Talkingアスカ

 「おんなのこって、おんなのこって、フクザツね」。

 と、謡われたのは中世フランスの詩人が紡いだ流麗な言葉の中、ではなく名古屋近辺に根を張っていた、靴のチェーン店「マルトミ」のテレビCMでのこと。近隣の住民のとりわけ男性は、テレビで連呼されるこのフレーズに、女性というものは複雑怪奇な存在であるとの認識を、深く脳裏に刻まれた。

 結果、その複雑さに臆してしまって、攻めるより以前に退却を決め込む男性も相当な数あらわれた。結果、名古屋近隣の男性の著しい既婚率の低下が起こった、という統計が出たという話は聞かないけれど、一部であっても影響を及ぼした可能性はあるようだ。

 なるほど、見渡せば、女の子は複雑なんだと決めてかかって敬して遠ざけ、未だに独り身を貫く男性も身近にいたりする。幼き日々の思想信条のインプリンティングが持つ恐ろしさ。噛みしめるよりほかにない。

 では、本当に女性とは複雑な生き物なのか。そうかもしれないし、逆に単純なのかもしれない。そのどちらでもあって、どちらでもないのかもしれないといったことが、松村栄子の短編集、「Talkingアスカ」(ジャイブ、520円)に収録された短編群から見えてくる。

 登場する女性は、小学4年生の少女から、30歳を過ぎてしまった女性までと様々。世代は離れているけれど、それぞれに複雑でもあり、単純でもある心理をかかえて生きているんだということが、収録されたエピソードから見えて来る。

 まずは冒頭に収録された「悩める女王様」に登場する、小学4年生のサヤカちゃん。それなりに美少女だと周囲の大人たちからいわれていて、だったら自分は女王様なんだということにして、同級生のミキちゃんという、あまり目立とうとしない女の子が自分は小間使いだと主張するのを受け止めて、一緒になって女王様と小間使いごっこを楽しんでいた。

 もっとも、サヤカちゃんの心のどこかには、大人になったらミキちゃんはどんどんとキレイになっていって、自分は今ひとつの普通の大人になるんだという自覚もあって、逆転されて平凡に生きていくだろう将来を思って、密かに悩んでいた。

 そんなサヤカちゃんは、同級生の村井くんが気になって仕方がないけれど、彼はとりたててサヤカが好きだというそぶりはみせない。鈴木くんから好きだと告げられても、村井くんのことが頭にあったのか、おともだちでいましょうよといってその場を収める。

 そんなサヤカちゃん。ミキちゃんには告白されたよと自慢するフリをしつつも、本当に自分はみんなに好かれているんだろうかと考えて、ミキちゃんに素知らぬ顔をして聞いてみる。そこで、ミキちゃんも実は村井くんのことが気になっていると分かってしまう。

 それでサヤカちゃん。女王様なんだから「おーっほっほ」と高笑いすべきところなのに、なぜか「うふふ」って小さい声が漏れただけ。諦めと、執着と、友情と、嫉妬が入り交じった複雑な声だったのだろうか。

 分からないけれど、そうだとしたらわずか10歳にして、女性は複雑な心理を、恋心を通じて会得してしまう生き物なんだということになる。ちょっと凄い。そして恐ろしい。幾つになっても実直で、単純な男性のかなう相手じゃない。

 「窓」という短編には、予備校に通っている少女が登場する。ふと見た窓の外にある屋上から飛び降りようとしていた青年が気になって、屋上へと出向いて彼と知り合いになる。もう飛び降りることなんてなさそう。と、安心していたある日、青年が屋上の鉄柵を乗り越えて、ふわりと宙を舞う姿を見てしまう。

 予備校生として大学進学のために必死に勉強しているはずなのに、命を人質にしたような青年には目を奪われてしまう。それは優しさなのか。逃避なのか。窓の外を眺めている少女に、どうして必死に勉強しないんだと詰め寄る予備校の同級生の男子には、考え及ばない複雑な思考の持ち主だと、思われたに違いない。

 そして「高級な人間」。子供の頃、誰も彼もが自分を好きだといっていた昔を思い出して、それなのに誰も自分とは結婚しなかった現在を憤り、同窓会で暴れていた30歳近辺の女性がいた。そんな自分をたしなめ、酒場に引っ張っていったのがタツヤという男性。子供の頃、自分が婚約しようといって断った、ただ1人の男性が彼だった。

 実はタツヤは昔から女性に気があって、けれども前日に同級生のアキオと婚約した口で自分との婚約を口にする女性に、素直に好きだといえなかった。純情過ぎる男性心理。なのに女性はそんなタツヤに「じゃあ、結婚する?」と間髪を入れず誘いをかける。「そういうことは、もうちょっと高級に悩んでからじゃないとな」とタツヤは迷う。

 結婚したい。そして好き。だから告げる女性の、当人にとっては単純明快な言動も、男にとっては複雑怪奇な割り切りぶりにしか映らない。「おんなのこって、フクザツ」だというのは、男性側の思い込みに過ぎないのかもしれない。

 タイトルの「Talkingアスカ」は、友人のマミと電話で話すアスカという少女の、10本のおしゃべりで構成された中編。そこには東大に合格したのに進学せず、ネットで受験指導する仕事を始めた兄のこととか、そんな兄の行動から来る自分へのプレッシャーのこととか、そんなプレッシャーをかけられても、将来に何がしたいのかが見えないぼんやりとした不安とか、学校に来た教育実習の先生のこととかが、とりとめもなく語られる。

 浮かぶのは、女の子たちのありのままの現在だ。まだ20歳にもなっていないのに、人生の可能性の半分くらいは失われてしまったかもと、悩むマミをとんでもない、まだまだ可能性ばかりじゃないかと目上の人が叱るのは簡単だけど、当人たちにとって、それが人生のすべてとなっている学生生活、楽しくて充実している学生生活から離れ、どうなるのか見えない将来をうかがう不安は、とても大きい。

 笑いながらも悩んでいる。悩みながらも笑うしかない、そんな年頃の女の子の複雑な心が、電話を通したとりとめもない会話の中から浮かんで来て、いじらしさやいたいけさに同情の気持ちが沸いてくる。やっぱり「おんなのこって、フクザツ」なのかもしれない。

 複雑なのか。単純なのか。いったいどちらなんだといった声もあるけれど、どちらとも決められないという状況を、様々なエピソードから示した短編群は、すなわち女の子の複雑さを描いたものなのだと、いえばいえるのかもしれない。同時に、そんな女の子の伺い知れない心理を表層から眺め見て、複雑なんだと悩む男性の単純さも暴いた短編集なのだろう、この「Talkingアスカ」は。

 男は、女に、勝てない。永遠に。


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