SPACE SHIP EE

 この広い宇宙に、自分ひとりだけいればいいやって思うことがある。みんないなくなってしまって、自分だけが残されたらなんて素晴らしいんだろうと、そう考えてみたくなる時がある。学校で、会社で、家庭で、友だちどうしで辛いこと、哀しいこと、怒りたくなることがあったときに、そんな願いが心をつきあげる。

 でも、本当に心の底からそう思い、そう考え願っているんですかと聞かれると、「はいそうです」とはまっすぐには答えにくかったりする。落ち込んでいる気持ちがピークの瞬間だったら、120%の強さで「そのとおりです」と返事をしてしまうかもしれないけれど、しばらくたって気持ちが落ちついてくると、本当にそうなのかな、ひとりでずっといたいのかな、なんて気持ちが浮かんできて、120%だったはずの決心を迷わせる。

 どうしてそんなことで迷うんだろう。どうして120%の決心がどんどんと落ち込んでしまうんだろう。それはたぶん、というか絶対的に人はひとりでは暮らしていけない生き物なんだからだと思う。だれからいるから辛かったり、哀しくなるということはつまりだれもいなかったら辛くも、哀しくもなれないということ。そしてもちろん嬉しくも。

 だれもいなくなってしまえと思う気持ちは、だれかにいてほしいと願う気持ちの裏返し。背中合わせに存在して、浮かんだり沈んだりする感情にそってクルクルと変化する。強がりで、そのくせ寂しがりやの人間の、不思議でおかしく、そしてとっても美しい心の模様がタカノ綾のSFコミック「SPACE SHIP EE」(カイカイキキ、1600円)に描かれる。

※     ※     ※


 氷田のしは23歳の女の子。ましかくの会社で事務の仕事をこなしているけど、ましかくな人たちばかりの同僚とはなかなか交われずにいて、ひとりぼっちの辛い気持ちをいつもかかえながら、それでもいつか個人用宇宙船を買って宇宙へと飛び出すために、心を殺して会社に通い続けている。

 ところがある日、つきあっていた刈屋くんにのしの会社の同僚が好意を持ってしまい、のしをじゃま者扱いしたことから、のしの心は大爆発してしまう。自分はだれからも必要にされてないんだという気持ちが、自分いがいを消してしまうかわりに自分自身を消してしまえばいいんだという結論になってしまったのか、千葉にある宇宙センターから宇宙船をうばって宇宙へと飛び出し、そのまま行方知れずとなってしまう。

 それから3週間。ひからびかけた体で宇宙をさまようのしを1隻の巨大な宇宙船が救出した。それが「SPACE SHIP EE」。移民した先の星が戦争で暮らしにくくなって、故郷の星へと向かおうと飛び立ってからおよそ300年、今も22万もの人たちを乗せながら、「EE」は故郷の星を探して宇宙空間をさまよっている。

 遭難者にもよく会うらしく、のしもそんなひとりとして地球に向かう船と「EE」とが出会うまで(地球に戻る気があれば、だけど)、ほかの乗組員たちと同じ仕事に就くよう求められ、まずは農場での畑仕事を手伝うようになった。そんなのしの前に現れたのが、他の乗組員から一目おかれるめぐという名の少女だった。

 セイラゴンと呼ばれる階層が支配する「EE」で、まだ若いエンジニアのめぐがどうして特別な立場に立っているのか。理由はめぐが「星を継ぐ者」だったから。高次な存在が作ろうとしている、この宇宙とは違う「次の宇宙」で軸になるのが「星を継ぐ者」と呼ばれる人たち。宇宙に3億体、散らばっているといわれていて、なかでもめぐは重要な鍵になる存在だったらしい。

 もしもめぐが「星を継ぐ者」の役割を受け入れてしまうと、「次の宇宙」の誕生とひきかえに今の宇宙は消えてしまう。だからセイラゴンは、当初めぐを自殺に追い込もうとして、友だちや恋人からめぐを隔離しようとした。けれども「EE」にまぎれ込んでいた高次な存在の手引きでめぐは逃げのび、死なない体を与えられた上でふたたび「EE」へと戻された。殺そうにも殺せないめぐを、今度は宇宙を消そうとしている勢力に対抗できる材料と認めたことが、めぐを「EE」内で誰からも知られている存在へと押し上げたのだった。

