Short Love
ショート・ラヴ

 愛についてよく知らない。「愛なんて知識じゃない、経験だ」。その道のエキスパートたちに、呆れ顔でこう言われそうだけれど、だったらなおのこと、愛について語る資格は持ち合わせていない。経験なんてまるで身に覚えがないのだから。

 だったら経験すれば良い、と言われてもこればかりは1人では難しい。「1人だって愛はできるさ」。やはりエキスパートたちに叱られてしまいそうだけど、そこは許してもらうしかない。何しろどうやったら良いのか分からないのだ。とっかかりがない。経験へと結びつけるだけの足場がない。

 ならば。愛について語られた物語を読んで、そこに描かれている愛の機微を知識として得て、足下を固めるよりほかにない。だから。小滝橋トオルの愛について描かれた「ショート・ラヴ」(新潮社、1300円)を読んで、そこに描かれている愛の諸相に、経験へとつなげるための知識を得ようと試みる。

 「月光」。36歳になる芸能プロダクションの重役夫人を相手に、アバンチュールを楽しんだのか楽しまれていた青年は、飽きられ捨てられる夜に、彼女がピアノに向かって奏でたベートーベンのピアノソナタに涙を溢れさせる。継父の暴力に脅えた少年時代、妹と肌寄せ合い、体を重ね合って堪え忍んだ思い出が甦り、継父の影を漂わせる20歳は年上のカメラマンと結婚すると告げに尋ねて来た妹との久しぶりの情交の向こうに、一人取り残される寂しさを見る。

 「彼は自分しか見えない」。置き去りにされて15分、数日前に別れを告げられた彼女を後ろから突き飛ばして逃げたかっぱらいを通報して呼び出された警察の中から、彼は彼女に何度も電話をかけては、話し中の相手に焦る気持ちを募らせる。ようやく電話口に出て、謝りながらもどこかそらぞらしい態度を示す彼女に向かって、君を突き飛ばした男を捕まえるために警察にいるんだと告げる彼の、彼女に何とか目を向けてもらおうとする必死の、けれどもどこかおしつけがましい姿に、憐れみと蔑みの感情が浮かぶ。

 強くいることなん出来ない。強がり続けることすら出来ない。人目をはばからず泣きじゃくり、蔑まれても憐れまれても電話をやめられない男の姿が、愛というものが持つ、何者であっても決して逃れることの出来ない影響力を教えてくれる。苦笑して、自分はそうならないと思ったところで、そんな場面に直面した時には、やっぱり蔑まれても憐れまれても、同じような感情を抱き、無様にも涙を流し、電話に向かって叫ぶのだろう。男たちの愛が殻を破って広がって行く。

 「花」。デザイナーの勉強をしたくて、学費のために水商売をしていた女が知り合った下請け制作プロダクションのカメラマンのサトルは、悩む彼女に「自分が世界の真ん中にいると思えば気が楽になるよ」と励ましの言葉を贈る。けれどもある日、サトルは行方不明となって彼女はぽっかりと空いた気持ちを埋めるために旅に出て、自分の不幸を嘆くより、彼が世界の真ん中にいて幸せであることを願うようになる。

 「ずっと、海を見てた。」。親友が付き合っている彼が「彼女には別に好きな男がいるんだ」と言って近づいて来る。親友を信じたい。けれども近づいて来た彼にいつしか惹かれてしまっている自分がいて、親友を許せないと思う気持ちも浮かぶ。

 親友と2人で行った海辺で、許せない気持ちと、後ろめたい気持ちで交わす親友との会話の途中、親友は別に愛人がいた亡父のことを話し、人を好きになる気持ちは理性じゃなく、自然のもの、乾いた時に何かが飲みたくなるのと同じ感情なんだと話す。そんな言葉に含まれている親友の自分への非難とも、贖罪ともつかない感情の発露に、感情で返すことはせず、こらえて自分の気持ちの在処を探り、理性で自分の本質を求める。

 泣き叫びたい。すがりつきたい。怒りたい。けれどもそこをぐっとこらえて、相手の気持ちを推し量る女たちの姿が、愛というものが持つ、理知的で哲学的な深さを教えてくれる。決して一方的に押しつけるのではなく、時には退くことも愛なんだと分かっても、同じ場面に行き当たった時に果たしてそのように振る舞えるのだろうか。女たちの愛が深い水底へと沈み結晶化して輝きを放つ。

 収められた9つの物語は、都会に暮らしている世代も立場も違う男や女たちが出逢った様々な「愛」の形を描いた短編ばかり。愛について知らず経験も乏しい人間でも、ありきたりなのにハッとさせられるシチュエーションの中で、ある時は強がりを捨て、ある時は弱さを隠して強がってみせる「愛」と呼ばれる感情の機微に、気が付くとはまりこんでいる。次はどんな物語で心を動かしてくれるんだろうかと、作者の筆の冴えに期待してしまっている。

 レイモンド・カーヴァーの短編「ささやかだけれど、役に立つこと」をモチーフに取り込んだ「とても短い愛のことなど」に、登場人物たちの年齢が自分と近いこともあって、近親憎悪と裏腹の親近感を覚える。「出張気分」に描かれる、サラリーマンになれなかった男が、ふとした心の揺れで来た背広姿をかつての同級生に見られてしまい、劣等感に苛まれていたものの、ふとした弾みで気持ちが好転する様に、何か気持ちがホッとする。

 人間によって形作られる感情の変化を風景として描きつつ、いつの間にか感情が醸し出す意味について考えさせてくれる、それも短編でやってのけるという点で、日本では稀有な作家と言えるだろう。知識として刻み込まれた「愛」という感情の機微を、血肉とできるかどうかはやはり経験を積み重ねるよりほかにないけれど、そこに描かれ強い憧憬を引き起こして止まない「愛」というものが放つ、痛み、苦しみ、喜び、楽しみへと少しでも近づくために、形作られた知識を足場に、せめて半歩を踏み出してみたいと今、切実に思っている。


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