下ネタという概念が存在しない退屈な世界

 「世界に“睾丸”を意味する単語は数あれど、日本のように黄金だの宝玉だのと煌びやかな単語を組み合わせた例はほかにないわ。日本人は金玉に、特別な思いを抱いているの。そして狸というのは金玉を肥大化させた日本固有の妖精で、世界でもほかに類をみない独特の卑猥キャラクターなのよ!」(65ページ)と、美少女が男子に向けて力説するライトノベルが存在する。本当か嘘か。

 「端的に言うなら、語尾はちんちん、見た目は幼女、二言目には”交尾まだー? よ」(67ページ)と、自分がまだ幼かった時代にどんな子供だったかを、男子に向かってあっけらかんと語る美少女が、ヒロインとして登場するライトノベルが実在する。本当か嘘か。

 結論から言えば、どちらも本当だ。というより、どちらも同じヒロインだ。彼女はさらに言う。「ホワイトクリスマスってあるじゃない?あれって、地球という巨大な卵子に、雪という精子が降り注いでいるわけよね?ミクロの視点で人間が受精しまくっている間に地球まで受精まがいのことしているなんて、宇宙の神秘ね」(68−9ページ)。

 年頃の乙女だったら、神秘的でロマンチックなものだと思っているだろうクリスマスについて、あからさまに男女の恋仲が肉体にまで及び、深まるイベントだと指摘する美少女が、ヒロインとして颯爽と登場するライトノベルが、そうした淫靡で猥雑な描写を専門とするレーベルではない、超大手が一般のティーンに向けて展開しているレーベルから刊行されたこの驚きは、後に何と語られるのだろうか。「金玉ショック」か。「ちんちんシンドローム」か。

 その作品「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」(ガガガ文庫、590円)の作者、赤城大空にちなんで「赤城革命」とでも言われるのかもしれない、驚異の物語の概略はこう。公序良俗に反する表現が厳禁とされた世界で、生徒会副会長という立場の裏で、表現の自由を守り戦う美少女と、取り締まる側に立つ美少女生徒会長との狭間で、ひとりの少年が苦悩する、恋と青春のロマンティックストーリー。おおむね間違ってはいない。

 「メディア良化法」という悪書追放運動が過激化し、制度化された日本を舞台に、表現の自由を守る図書隊たちの活躍を描いた、有川浩の「図書館戦争」シリーズにも通じる、重要なテーマを持った作品ともえいそう。もっとも、そんな感傷めいた気持も、文化の敵と戦う高尚な気持も吹き飛ばし、ぶちこわし、踏みつぶすようにして物語は進む。

 16年前に成立した「公序良俗健全育成法」の下、日本では一切の性的な言葉、表現が奪われ失われた。思春期の少年少女は、否応なくわきあがる性的な衝動を向ける行為もできなければ、そらす対象にも恵まれない中、ただ妄想だけを膨らませ、ついでに男子は股間、女子はその胸奥を膨らませて日々を生きていた。

 奥間狸吉もそんな高校生の1人。というより彼の場合は、性的な言動を世間に広めた咎人で逮捕されるくらいの有名人を父親に持ち、その言動が常に監視下におかれるような立場にいた。それをどうにか包み隠し、狸吉は憧れているアンナ・錦ノ宮という美少女が生徒会長になっている、国内有数の風紀優良校に入学を果たす。

 ところが、通学途中の電車で痴漢と間違えられた男子の身代わりになろうとして、逃げ損なっていたところを、突然現れた少女に助けられる。その少女こそが<<雪原の青>>と名乗って、近頃周辺を騒がせていた下ネタテロリスト。手にコピーしたエロ画像を持ってばらまき、自身も裸の上にマントをはおって顔にはパンツを被り、「お●んぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」と卑わいな言葉を叫んで駆け回って周辺をおののかせ、抑圧されている青少年の衝動を喚起する。

 そしてあろうことか、奥間狸吉は入学した学校で、その<<雪原の青>>の正体というべき少女と出合い、脅され、引きずり込まれるようにして下ネタテロ組織「SOX」のメンバーにさせられてしまう。憧れの先輩は公序良俗を守る権化であり象徴で、狸吉自身は彼女に逆らうテロリスト。この苦しい立場に懊悩する暇もなく、振りまわされ、引っ張り回され<<雪原の青>>以上に大活躍してしまう、狸吉の悲惨でそれでいて楽しげな姿に、権力に逆らい衝動に正直に生きる“健全さ”が見えてくる。

 とはいえ、「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」に描かれた社会を真正面から考察した時、国家というものが10数年もかけて作り上げたシステムに、一個人が挑んでどうなるものなのかという疑問が浮かぶ。「メディア良化法」に挑む図書隊の場合は、図書館法という法律を縦にして武装し、組織だって立ち向かい、それでも時として傷ついた。

 それほどまでに分厚い国家の壁に立ち向かうなら、雁字搦めの中を密かに戦うレジスタンスのような物語になるか、いくら頑張っても潰されるディストピアのような物語になるのが普通。あるいは、同じガガガ文庫から出ている秀章の「空知らぬ虹の解放区」のように、極端に表現物に厳しい学校を存在させ、限定された時空間の中で、校則に逆らうような存在を登場させ、活躍させる方があり得るだろう。

 とはいえ、まずは面白さを先行させ、常軌を逸した世界というものをそこに組み上げ、登場する者たちの端から見れば異様とも見える振る舞いから、根源となっている問題への揶揄を行いつつ、状況のユニークさを見せて大笑いさせる、という物語もあって悪い訳ではない。そいういうものだと納得した上で、繰り出されるネタを楽しむことができるようになれば、何がきても怖いものなのない。それがライトノベルの醍醐味だ。

 とはいえ、それでもやはりどこかおかしい「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」という物語。「奥間君を愛おしいと思う気持ちが最高潮に達したとき、体の内側からその気持ちが液体になって流れ出てくることに気づいたのですわ」(223ページ)と言い、その愛おしい気持ちを「ぜひ奥間君自身に食べていただきたいと思いましたので、奥間君へのクッキーに混ぜ込んでみましたの」(同)と言って無理矢理食べさせる美少女まで出てくるなんて。いくら相手が憧れの人でも少し引く。多いに引く。

 いやいや、そんなのは猥雑でも何でもない、とてつもない純愛だと断じて受け入れることこそが、「公序良俗健全育成法」で雁字搦めにされた社会に対するプロテスト。奥間狸吉にはそんな“愛の蜜”でいっぱいのクッキーを貪ってもらい、<<雪原の青>>の暴虐にも振りまわされながら、明日のための道を拓いていって欲しいもの。倒れても大丈夫。きっと後に誰かが続くから。


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