 自分が消えるしかなかったのしとはちがって、望めばぜんぶを消してしまえる立場にあるめぐが、どうして「EE」のなかに留まったままでいるのか。「戦争で死ぬ人と新しい宇宙が出来る時に消滅する人との量の比較や量じゃわりきれないこととかのはざまで私はつねにゆれている。今も」。そうめぐはいうけれど、ゆれがいつか片方へと傾き、すべてを消してあたらしい宇宙へと行ってしまわないとも限らない。

 それでもしばらくは、今の宇宙を「EE」でさすらい続けるように感じるのは、めぐが出会って来た人たちや、のしのようなこれから出会っていく人たちとの関わりが、重なり思い出となってめぐをひきとめるだろうから。たとえひとりぼっちになっても、宇宙の真理に近づきたいという気持ちを押し止めてくれるから。それくらいに人は、人間は人々の間で暮らしていくことを望んでいると思うから。

 「のしや、カリヤはどうおもう?」。聞かれてのしは「そんなのわかんないよ」と返事する。のしでなく相手が別の人間でも、答えはやっぱり同じ「わからない」だっただろう。宇宙を消し去る力なんてもっていない、ときどきひとりぼっちの辛さに悩み、ときどき誰かといっしょにいることの嬉しさに喜ぶごくごく普通の人間に、迷うことはできても選ぶことなんで出来はしない。

 それでも「EE」に来て、めぐに出会ってのしが感じたことに触れ、たったひとりの船室で携帯を見てむせび泣くのしの姿を見、そしてたったひとりでも、最愛のひとりが身近に得られたことで融けはじめたのしの凍った心を感じるに連れ、揺らいでいた気持ちがちょっとだけ固まってくる。「SPACE SHIP EE」を読み終えた今、自分ひとりだけいればいいやと、本当に思っているんですかと聞かれても、「はいそうです」とはたとえ瞬間でも答えたりしない、そんな強さが心に出来上がったような気がする。

※     ※     ※


 将来を嘱望されつアーティストだけあって、タカノ綾の少女たちはよくあるマンガのキャラクターとは一線を画した、荒々しさと繊細さが同居するような不思議な線で描かれていて、なれない間は見づらさを覚えるかもしれないけれど、よくよく見れば焦りや悲しみ、怒りや喜びといった表情がしぐさとともに描き分けられていることに気づくだろう。チューブの中をエアカーが走り回る未来のイメージ、ゴーダチーズのような大福餅のような宇宙船のデザインのレトロさも、その特徴的な線で描かれることによって覆われ、むしろ先鋭的にすら見えてくる。

 なによりそうした道具立ての明解さに、いっさいのてらいも気取りもなく、SFのイメージをあらわしたいという想いが感じられる。使いたい時に耳から口を覆って生え使い終わったら落ちる「羽デンワ」といったガジェット、舞台となる2038年は大麻が解禁となりエコロジーな自転車が再評価されているという近未来への空想力、宇宙を超える規模での対立に翻弄される少女といった構想力からも、同様の想いと想いを顕在化させる力が感じられる。

 将来を嘱望される、世界だって注目している現代アーティストなのに? けれどもそれは実は当然のこと。半村良が好きといい、コードウェイナー・スミスやJ・G・バラードやJ・P・ホーガン(「星を継ぐ者」!)を愛読するというタカノ綾の、SFの記憶とSFの経験がぞんぶんにつまったSFの実践がこの「SPACE SHIP EE」なのだから。SFが好きな人もそうでない人も、タカノ綾が好きな人もタカノ綾なんて知らないという人も、とくとお試しあれ。極上のSFに必ずや触れられるから。最上級の感慨に心震わせられるはずだから。


積ん読パラダイスへ戻る