしい「ABBA」の「ダンシング・クイーン」を好んで聞いてる女子高生の少女がいる。医療機器の販売をしつつ、医師に援助交際をやらせてそれをネタに強請っていたら、顧客が何が得体の知れない勢力と繋がっている姿を、目撃してしまった男がいる。

 建築士の夫と来た大阪で、茶道から闇へとつながっていって組織の幹部にまでなっていた人妻がいる。そして、借金を抱え自殺した父の後を継いで、借金まみれの印刷工場を動かしていたら、親切そうで恐ろしそうな男に近寄られ、その最期を見てしまった若者がいる。一見すればまるで関わりのない面々だが、訳あってつながり重なり合って訪れることになった信用金庫を舞台にして、大阪の闇に蠢く組織の長の継承が見えてくる。

 不思議な展開と構成をもった物語。それぞれに事情を抱え、強請り強請られ、脅し脅され、誘い誘われて集まり、重なり合った男たち女たちの、その経験と告白から垣間見える日本の闇の断片を、手探りのようにつなぎ合わせていく楽しみが、この物語にはある。

 真っ直ぐに読めていける小説ではないけれど、まるで見えない先を追いかけて、カオスな切片を繋ぎ重ねていく快楽を味わえる。難解なパズルが組み上がったときに見えるビジョンの鮮やかさ、そして訪れたクライマックスのその先に来る、新たなる女王の誕生が、大阪にいったい何をもたらすのか、興味を抱いてページを閉じられる。

 タイを舞台に流れ着いた男が、陰謀めいた事件に巻きこまれる「フロンティア、ナウ」(日本経済新聞社、1300円)で、日経中編小説賞を受賞した作者の、しばらくぶりに出た第2作。美男美女の婚姻から、優れた人種を創り出そうとナチスが画策したレーベンスボルグ計画への言及が、前作に続いてあって、国家が人権を無視して進めた実験への、関心の程を伺わせる。

 そうした闇への好奇が、日本に新たな闇を作り上げて紡ぎ上げ、練り上げて描いた物語。阻まれた陰謀は果たして大阪の、日本のためになったのか、それとも日本を永遠に世界からはじき飛ばしてしまったのか。案外にその後を襲って生まれた新たなクイーンが、逝ってしまった者たちの無念を受け継ぎ大阪に、新たな都を築き上げるのかもしれない。

 そしてそれは今、現実に起こっているかもしれないと思えば、くすんでいる大阪も、とたんに輝いて見えてくる。立ち上がれ大阪。甘言と妄言に踊り踊らされる為政者など、金輪際、徹底的に無視をして。


積ん読パラダイスへ戻る