新世界より 上・下

 力が欲しいと願わない人はいない。

 他人を支配するとか、世界をその手につかむといった、大それた目的がある訳ではない。腕力があればいじめられなくてすむ。財力があれば買いたいものがすぐ買える。そんなささいな気持ちで人間は力を求める。

 けれども、ひとりが力を持てば、周囲にはいじめられるんじゃないかという恐怖が生まれる。負けたくないという気持ちがはたらいて、より大きな力を求めたがる。

 誰もが上を目指し続ける繰り返しが行き着く果てにあるのは、誰かがこれ以上ない絶対的な力を持って世界を支配することだ。あるいは力を持つ人たちを徹底的に滅ぼしてしまうことだ。

 理性と知識を持つ人間の社会では、起こるはずがない事態だと信じたいけれど、人間の歴史を振り返れば、力と力のぶつかりあいが国を滅ぼし、民族を根絶やしにした例はいくらだってある。原始時代や戦国時代ではない現代の世界でだって起こっている。

 どうすれば平穏な世界が築けるのか。「黒い家」で日本ホラー小説大賞を受賞して世に知られる10年以上前に、「SFマガジン」が行った「ハヤカワSFコンテスト」で佳作入選した短編を原型に貴志祐介が書き下ろした「新世界より」(講談社、上下各1900円)に出てくる世界の有り様が、そんな問いにいくつかの答えを示してくれている。

 舞台は北関東にある自然に囲まれた町で、子供たちは学校に通って授業を受け、終わると野原に集まって遊んでいた。田舎にありがちな風景だけれど、どこかがおかしい。田んぼのあぜ道に2メートルものミノシロという生き物が現れる。20センチの間違いではない。子供を連れて行くネコダマシが現れたという噂が町をかけめぐる。人さらいを言い換えたものではない。

 そして「悪鬼」と「業魔」に激しい恐怖を抱いている。妖怪やお化けではない。遠くない昔に現れて人間を殺しまくった「悪鬼」も、世界を毒で汚した「業魔」も実在していて記憶に刻まれている。町は「悪鬼」や「業魔」が入り込まないように、「八丁標(はっちょうじめ)」という結界で護られている。

 どうやら21世紀の世界とは違うらしい。そのことをはっきりと知るのは、小学校に通う少女が心の力で物体を動かして、進級する資格を得たと分かった時だ。

 1000年後の世界。「新世界より」が舞台にしているのは、今から10世紀も未来の日本。人類は「呪力」という一種の超能力を操って生活に役立てている。

 便利な力を得た人類が、どうして21世紀に比べて文明的に後退したような暮らしを送っているのかは、「呪力」に目覚めた少女や少年たちが町を出て、冒険に冒険旅行に出た先で出会った、ミノシロによく似たミノシロモドキが明かした歴史によって判明する。

 人類の中にわずかに生まれた異能の力への恐怖。これが力を持たない者による排撃を招き、生き延びようとした異能の力を鋭敏なものへと高めさせ、さらなる恐怖を産んで、果てしない殺し合いを引き起こした。世界の人口は最盛期の2%まで減って、リセットされた状態から人類は新たな暮らしを築こうとして繁栄と衰退を繰り返す。

 1000年後。町は平穏さを取り戻して、人々は平和に暮らしていた。表向きは。そう、あくまでも表向き。裏には「呪力」という大きな力を得た人類が、以前のように争いを繰り返して滅亡へと突き進まないような“仕掛け”がめぐらされていた。

 その仕掛けを知った時、平和を維持するためなら仕方がないことだと感じる気持ちがわいて出ることを、真正面から否定すべきかどうかが課題として突きつけられる。

 理性や知識があれば、人間たちは争わないで済むというのは理想の形。もっとも、21世紀ですら理性も知識も争いを止められない。際限ない力のぶつかりあいによって滅亡の縁をのぞいた1000年後なら、なおのこと力への強い畏れあって当然だ。

 だからといって認めてしまって良いのか? 暴力の連鎖が続く世界が嫌だからといって、管理され異分子は存在が許されない清潔な世界を望んでしまって良いのか? 知性ある者としての想像力が試される。

 もうひとつ。バケネズミというネズミが大型化したような生き物がいて、町の外側にコロニーを作って繁殖している状況にも理由があって、物語の後半に人類への大反乱を引き起こす。

 それを虫けらのような存在の造反だと憤っていた人間が、バケネズミの正体に気づいて感じた贖罪の意識は、虫けらや獣のように感じる存在だったら、例えコミュニケーションが可能であっても、虐げ蹂躙して構わないという意識と裏表のものだ。認めるか否か。生命への態度を試される。

 穏やかなようで、どこか歪んだ世界の姿が、最初は断片的な情報からのぞき、やがて大量の情報の中でくっきりと見えてくる興奮でいっぱいの物語。異能の力がぶつかりあう戦闘シーンは迫力たっぷりで、迫る「悪鬼」を相手にした東京地下の攻防戦もスリルにあふれている。

 上下2巻は確かに分厚い。それでも、ぐいぐいと迫ってくる新しい世界の姿に最後まで引っ張って行かれるから安心だ。ミノシロや風船犬といった生物の姿を想像するのも楽しい。

 同時に、世界を救うための想像をめぐらせる楽しさもある。大災厄を経て人類が再興へと歩み始めた先に起こるのは、悲劇の繰り返しか、それとも……。新世界に生きる人々の想像力に期待がかかり、災厄を繰り返す21世紀に生きる人々に想像力の駆使を迫る。

 グロテスクな1000年後を人間にもたらさないために何をすべきか。考えることでしか世界は変えられない。


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