Shehaqim Gate
シェハキム・ゲート

 イントロがあって伏線があって説明があってアクションがあって謎解きがあってカタルシスがあって引きがあってと、連載されている漫画だったらおそらくは意識するとせざるとに関わらず入れてしまう要素だが、説明はなく伏線は見えずエンターテインメントというには暗くアクションというには残酷でカタルシスというには哀しすぎる要素ばかりが集まってしまったのは、やはり全編完全描き下ろしという漫画には珍しい形態だったからなのだろうか。

 江ノ本瞳という、どこまで名前が知られているのかは定かではないが繊細な中に残酷なテイストを持った作品を描くことで一部に知られている漫画家の最新刊となった「シェハキム・ゲート」(発行・ホーム社、発売・集英社、505円)は、近未来を舞台にしたストーリーで、アクションとカタルシスにあふれたエンターテインメントという概念の対極を行く、言うなれば純文学に寄ったシビアでハードなテイストを持った作品に仕上がっていて、有り体の漫画だと思って手に取る人をしばし当惑へと追いやる。

 まだ10代も半ばに見えながらもグザファンという名の男と暮らす少女・碧(ビー)のところに、彼女の知人らしいレヴィという少年が、彼を慕うサリオという名の少年を虐待して病院送りにしたという話が伝わって来る。サリオは怪我だけで済んだようで、碧はサリオを見舞ったついでにレヴィのところへと出向く。するとそこには何やら得体の知れないデジタルドラッグにハマっているレヴィがいて、「ヤツが出てきてサリオを襲った」と話し出す。ただの言い訳と思って碧がレヴィを問いつめていたその時、サリオにそっくりな子供が突如出現して2人を驚かして消えてしまう。

 レヴィによれば、サリオに似た謎の子供はレヴィが「シェハキム・ゲート」というデジタル・ドラッグを使った途端に現れた騒霊だという。どうやら碧とレヴィは以前からの知り合いのようで、且つ2人とも一種の超能力を持っていて、レヴィにつきまとう騒霊は、「シェハキム・ゲート」によって増幅されたレヴィのPKが捕まえたものらしい。

 そこから物語はレヴィを襲った謎の影と碧との戦いへと移り、碧とレヴィがかつて全員が自殺したというカルト教団の中で、潜在能力を高める力を持った「聖詩編」を覚え込まされて育てられた少年たちだったという事実が浮かび上がり、一種の”自分探し”のような展開へと進んでいく、ように見える。事実進んでいくのだが、漫画にもファンタジーにもありとあらゆる創作物にもありがちなそうした物語の枠組みに収まりきらない設定が幾つも重なり、あるいはそうした物語の枠組みを壊す展開が重なって読む人を安易なカタルシスへと導かない。

 なにしろ碧のレヴィの2人とも、身近な人を殺害して捉えられ、逃亡を謀ったという過去があるらしい。それだけではない。碧がいっしょに住んでるグザファンも殺し屋を稼業としてる悪人で、虐待された過去から逃れ蓄積している現実から逃れるためにドラッグに身を浸している。比較的真っ当な人間といえば、碧とレヴィを探していた行方不明児童専門調査員のラジェルくらい。もっとも彼も失われてしまった手足に合った義足を使い続ける必要性から、薬で成長を止めてしまった経歴を持つ。

 そんな陰惨な過去を持つキャラクターたちばかりが織りなす物語だけに、碧がラジェルと連れだって、「シェハキム・ゲート」雅言員で生まれてきた悪意にあふれた「ビジター」と戦う本筋のストーリーも、最後の最後まで少女が自分に秘められた力を爆発させて悪と戦う、といったありがちな戦闘美少女物にはならず、傍目にはなかなかに悲惨なエンディングへと向かって読む人の胸がを苦しくする。

 そんな中にも愛されなかった少女、愛されなかった少年の世界に敵意ばかりを向けて暮らしていた生活に、愛されるという要素が加わった時の素晴らしさ、のようなものがのぞく場面があって心安らぐ。たとえば碧とレヴィと同じカルト教団の中で神の子として育てられ、今は施設にいる少女が、自分をもっと構って欲しいと見せる媚態や嘘を、ラジェルはちゃんと理解した上で、しあわせでいっぱいに満たされれば嘘なんてつかなくなると言い切る。

 偽善であり欺瞞とハードな生活にあった碧は断罪するが、これとて同じように愛して欲しかった人間の半ば嫉妬心から出た反発とも取れないこともない。「俺の体の中には悪魔が棲んでいるんだよ。生まれついての悪魔だよ」と怒っていた碧が最後にとった行動が、そんな彼女の愛への渇望をあらわしているように見える。

 タイトルになっているデジタルドラッグが果たしてどういう謂われのあるものなのかが見えず、物語の主旋律にもなっていない点が少し気になる。説明が不足していて作品に流れる「聖詩編」の暗喩も難しく、全体をつかむまでに幾度か読み返さなくてはならない。それでも全体に流れるやるせない雰囲気を感じ、明示される絶対の悪意を汲み取り、激情のエンディングに慄然とする展開はなかなかに高尚で、読み返し読み込むうちに見えてくる不思議な感動がある。

 以前に読んだ同じ著者の「セシリア・ドアーズ」(新書館、1、2巻各520円)では、不治の病の「染視病」という設定に魅力を覚えながらも、死んでしまった赤ちゃんをポイと棄てたり自分のバッグを盗ろうとした子供を溺れ死ぬと解っていて見捨てたりする主人公の女の子の行動様式に、入り込めず反発を覚えた記憶があるが、そうしたハードでシビアな人間観という持ち味を極限にまで押し出しつつ、肝心の部分で愛に餓えた人間の哀しさというテーマを突き詰めた作品として、「シェハキム・ハザード」にはいとおしさを感じる。問題作にして注目の1作だ。


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