てんくうのグラディウス
天空の剣

 そりかえった崖の下に咲いた綺麗な花を手折って持って帰って来たら結婚してあげるって彼女に言われて、はい分かりましたってその通りのことをするのはそんなに難しいことじゃない。けれどももし、その手折った花が実に絶妙なバランスですぐ上の石を支え石は岩を支え岩は崖全体を支えてて、結果崖が崩れて上にあった集落もろとも滅び去ってしまうかもしれないって分かっていたら、彼女なんて捨てても花を手折るのを止めるだろうかどうだろうか。

 分かってそれでも彼女が大事と平気で花を手折る人もいるかもしれないけれど、やっぱり大勢を犠牲にしてまで自分の我欲を通すのって普通の人間には難しい。自分の軽口が男を我欲に走らせてしまった挙げ句に、多くの命が失われてしまったとあっては彼女にも迷惑が及ぶ。その辺まで考えをひろげれば止めて当然。かくして崖下の花は手折られないまま、ひっそりと咲いては枯れていく。枯れたらバランスが壊れて崖も崩れるって? そうかもね。

 「角川ビーンズ小説賞」で奨励賞を受賞した喜多みどりが、受賞作とは別に新たに書き下ろしたという「天空の剣」(角川書店、457円)は、例えるなら崖下の花を手折りはするものの手折った当事者はそのことがもたらす事態を当時は知らなかったというシチュエーション。エクスカリバーよろしく地面に突き刺さっていた剣を、戦いに勝ち残ったウィルゴという名の女剣闘士が褒美としてもらい、引っこ抜く場面から幕を開ける物語は、そのことが原因となって世界がどこからともなく湧き出てきた酸の海に浸され、生きるすべての存在が脅かされる深刻な状況へと向かっていく。

 ウィルゴが剣を抜いてしまったのは純粋に兄の命を助けたかったから。ところが起こった事態は兄の命どころか世界の滅亡という予想だにしていなかった事態で、激しい自責と怒りの念を覚えたウィルゴは自分を陥れた敵を倒して、世界を滅亡から救う方法を探して世界をさすらっていた。そんなウィルゴが訳あって口のきけなくなった剣士のノクスと、それから人なつっこい魔法使いのダークロアを助けたところから、物語は先へと大きく動き始める。

 なぜかウィルゴには奇妙な三日月の模様が入ったマスクを顔に付けた男に追い回され、結婚を求められていた。謎の男の配下の女性も加わって迫る追っ手をかわしながら、ウィルゴは剣を調べたダークロアの助言もあって死者だけが行ける場所「海界」を目指すことになった。道中、男性とも女性ともつかない美貌の人物ミューシカの導きもあって、ようやくにしてたどりついた「海界」でウィルゴはすべての真相を知る。

 自分の極めて私的な身勝手さが、愛する人のみならず世界すら危機に陥れてしまったことへのウィルゴの自責の念とか、悔恨の情といったものには同情もしたくなるけれど、無分別な振る舞いが引き起こした深刻過ぎる事態を思えば、ウィルゴは侮蔑され罵倒されたって不思議じゃない。ウィルゴに限らずそれぞれに何かと何かを引き替えにした結果訪れた事態に、悩みを抱えるノクスとダークロアの過去が明らかになるにつれ、同じようなシチュエーションに直面した時に人は、そして自分はいったいどうするのが1番良いんだろうって迷いにとらわれる。

 えいやっと踏み出してしまうのも1つの選択。何にもしないで逃げるもの選択だけど、どちらにしたって別の何かが犠牲になる。それでもどちらかを選ばざるを得ないとしたら? 正解はない。ないけれどヒントはちりばめられている。ウィルゴが、ノクスが、ダークロアが悩み苦しんだ果てに選んだ道を読んで、生きる者としての矜持がしっかりと維持されたその答えに触れることで、とどまらず、にげないで前を向こうって気にさせられる。

 しでかしてしまったことへの自責に悔恨はどこまでもついて回るだろうけれど、それに阻まれ進めず溺れ転んだ挙げ句に追いつめられ、暴発しては意味がない。考えるとこ。間違いを犯さないこと。それでも間違えたのなら取り戻そうと感張ること。そんなに簡単にはいかないかもしれないけれど、物語にちょっとだけ強くしてもらった気持ちを持って、これからの暮らしで訪れるだろうさまざまな選択を乗り越えていこう。

 宮城とおこ描くイラストのウィルゴはとっても綺麗で線が細い割にグラマラスという、素晴らしくも麗しいキャラクターだけど、天下無双の剣闘士と言うとちょっぴり無理がある。とはいえ剣闘士という名前から予想できるマッチョなアマゾネスのような姿態を持ったキャラクターでは、得られる感動の内容にも変化が生じてしまう。そこはそれ、フィクションだから何でもありってことで、ここは物語をそれとして理解しつつ、絵は絵として楽しませて頂こう。


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