SHOUNENOU
少年王


 榎戸洋司。長谷川眞也。幾原邦彦の「少女革命ウテナ」で脚本と作画を担当した2人が、「月刊ニュータイプ」誌上で展開していた小説&イラストによる連載が、単行本「少年王」(角川書店、1600円)となって登場した。長谷川による描き下ろしのイラストも追加され、前月分を思い出しながら読むような心の手間がいらなくなったのは嬉しいが、大判の雑誌では大判だったイラストが単行本のサイズになってしまうのだけは残念だ。

 もっとも長谷川が描く表紙絵の、「ウテナ」の舞台となった鳳学園にでも通っていそうな美人のイラストにときめきを覚えた次の瞬間、「少年王」というタイトルに相応しい、いくら可愛くても長髪でもスレンダーでも美形でも、描かれているのは立派な少年つまりは「男性」だということに気づき、タイツの股間が堅くそれでいて柔らかそうに膨らんでいる姿を見るにつけ、目立ってしまう大判よりも小さい判形で気づかずに済ませるのが、最善手かもしれないと思えてくる。そういったものが好きな人は別として。

 学園で起こる謎に転校して来た少年・美琴が挑むというミステリー風の展開で進む物語。鳥の形をした戦闘ロボットを連れた美琴は実は密かに育てられた暗殺者で、学園に通う生徒たちから「陛下」と呼ばれる少年・龍弦を殺すために学園へとへと乗り込んで来たことが明らかになるに連れ、物語は次第に緊張感を帯びて来る。

 龍弦が何もないところから取り出す奇妙な銃「アンドレイア」の存在は、「ウテナ」の中でウテナがアンシーの胸元から抜く剣の存在とも相似して、いっそうの重なりを読む人に感じさせるかもしれない。シーンの学園に通う生徒の間で流行っている”他人になる遊び”も、エレベーターに乗って降りた地下で本当の自分を開放することによって生まれた「ウテナ」の黒いデュエリストに通じる部分がないでもない。その意味では、「ウテナ」に描かれた「少女の成長」と対比する「少年の成長」の物語だと「少年王」と言って言えなくもない。

 一方では、奇妙な姿形をして影で蠢く”つち男”の存在が、村上春樹の”ひつじ男”ほどではないにしても、物語に不思議で不気味な雰囲気を与えていて、ファンタジーともホラーとも違う「純文学」作品としての味わいも感じられる。「ウテナ」を知らない人が表紙やイラストを見た時には、「少女漫画」とも「耽美小説」と思うかもしれない。

 龍弦が持っていた不思議な銃「アンドレイア」の秘密が明らかになった時には、この世界と別の世界とを橋渡ししてエネルギーと交換しあう、神林長平の「敵は海賊・海賊版」に出て来たフリーザーにも共通する、世界の根源に作用する力を持った「銃」が主役になった「SF」なのかもと思えて来る。

 とは言え基本はやはり「少年の成長」。学園という閉ざされた空間で生徒たちが”他人”になる遊びにかまけ続ける姿は、成長を拒否して学園内に留まり続けたいと切望する、少年たちのモラトリアムへの願望を現しているようにも見える。対して手にした銃で、あらゆる苦痛を引き替えに弾丸を発射する力を得る「少年王」の誕生は、何をやっても許される未熟な人間が、権利と裏腹の義務をも背負う人間へと脱皮する姿を現している、と言える。

 物語自体は1つ(1人の、ではなく)の「王」の誕生で終わっているが、その背景には空間的な広さも時間的な長さも持った壮大な物語が存在する。帯に書かれた「この世界の恐るべき全貌を明らかにする過酷な物語の序章」という言葉はまさしく正しい。13あるという「アンドレイア」の存在を1つ、1つと突き詰めていく「新たな戦いの始まり」でしかない。

 それが後々語られのかは分からない。どんな物語でも「世界」を得て「人間」になる物語の変奏でしかない可能性が高い訳で、語られる必要はないような気もしている。一方ではやはり語って欲しいとも思う。判断は難しいが、いつまでも子供でいられる今の社会に、たとえ変奏であって人間になる道筋を示してくれる物語は多い方がいい。加えて長谷川の描く美麗な少年たち少女たちにもっと触れてみたいという願望もある。2人にはやはり続きを書き、描いてもらいたい。


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