スーパーカブ

 父親が早くに亡くなり、女手ひとつで育ててくれた母親も逐電してしまった小熊という名の高校1年生の少女が、両親の親戚も頼れず困っていたものの、どうにかこうにか奨学金を得てアパートにひとりで暮らして高校に通い始める。それが、トネ・コーケンの「スーパーカブ」(スニーカー文庫、600円)という小説の設定だ。

 坂道も多い場所で自転車での移動はなかななかに大変。そこで原付を買おうと思いバイク屋に行き、慎ましい生活の中でやりくりして貯めたお金を使って、訳あって破格の値段になっていた中古のスーパーカブを1万円で購入し、ヘルメットやグローブももらってそれで学校に通い始めたら、クラスでも目立つ美少女で、こちらは父親は市議会議員で母親は仕出し弁当やを切り盛りしているお嬢様の礼子が話しかけてきた。

 彼女もカブに乗っていた。それも赤いMD90、通称郵政カブに乗っていた。そして始まる小熊の日常、礼子との交流のストーリーは、貧困にあえぎながらも暗くはならず、忍従しながらも前向きな小熊が、惰性に流されず自分自身でやってみたいことを見つけ、そして大きな冒険にも挑むといった展開が、淡々とつづられていく。読めば誰もが自分の日常を幸せと思い、そうでない人も充実した日々を得るにはちょっとしたきっかけと、同じ好みを持つ仲間を持つことが必要だと思いそうだ。

 不思議なのはそれが、ライトノベルのレーベルでは老舗のスニーカー文庫から刊行されたこと。剣と魔法の異世界ファンタジーや異能がぶつかりあう学園バトルといったカテゴリーからはまるで外れ、ラブコメでもない内容はライトノベルのマーケティング的な常識から大きく外れている。もっとも、そうしたカテゴリーの意識などライトノベルが売れるようになって、その上澄みをすくって煮詰めたようなものに過ぎない。

 あらゆるジャンルを貪欲に取り込み本として送り出し、そこから自分好みのジャンルを、ストーリーを、設定を見つけて楽しむことが出来たのがライトノベルとするならば、スーパーカブに乗る女子高生の日々が綴られた青春小説が刊行されても少しも不思議ではない。まずは読んで気に入るか、気に入らないかを判断することが必要だ。

 困窮しているとまではいかなくても、無利子の奨学金だからいずれ借金としてのしかかてくる。アルバイトをしても大金を稼げるようなものではなく、娯楽を捨て日々の食費も切り詰めて生活している小熊の日々。それが、情動を誘うものでもなければ、境遇を卑下するでもなく、平常心を保ったまま彼女自身の目線で綴られていくから、読んでいて引かず、のめり込みもしないでいっしょに毎日を送っていける。

 「一人ぼっちで何も無い小熊の何も無い高校生活。今日からはカブがある。ないないの女の子はこれから、世界でも最も優れたバイクと一緒に暮らし始める」。そうやって始まった小熊の、ガソリンを入れてオイルを交換し、収納ボックスやカゴを取り付け自分が使いやすいようにカブをいじっていく姿から、1台のバイクが彼女に与えた影響の大きさを知る。夢中になれるものがあるだけで、人は毎日をしっかりと生きていけると思わされる。

 そこには、苦労した暮らしの中で何かを達観をしているような小熊の心理もあっただろう。加えて、カブを通じて知り合った礼子との交流も、都会に暮らす女子高生たちとは少し、というより大きく違った毎日を彼女たちに送らせ、潤いと張り合いのあるものにしていった感じがある。

 礼子は美人で社交性もありながら、親元を離れて別荘がある山梨の高校に通い、カブに乗って富士登山を目指そうとする。夢を叶えるためには冒険すら辞さない強い意志の持ち主。そんな礼子に影響されたか、カブにとっては少し重たい冒険に小熊も出ていく展開に、誘い誘われる関係の素晴らしさを見る。刺激し合って2人はこれからどこを目指すのか。カブという決して速くもなければ華やかでもないバイクが、女子高生という存在するだけで匂い立つ存在をどこに向かわせるのか。想像してみたくなる。

 そもそもがスーパーカブに乗っている女子高生2人がメインキャラクターという状況が、普通だったらあり得ないものとして思えるけれど、読んでいると不思議とそういったシチュエーションはあって良いものと感じられるようになる。それもまた説得力のある文章であり、組み立てられた物語の成果と言えるのかもしれない。

 ライトノベルというドリーミーでファンタスティックなカテゴリーにおいて、リアルでシビアでちょっとだけユーモラスな青春を描いた作品を、読むのは果たして誰なのか。残る興味はそこか。いったい何がと驚かず、まずは手にとって読んでみよう。送り手の側よりもむしろ読者の側にある壁を壊してくれる1冊になるはずだから。


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