上海
魔都100年の興亡

 10年前に見た上海と、10年後に見る上海とでは、その様相は確実に大きく変わっているだろう。1年前と1年後ですら、目に見える違いを必ずや発見できるはずだ。日々移り変わる都市、日々膨張し続ける都市。上海の活力は、今や世界のどの都市をもしのぐ。

 93年11月に訪れた時の上海は、今まさに浮上せんとするパワーを露にして、眼前に広がっていた。「浦東」と呼ばれる、黄浦江の東側に広がる平べったい土地では、土埃が舞うなかで、古い建物がどんどんと取り壊され、新しい建物がにょきにょきと立ち上がりつつあった。3年経った今、浦東地区に建設中だった東洋一の高さを誇るテレビ塔は、上海で一、二を争う観光スポットとして、内外からの見物客を迎えて賑わっていると聞く。3年後にはいったいどれだけの建物が、新しく立ち上がって、バンド(外灘)から黄浦江を挟んで臨む、浦東地区の景観を変えていることだろう。

 巨大な人口を抱える中国に食い込むための橋頭堡として、日本を含む諸外国の上海に対するまなざしは熱い。それを受ける中国も、もっと南の広州、はるか北の大連という経済開放都市にも増して、上海とういう都市の役割を大きなものとして捉えている。東洋の金融センターとして機能していいた上海が、21世紀を迎えんとする今まさに、蘇ろうとしていいるのだと、そう見る人も少なくない。

 だが、いくら上海が近代都市として大きく発展しようとしていても、第2次世界大戦前、「魔都」の呼び名の如く、美しく、そして妖しく輝いていた当時の面影は、今の上海から見いだすことは出来ない。資本主義、言葉を換えれば拝金主義に席巻された、ただ巨大なだけで、それ意外はごくありふれた、ごくごく普通の「都市」に過ぎなくなっている。そう見える。

 英国人ジャーナリストのハリエット・サージェントが「上海 魔都100年の興亡」(浅沼昭子、新潮社、3000円)で描こうとしたのは、50年もの停滞期間を経て再浮上を始めた今の上海ではなく、阿片戦争直後に英国人に租借された1842年から、日本の敗戦、国民党の敗北を経て中華人民共和国の成立によって完全に息の根を止められた1949年までの、「魔都」が真に「魔都」であった時代の上海だ。

 1954年生まれのサージェントが、もちろん「魔都」としての上海を、その目でみているはずはない。文化大革命直後に仕事の父親に連れられて、少女だったサージェントが訪れた上海は、「魔都」を「魔都」たらしめていたソフトウエアの部分は完全に消し去られ、ただバンド(外灘)に立ち並ぶ西洋風の巨大な建物群だけが、往時のにぎわいを忍ばせるだけだった。

 精神を失った抜け殻に過ぎない当時の上海を見て、サージェントはかつて世界中から人々が集まり、夜毎華やかな宴が繰り広げられていた「魔都」上海の面影を探し求める旅に出る。かつて上海に暮らした外国人たち、共産党による革命と、文化大革命を経た上海に留まり続けた老人たちにインタビューを行い、それを列記していくことで、かつての上海の面影を描こうとしている。

 上海の栄枯盛衰を概説した第1章を終え、第2章としてまず描かれているのが、「白系ロシア人」たちが上海で出会った過酷な運命だ。ロシア革命によって祖国を後にしたロシア人は、大半が帝政ロシアで高い地位を得ていた、貴族や富豪、その子弟たちだったろう。だが、失われた祖国でいくら高い地位を得ていたと彼や彼女たちにとって、着の身着のままでシベリアを越えて、あるいは船でたどり着いた上海は、決して優しい都市ではなかった。

 「身分の保証がないために、白系ロシア人は上海に住むほかの外国人からも軽んじられた」(62ページ)とサージェントは書く。「上海の白系ロシア人の大多数は帝政ロシアの半封建社会で快適な生活をしていたので、上海の厳しい資本主義にうちのめされた」(80ページ)。そして男たちは酒に溺れ、路上で朽ちていった。

 女たちはさらに不幸な運命を辿った。バーでホステスとして働き、生活のために男に身を任せる者が少なからずいた。高貴な生まれの少女たちを、男たちはどんな気持ちで抱いたのだろうか。立場の逆転が男の征服欲を刺激して、さぞや倒錯的な饗宴が繰り広げられたことだろう。そうまでして生き抜いた上海を、白系ロシア人たちは、共産主義の勢力によって、再び放逐されることになる。幾度もの困難をくぐり抜けた人たちの口は、サージェントに対して今なお重い。

 阿片戦争に勝利したイギリスから、上海に移り住んだ英国人にとって、上海は古き良き思い出に満ちた都市らしい。「私のインタビューに応じた男性はみな、長身で格幅がよく、理想的な上海を語った。それは汚点のない、スリルに満ちた広大なアミューズメント・パークだった」(148ページ)。都合の悪いことを忘れてしまう人間の美徳がなせる技かもしれないが、それでも支配層として長く君臨し続けた英国人にとって、上海は、かつての大英帝国の栄華を証明する、1つの雛形だったのだろう。

 サージェントの筆は、日本の支配下にある上海に暮らした日本人、そして奥地や沿海から仕事と金を求めて上海に集まってきた中国人にも及ぶ。日本の支配下で上海は、かつての「魔都」としての賑やかさ、華やかさは失ってしまってはいたが、狭い島国から雄飛を夢見て大陸に渡った日本人には、なおも妖しい輝きに満ちた「魔都」として映ったことだろう。

 「1949年、上海は中国共産党の手に落ち、一つの扉が閉ざされた。そして文化大革命中、その扉に永遠の閂がかけられた。こうして一つの世界が失われた」(7ページ)。

 おびただしい犠牲を出して、文化大革命が終焉を迎えた後の中国で、改革開放経済政策のもと、上海にかけられた閂が、中国人の手によって抜かれ、そして扉は、世界に向かって開け放たれた。中国人のイニシアティブの元で、再浮上を始めた今の上海を、かつて上海に暮らした白系ロシア人は、イギリス人は、日本人は、そして今も上海に暮らす中国人は、どう見ているのだろうか。確かに活気はあるが、美しいものであれ、悲惨なものであれ、人の記憶に強烈な印象を残すほどの「個性」にあふれた都市のようには見えないのだが。

 あるいはこれからの10年で、かつてのような「魔都」上海が復活するかもしれないし、逆に共産党支配下の「廃墟」としての上海が再来するかもしれない。「魔都」上海をあぶりだしたサージェントの筆が、再浮上する上海を、そして混沌に満ちた未来の上海をどう見ているのかに興味がある。やがて来るべき21世紀にサージェントが再び上海に立ち、文化大革命を経て再び動き始めた後の上海を描き出してくれることを強く願う。


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