酒国
特捜検事丁鈎児の冒険

 中国の現代小説と言われると、かの抑圧的な政治体制を批判するような、暗い呪詛に満ちた内容だろうと決めつけて、引いて見ていた時期がありました。けれども昨年、賈平凹(チア・ピンアオ)という人の、「廃都」(吉田富夫訳、中央公論社、上下各2200円)という小説を読んで、体制の腐敗を批判する、毒に満ちた内容もさることながら、権力にすり寄り、権力に媚び、権力に取り込まれて生きていく文化人たちの生態を、おもしろおかしく描き切った筆致のすばらしさに、圧倒されてしまいました。

 むしろ抑圧された体制下だからこそ、生まれてくる風刺の妙というものもあるようです。少数の資本家たちによって牛耳られていた時代も、それが打ち倒されて軍政が訪れた時代も、同じように抑圧され続けていた人々から、批判を魔術的な描写でくるんで暗喩して見せた、マジックリアリズムの作品群が生まれた中南米のように、中国では今、優れて「魔術的リアリズム」にあふれた作品群が生まれています。

 なにしろ西遊記の昔から、幻想的な物語を生み出す能力に長けた民族です。その想像力の広がり方は、せいぜいが平安時代のかぐや姫がルーツという日本人には、とうてい及ぶべくもありません。表層の幻想的な物語に酔いしれているうちに、裏にある暗喩の毒に染まっていき、気が付くと抜け出せなくなっている自分がいます。

 「酒国」(岩波書店、藤井省三訳、2884円)を書いた莫言という作家は、張芸謀監督の映画「紅いコーリャン」の原作者として知られています。この「紅いコーリャン」は、表面的には古い家父長制に縛られた農村の息苦しい生活とか、日本軍による残虐な行為とかを描いていた、大変に現実的、社会的な映画だったように記憶していますが、そんな農村に乗り込んできた男の傍若無人な振る舞いと、それに惹かれていく女の生き様などを見ると、突如として投げ込まれた異端の存在によって、現実が大きく揺らいでいく様が描かれていた、一種の魔術的リアリズム作品だったのではないかと、今になって思えて来ます。

 「酒国」は現実と非現実との境界が、さらに希薄になった作品です。冒頭から登場する特捜検事の丁鈎児(ジャック)が帯びた任務というのが、何しろ酒国という都市で権力者たちが子供を焼いた料理を食べているという情報を得て、真偽を確かめにいくというものです。脚があるものなら机と椅子以外は何でも食べるというお国柄ですが、だからといってさすがに人肉を(表立って)食べるということはありません。ですから、いきなりの非現実的な衝撃的な描写に、読者はまずギョっとさせられます。

 しかし突如として、読者は別の現実へと投げ出されます。作者と同じ名前を持った、あるいは作者自身ともとれる作家「莫言」が文中に登場して、李一斗という酒国市醸造大学混成酒専攻の博士課程に在学する大学院生から、手紙と短編小説を受け取ります。李一斗は莫言に短編を見てくれと頼み、莫言は短編を出版社に転送するとともに、李一斗に返事を書きます。

 さらにもう1枚、別のフェーズが登場します。すなわち酒博士こと李一斗が書いた短編小説の世界です。最初の「酒精」から「酒城」まで、都合9編登場する李一斗の筆になる短編は、李一斗の現実的な学生生活を描いているようでもあり、非現実的な酒国での出来事の数々を描いているようでもあって、曖昧になった現実と非現実との狭間で、読者はゆらゆらと揺れ動きます。

 権力をかさに着て横暴に振る舞う実力者たち、そんな実力者たちに媚びる民衆たち。小説家として身を立てたいと大志を抱いていた李一斗が、結果として権力に取り込まれてしまった様を見るにつけ、今の中国における拝権主義・拝金主義の、絶望的とも思える蔓延ぶりが伺えます。けれども莫言は、あからさまにはそんな腐敗ぶりを告発はしていません。一人のエリート検事が墜ちていく様を描き、一人の作家志望者が媚びていく様を描くことによって、社会主義と資本主義の悪しき部分が幅を利かせる今の中国の、混迷ぶりを暗喩しているのです。

 作中の莫言が描く「特捜検事丁鈎児」の物語は、意欲にあふれたエリート検事が、捜査に行った先で女に取り込まれ、酒に溺れて身を滅ぼし、絶望のなかで悲劇的なクライマックスを迎える場面で終わります。一方で作中の登場人物である李一斗が描く連作短編も、酒にとりつかれた老教授が、ついに猿酒の醸造に成功して、第1回猿酒祭で披露されることになった場面で終わります。

 両者の作品をつなぐ莫言と李一斗の往復書簡でも、酒を贈るだの酒がまずいだの酒の名前を決めてくれだの、そしてかの「紅いコーリャン」で、主人公の男が酒瓶に放尿した結果、美味な酒が生まれたというエピソードをめぐっての議論など、とにかく酒にまつわるエピソードが幾つも盛り込まれています。

 抑圧された肉体と精神が解き放たれるのは、服従した時でもなければ革命を成し遂げた時でもなく、ひたすら酒に溺れて、酩酊という非現実の世界に逃避した時だけなのでしょうか。だとしたら中国は、終末的に悲惨な状況にあると言えます。けれども酒に溺れて見る夢を、現実なのだと受けとめてしまった人たちの主観は、常に酩酊のなかで快楽に酔いしれ、生活を楽しみ、幸せを謳歌しています。酒を飲み酒に酔い酒に溺れる人たちの行動を、酩酊を自ら選択することによる、積極的な虚構への逃避だと考えれば、それもなかなかに革命的な振る舞いではないでしょうか。

 なんだか酒飲みの言い訳のような文章になってしまいました。とにかく「酒国」は、酒飲みの自己正当化を乗り越えて、現代にありながら5000年に及ぶ歴史と伝統を内容した、中国という摩訶不思議な国の有り様を、魔酒術的リアリズム(マジッカルコール・リアリズム?)で描いた、傑出した作品だと思います。


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