少し変わった子あります

 喧噪の中に身を置いて、はしゃぎ回りながら世界と今、自分は繋がっているのだとう実感を、その時だけ得られたとしても、家に帰って我にかえればひとりきりでしかない自分。はしゃいでしまった分だけ孤独感もぐっと強まり、どこにも繋がれない寂しさが身を苛む。

 ならば最初から人間はひとりなのだと身を律し、孤独と対峙しながら自分を考え、社会を考え、世界を考えるのがより意義深い生き方ではないのだろうか。そんな、日常に追われ人々の間で揉まれて生きている暮らしでは、なかなか気づかないし気づきたくないことが、森博嗣の「少し変わった子あります」(文藝春秋、1381円)を読み終た頭に、ふわっと浮かんで背けていた目を真正面へと引き戻す。

 大学教授の小山が、友人の荒木から聞かされていたのは不思議な料理屋の話し。行くと30代の女将が出迎えてくれて料理を出してくれる。来店者はそれを食べて帰るだけ。ただし絶賛はせず、相手に対しての礼儀か、あるいは自分にとってまたその店に赴く言い訳にするために、どこか心残りがあるようなことを言って辞去するのが来店者の嗜みになっている。

 その店にはさらに変わったシステムがある。女将に頼めば、毎回違った女性を相手に食事が出来るのだという。ホステスではないし、売春の相手ではもちろんない。ただその場で適宜会話を交わすのみ。本当のことを話しているという保証はない。それで食費は2人分を客が持つ。傍から見れば何の特もない、むしろ丸損の仕組みだと聞いた小山は当然ながらそう思った。

 けれども、一期一会を突き詰めたそんな関係が、何故か妙に心地良いものなのだと荒木は言う。そういうものなのかと聞いていた小山だったが、ある日、荒木が突然に失踪してしまった後、手がかりを求めるという名目で、小山は荒木から聞いていた番号に電話し、迎えの車に乗って料理屋を訪ねては、そこで荒木と同じように見ず知らずの女性と食事を摂る。

 現れたのは、料理屋に頼まれ誰かと食事するのはこれが初めてだという女性。その立ち居振る舞いを美しいと思い、ゴジラが出てくる遊園地という不思議な夢の話を彼女から聞いて興味を抱きつつも、その場限りとするのがルールと分かれてそれっきり。連絡など取りようがなく、やがて彼女の顔すら思い出せなくなってしまう。

 しかしそこで終わりにはしなかった。特定の彼女ではなく、誰かと食事をして会話を交わすことに何かを感じた小山は、程なくしてまた店に電話し、前とは違った場所へと連れて行かれては、やはり前とは違った女性を相手に、前とは違うメニューの食事をして、そして何もしないで分かれてそれっきりを繰り返す。

 金銭的にも時間的にも負担を強いられるのは小山の方。肉体的な見返りは得られない。女性との時間に何かを目論む男性だったら苛立ち怒りはじめるところを、小山は向かい合わせで食事をする女性の立ち居振る舞いを見ることで端整さとは何かを感じ、美しさとはこういうものなのかもしれないと思う。女性との少ない会話をしたことによって、自分の置かれている環境を見つめ直し、自分は何者なのかを考え、過ぎ去った過去を夢見続ける不可能さを知る。

 そして前へと向かい歩み出す気持ちを心に育む。

 登場する女性はタイプもばらばらで態度もさまざま。思うにそれらは自分の中に眠っていた、あるいは眠らせていたさまざまな可能性なのかもしれない。食事する女性の姿を見ることは、すなわち自分の姿を鏡に写して見ること。自分には欠けている部分、自分の中に眠っていた部分を彼女たちを通して感じ取り、外側へと引っ張り出していく。

 そんな小山の姿を見ることで、読者もまた結局は孤独である己を知り、けれども孤独な己の内にある広がりを知って、生きる覚悟、生き続ける覚悟を得る。

 教訓めかしたところなんてまるでない。ただ淡々と食事が出てきて、女性が現れ、会話し分かれるストーリーだけが繰り返される最中に、少しづつ、留まらない時間の大切さを思い知らされ、その貴重な時間の中で何を本当にすべきなのかと考えさせられる。決して長くもなければ派手でもないのに、奥深くて意義深い物語。読めばたとえ喧噪に身を委ね流されていく快楽に溺れた人でも、ひとり、生きていく覚悟を心に抱かされるだろう。

 エンディング。最初に消えた荒木がどうして消えてしまったのかが示されないまま、小山の次の”世代”へと主人公は移って行く。そして新たな懐疑と納得の物語が幕をあける。荒木や小山や磯部といった物語の主人公のようには安易には消えられない、守らなくてはならない現実を持った人たちにとって、繰り返される失踪と捜索の連鎖は、自問し自答していく人生であっても、少しは進んでいるんだという安心感を与えるものなのか、それとも所詮は巡る連鎖に囚われた悲しい生き物なのだという諦念をもたらすのか。

 いずれでもあり、いずれでもないのだろう。ようは気の持ちよう。思うところがあるならそう思い、動けば良いだけのことなのだ。だからさあ、電話をしよう、女将の店に。そして最高の場所での最高の食事と、向かい合わせに座る少し変わった子をお願いしよう。

 答えはそこで手に出来る。


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