テキトー王子、父になる!(七人)。

 ライトノベルの世界では、いきなり“娘”が何人もできて、お父さん役をやらされる羽目になってしまう少年の話とか、すでにあってベストセラーになっていたりするし、いきなりお母さんがいっぱい出来てしまうような、そんな話すら既にあったか、仮にあっても不思議ではないくらい、さまざまな手練手管を駆使して、意外性のあるシチュエーションを作り出そうと、作家たちが躍起になって探求している。

 それは無茶が過ぎるだろう、といったものも中にはあったりするけれど、そうしたあり得ないシチュエーションを生み出す思考プロセスを、楽しもうとするのもひとつの方法なだけに、あり得ないといって頭から否定することはできない。義理の妹が何人できても、それが普通になってしまった世界を描いたライトノベルのように、探求の成果がある朱の“革命”を起こした例もあるのだから。

 その意味でいうなら、いきなり7人の子供が出来てしまうというのは、なかなかに凄まじいケースに当たりそうだけれど、不思議なことに汐見まゆきの第13回えんため大賞ガールズのベル部門奨励賞受賞作、「テキトー王子、父になる!(七人)」(エンターブレイン560円)を読んでも、なるほどこれならあって普通だと思えてしまうから、不思議というかよく考えられているというか。

 マーテル王国の第4王子、リヒトは顔立ちこそ良いものの、性格の方はいたってのんびりしていて、とくに父王を助けるわけでもなく、学問や武術にはげむこともしないで、川に出て釣りばかりして遊んでいる。国は「白鳥王子」と綽名されるくらい聡明な第1王子が王位を継ぐことが決まっていて、武勇に優れた第2王子は「獅子王子」と呼ばれ兄の右腕となり、頭脳明晰な第3王子は「狼王子」と呼ばれてやはり、兄の左腕となって国を支えていくことになっていた。

 リヒトはといえば魚を釣り、顔立ちと身分に惹かれてあつまる女性を釣ってばかりいたため、ついた綽名が「釣り王子」。国にいても穀潰しと呼ばれるだろうことは確実な彼に、その身を活かす最大のチャンスが訪れたとあって、父王は否応なく飛びついた。それは、大国バフラムの女王、アマリリアの婿になるというもの。当然ながらリヒトは嫌がったものの、決まってしまったことに逆らい、国を飛び出すほどの甲斐性もなく、馬車に揺られてバフラムへと赴く。

 宮殿に着くと待っていたのはミヒャエルという青年で、切れ者そうな彼に先導されて宮殿内を歩いていたとき、リヒトはミヒャエルを「おにいたま」と呼び、宮殿内を走り回る少年や、その少年の子守役らしい少女と出会う。いったい何者? そして女王の部屋に入った時、リヒトはそこにまた1人、先に出会った少年とは双子らしい少女とも出会い、さらにそうした若者たちが、そろってアマリリア女王の子供だと知って仰天する。

 子守かと思った少女が、実は王位継承権を持つ第1王女のクレーエで、ミヒャエルがその下にあたる第1王子。双子は女王の現時点の末子で第3王子のロランと第4王女のマリアで、ほかに美少女だけれど口の悪い第2王女のジゼルがいて、発明好きな第2王子のアーペルがいて、病弱な第3王女のアルマがいてと、都合7人の子供が、アマリリア女王には既にいた。

 16歳で最初の結婚をして、クレーエを生んだアマリリア女王は、その夫とすぐに死別し、その後も結婚と離婚を重ねながら7人の子供を産み育てた。いったい年齢は幾つなんだ、というのはリヒトでなくても気になるところだけれど、クレーエを筆頭に見ても30歳も半ばに達した女盛り。17歳のリヒトといささか歳の差はあっても、政略の絡む王家の婚姻では不思議はない。

 かくして7人の子持ちとなってしまったリヒトにいったい、どんな新婚生活が待っているのか? といったところで話は大きく揺らぎ、リヒトの立場を、とてつもなくゆらゆらとしたものにしてしまう。そして、ミヒャエルは聡明さの裏の怜悧さをちらつかせながら何かを企み、クレーエは相変わらずに自分を卑下して、内向きな姿をより強める。もっとも、そんな姿をジゼルは裏があるんだと、リヒトに対して耳打ちする。

 混迷する宮殿。錯綜する情報。誰が見方で誰が敵か、まるで解らなくなったものの、リヒトは城から逃げ出して故国に帰ることもなく、ほんの僅かな時間を接して、憎からず思うようになったロランとマリアの世話を焼き、健気に見えるクレーエを支え、ジゼルにも優しく接し、アーペルの発明品を喜んで受け取り、森に入って迷ったアルマを助け、ミヒャエルにも真正面から挑んでいく。

 誰もがアマリリア女王を母親として敬愛し、誰もがバフラム国の未来を考え行動し、たとえ不安に駆られても、そこから逃げることなく、自分を確立していこうとする前向きさを持った子供たち。そんな姿に、彼ら彼女たちの父親という立場になってしまったリヒトも、テキトーさの中にしっかり芯を通して振る舞うようになっていく。出会いがもたらしたそれぞれの成長が、「テキトー王子、父になる!(七人)」には描かれる。

 少なくない寂しさが、そうした成長のきっかけになっていて、幼いロランやマリア、アルマを思うなら、そこまでしなくてもと作者の設定に悲憤も浮かぶけれど、それも決してあり得ないことではない。いつか必ずくるそうした日々を身に覚え、未来を考える糧になると思うこともできる。だからこそ作者には、「テキトー王子、父になる!(七人)。」の続きを書いてもらって、さらなるピンチを父と子たちに与えては、結束と成長の喜びを感じさせて欲しいと切に願う。


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