ストーンエイジCOP
STONE−AGE COP

 自分って何だろう? そう自問してどんな答えを返せるだろうかと考える。顔、まずまず。背、まあまあ。職業、それなり。趣味、ほどほどに下品。容姿履歴性向の類を並べるだけでも自分を確立する要素には事欠かない、と思われる。これに本籍に原住所といった戸籍に関する情報と、血液型、指紋といったそれぞれに固有の情報といったものが乗れば、何百億人間がいようと自分が自分であることを、自分がたとえ疑ったとしても客観的に自分は自分でしかないんだと決定づけられてしまう。

 テクノロジーが進歩して、DNA鑑定なんてものが出てきてますます自分が自分以外のものにはなれず、自分以外のものは自分にはなれないと、そう思い込みたくなるのも仕方のないことかもしれない。が。そのテクノロジーの進歩が今度は逆に自分以外のものを自分にしてしまう可能性をもたらそうとしている。

 容姿なんて手術で自在に変えられる。指紋は難しいけれどだったらデータを登録してあるデータベースの方をハックして変えてしまえば良い。住所その他もこれに同じ。そしてDNA。生きた人間のこれを変えるのは不可能だけど、生まれて来る人間をすでに生きている人間と同じとすることは可能だ。クローン技術。現実にはともかく机上では空論の域を超えたこの技術が一般化した時、そしてそんな技術を使った自分と同じ容姿で戸籍で指紋でDNAを持った誰かが現れた時、それでもあなたは自分こそが自分だと言い張れるだろうか。

 藤崎慎吾の「ストーンエイジCOP」(カッパノベルズ、848円)で示されるのは、そんなテクノロジーが進歩した近未来において、揺れ動く自分というものの存在意義だ。どれほどまでに自分というものが立っていた基盤が脆弱なのかということが暴き出され、揺らぐ絶対性に気持ちを不安にさせられる。

 2002年でさえ売っていないのは生き物くらいといわれるコンビニエンスストアは、2030年代にはますます何でも扱うようになっていて、あるチェーンでは本格的な整形だって店頭で行えるようになっていた。コストのかかる人間の店員なんておらず、「コンビニCOP」と呼ばれる企業に雇われ警察から逮捕や捜査の役割を委嘱された警官たちが時折警備に回っているだけ。そんな間隙を付いて、コンビニを襲う少年少女たちも少なからずいて、その日も家出して公演で暮らす少年少女の一団にあるコンビニが襲撃された。

 生憎とそのコンビニには「コンビニCOP」の滝田治が詰めていて、襲った少年のひとりを捕まえることに成功した。どうしてコンビニ強盗なんかしたのか。帰る家はないのか。詰問に答えて少年が言うには、母親に反抗して数日間、家を飛び出し人気のゲームソフトのキャラクターと同じ顔に、コンビニで整形して遊び回ってから帰宅すると、そこには以前の自分にまるで同じ顔の少年がいて、母親もそれを我が子と信じてしまっていて、少年は自分の家から追い出されてしまったらしい。

 一体どいういうことなのか。滝田は少年の家へと出かけて行き、そこにいた少年と同じ顔をした子供の遺伝子をこっそりと調査しようとするが、それから数日を経ずして周囲に奇妙な男が現れたり、事件を追うなと上司からプレッシャーがかかったりして、滝田に事態の裏にある謎の奥深さを感じさせる。少年に何が起こったのか。街に何が起ころうとしているのか。滝田の追究が始まり、やがて事態はバイオテクノロジー全盛の時代に、相応しくもおぞましい陰謀へと発展していく。

 本筋となる事件の裏側にあった、バイオテクノロジーの進歩がもたらすある意味では福音だけれど、ある意味では神をも畏れぬ所業とも言える陰謀の設定は興味深い。2030年代かどうかは別にして、遠からず実現するだろうテクノロジーの誘惑に人間はどのような反応を示すのかを見せてくれる。

 それとは別に、2030年代の在り様の描写もまた大変に興味深い。地球の温暖化が進んで亜熱帯化した日本の都会は、公園がまるで温室の中にあったジャングルのように深い木々が生い茂る場所となっていて、家族の軋轢やさまざまな事情から家を出た少年たち、少女たちが集まりちょっとしたコミュニティを作って暮らしている。

 昔ながらのポリバケツ漁りによって食べ物を得ているホームレスもいるにはいるけれど、少年たち少女たちは違って公園のジャングルに生息している、家庭から逃げ出したか捨てられたかした動物を捉えて食べる一方で、頭の良い子供が中心となった電子的な収入活動も繰り広げたりしていて、下手をしたら家にいるよりよほど気楽に楽しい生活を送っている。2002年の現在、増え続けているホームレスや増え続けている自殺者遺児の数を見るにつけ、2030年といわず10年以内に訪れそうなビジョンかもしれない。

 面白いのは、一切の電子的、バイオ的な身分証明の手段から隔絶された公園のジャングルに暮ら少年や少女のそれぞれが、確固たる”個”を確立していることだ。いわゆる”魂”に近いニュアンスを持つそれは、クローンで作られた人間と人間から生まれ育った人間とを見分ける手段にもなっていて、物語の中で大きな役割を果たす。そして身内だけが感じとれる直観めいたものも、同様に人を見分ける手段となっている。電子的、バイオ的にまったく同じ存在にどうして違いが生まれるのか。明確な説明はないけれど、それがいわゆる「神の摂理」という奴なのかもしれない。

 コンビニCOP滝田に謎が多く、彼にしか見えないまるで守護霊のような「猿」の存在が明確には説明されていなかったり、滝田がコンビニCOPになる直前に記憶喪失になった原因も明確にされず、説明不足感にいささか苛立つ。もっともそうした謎を引きずることで、続編への興味がかきたてられるのもまた事実。シリーズ化が意識されていそうな雰囲気もあるようで、その辺りはこれかおいおい明らかにされていくものとして、今後の展開に期待を表明しておこう。


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