SLAMONLINE
スラムオンライン

 セガの「バーチャファイター」を極めた鉄人たちの日々を描いた大塚ギチの「東京ヘッド」に格闘ゲームの熱さを知った。ゲーム会社にバグチェッカーとして雇われた少年が開発中のゲームを通して成長していく古橋秀之の「ソリッドファイター」に格闘ゲームの持つ可能性を見た。ならば桜坂洋の「スラムオンライン」(ハヤカワ文庫JA、600円)は、格闘ゲームのいったい何を教えてくれるのだろう?

 光ネットワークの隅々まで行き届いた時代。60分の数秒で打ち込まれるコマンドを、パケットロスなしにすくい集め伝えることが可能になって登場した、多人数参加型の対戦格闘ゲームを遊ぶ大学生の坂上悦郎は、Aボタンをクリックしてゲームの世界に日々没入しては、カラテ使いのテツオとなって架空の街を彷徨い、カポエラ使いや蛇拳使いやボクサーや柔術使いと戦い倒して戦績に刻む。

 コンソールの前を離ればそんなテツオも坂上悦郎となって、朝起きて新宿にある大学へと通い、湿っぽさの漂う教室で退屈な授業を受ける。雨粒がガラス窓を叩くSE。チョークと黒板がぶつかるSE。雑多なSEにまみれた教室で、ノートもとらず席に座っていただけの悦郎。その横に、分厚いノートをかかえた少女が遅れて座る。

 走るシャーペン。つづられる板書。その生真面目そうな姿に悦郎は立ち上がって、授業の始めに配られた出席カードを、前に余分にもらっておいた予備の分も合わせて2枚、少女に差しだし、「悪いけど、これ、出しておいてくれる?」と告げて教室を後にしようとする。そんな悦郎に少女が言った。

 「きょうの色、青いんだ」「きょうのカード、青なんだね」「青は猫の色なんだよ。新宿にいるって話。見つけると幸せになるんだって」。突然の言葉。不思議な言葉。逃げ出すように教室を出た悦郎は、なぜかそのまま新宿の雑踏へと足を向ける。そこでルイという名のコウモリのような女と出会い、青い猫の伝説を聞き、家へと帰り寝て起きて学校へと行き昨日の少女とまた出会い、逃げ出し家へと帰ってゲームの世界へと没入する。

 学校では昨日の少女が「ありがとう」と例を言う。抜き打ち試験に丁寧な文字で綴られたノートを見せてくれる。そんな少女の真面目さがまぶしくいたたまれない悦郎。けれどもバーチャルな世界では向かうところ敵なしのテツオ。それで良い。それで日々は過ぎていく。そのはずだった彼の暮らしに変化が起こる。

 学校で出会った眼鏡の少女、薙原布美子と歌舞伎町にあるゲームセンターで再会したことをきっかけに、悦郎はリアルな世界で布美子と付き合い始める。だからといってバーチャルな世界から離れることはしない。それはそれ。格闘ゲームの世界で四天王と言われる凄腕のプレーヤーたちを襲い倒す辻斬りジャックを探して歩き、ジャックから闘いを挑まれるくらい強くなるためにストリートファイトに明け暮れる。

 なぜバーチャルな世界を彷徨うのか。なぜ闘いを求めるのか。リアルな世界の傍目には見える血と肉を伴った幸福も、バーチャルな世界の傍目には映る重さも痛みもない自己満足には叶わないのか。そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。どちらが上ということもないし、どちらが下ということでもない。

 ゲームの世界で開かれた武闘会の決勝トーナメントに出るために、布美子がセットした恵比寿のレストランでの食事を悦郎は捨てる。けれども決勝トーナメントの準決勝を前に現れたジャックを相手にテツオは武闘会での優勝という栄誉を放り出す。気づいたからだ。何を求めていたのかに。分かったからだ。ぼくはぼくであることに。

 闘いたい、強くなりたいという思いと布美子が大好きだ、布美子に横にいて欲しいという願いは決して矛盾しない。バーチャルな世界であってもリアルな世界であっても、ぼくはぼくであるこがなによりも大切なことなんだと、「スラムオンライン」の物語が教えてくれる。

 バーチャルな世界で英雄だからといって、リアルな世界で凡人でいることを卑しむ必要なんてまるでない。リアルな世界の凡人が、バーチャルな世界で英雄になりすましても臆することなんてまったくない。どちらもぼく。それでいい。それだからいい。そうなんだと知ることでリアルな世界もバーチャルな世界も、すべての世界がぼくにとっての意味ある存在へと変わり、輝く。

 コマンドを打ち込みコンボで技を仕掛け、相手の仕掛けを読んでガードし反撃をして勝つ。そんな格闘ゲームの遊び方を知らない人には正直、バーチャルな世界で行われている60分の数秒を争う闘いの凄まじさを肌身で感じづらいかもしれない。けれどもそれが面白さを殺ぐ要因になるとは思わない方が懸命だ。

 何百分の1秒を争うフォーミュラーワンのドライバーの気持ちを知らなくても、知った気になってレース中継を楽しめるように、凄まじいばかりにコマンドの入れ合いが繰り広げられるのが格闘ゲームの世界なんだと、認識さえしていればあとは言葉によって醸し出される緊張感が、知らず格闘ゲームの世界へと読み手をしっかり没入させる。

 むしろリアルな世界で繰り広げられるボーイ・ミーツ・ガールの物語にこそ、読んでその微笑ましさを体感できない少年少女の方が多いかもしれない。教室での出会い。歌舞伎町での再会。そして陥る恋。けれどもすれ違う愛。コマンドを打ち込めば、そのとおりにCGが答えてくれるバーチャルな世界と違って、考え方も違えば行動の仕方も異なる相手が存在するリアルな世界は、いくら互いに好意のコマンドを打ち合っても届かず通り抜けてしまうことがある。

 描かれた成就はそんな打ち合いの中から生まれたひとつの偶然に過ぎないと、経験が語る人もいれば想像が導く人もいるだろう。だからバーチャルな世界に逃げ込むんだ、なんて考えてはもったいない。ともに歩く新宿のゲームセンター。ともに赴く恵比寿のレストラン。そのどちらも欲しいと思ったのなら、自分を貫き通せば良い。ダメならダメで結構だ。そうありたいと願い歩き続けてさえいれば、たとえ手に入れられなくたって、希望に溢れて未来を生きることができるのだ。

 信じろ。自分を。信じろ。青い猫はきっといると。未来はいつだってすべての人の前にある。


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