上海時空往来

 2010年に世界から大勢の人が集まる国と都市があるとしたら、ひとつは冬季五輪の開催地となったカナダのバンクーバーで、もうひとつがワールドカップ開催国となった南アフリカの競技開催都市だろう。

 そうした国々を上回って人を集める国であり、都市になりそうなのが、万国博覧会の開催される中華人民共和国の上海だ。

 上海万博はバンクーバー冬季五輪が終わり、南アでのワールドカップが始まるまでの間にあたる2010年5月1日に開幕し、そこから実に半年間にも渡って開催される。期間の長さは、数週間から1カ月でおわる五輪やワールドカップよりも、集客面で大いに有利に働く。

 加えて、経済発展に湧く中国を、有望な市場だと考える風潮が世界にあふれているなかで、そんな発展のショーケースとなる万博を、見ないですます訳にはいかないといった空気も濃くある。世界から連日の注目が集まることは間違いない。

 日本にとっても、飛行機で飛べば上海まではたったの3時間。新幹線で東京からロアッソ熊本の試合や徳島ヴォルテスの試合や愛媛FCの試合を見に行くことを思えば、成田から上海へと直接飛べる万国博覧会の方が、より簡単に行けてしまう。観光がてら上海の様子を見てこよう。そんな人が何百万といても不思議ではない。

 そんな上海で、何を見て何を食べれば良いのかかが書かれたガイドブックは、これまでにいくらでも出ているし、万博観光を当て込んだガイドブックも、期間の前後に数多く登場するだろう。そうした有り体のガイドブック背を向けて、手に取って面白いのが荘魯迅という人物の書いた「上海時空往来」(平凡社、1600円)という本だ。

 観光ガイドとして書かれた本かというと少し違う。書かれているのは清国末期から中華民国へと移っていった中国で、租界として欧米列強や日本に支配されていた上海という街の歴史。そして、「史記」「三国志」といった古典や歴史書に描かれる、英雄豪傑が活躍していた頃の上海の歴史が紡がれて、彼の国の彼の都市が持つ歴史の厚みを感じさせてくれる。

 さらには、ぐっと時代を現代へと引きつけて、中華人民共和国建国後の1960年代後半から1970年代半ばまで、中国全土を吹き荒れた文化大革命の嵐に翻弄された人々の姿も描かれ、その凄まじさを今に伝えてくれる。読めば有り体の観光ガイドでは絶対に味わえない、ピリリとスパイスの利いた上海の味を、存分に味わえることだろう。

 著者の荘魯迅自身も、今は日本で音楽活動をしながら、漢詩や歴史を教えているが、かつては国に認められた工芸家だった祖母が、文革によって虐げられたのを間近に見、自身も願った画家への道を、ブルジョワな家系だからということで閉ざされ、俳優になる道すら制限されて、肉体労働に勤しんだという過去を持つ。

 そうした経験から語られる文化大革命の凄まじさは、傍目で思うほどに簡単ではなく、日々がいつ果てることもない薄暗さの中で過ぎていくものだった様子。当時に生きていなくて良かったと、今の上海を闊歩する若者も思っていることだろう。あるいは、そうした思いなどまるで想起しないし出来ないかもしれない。もう何十年も昔のことなのだから。

 文革で心を痛めた祖母が、飛んでしまった魂を取り戻してきて欲しいと、著者の魯迅にかつて務めていた研究所、そして迫害を受けた研究所に行って、3回回ってきて欲しいと頼むエピソードがある。中国ならではの風習を知れる興味深い逸話であり、また、心を失ってしまうほどに凄まじい迫害が、文化大革命では行われていたのだとも教えられる。

 今の上海といえば、超近代的なビルが立ち並び、ショッピングも観光も日本や香港に負けないくらいに自在な都市、といった印象になっている。そんなネオン輝く上海にも、他の中国の都市などと同様に、暗くて厳しい過去があり、日本人には預かり知れない心があるのだといった知識をこの本から得て、それらを踏まえて見てみれば、まばゆい光景にも奥行きが出るだろう。

 戻って観光ガイドとしても、相当に優れた内容を持った「上海 時空往来」。地元育ちという感じで、紹介されている食と観光のガイドはとても有用。上海まで来て北京料理を食べる愚といったものを指摘して、ここでこれを食べれば良いといった紹介がされていて、旬や名物を逃さずに住みそうだ。問題はこれを読んだ人が集まり、賑わい近寄れなくなってしまうことか。

 こうした役に立つガイドを思う存分に活用し、食べて飲んで見て、それから忘れないで思おう、中国と上海のことを。あの深い歴史を内包し、そこから立ち上がって来たしたたかさ、50年100年の長い視野で世界を見通す強さを持った中国と、つき合っていくことの必要を。

 権力が潰えても、次の権力が現れのしあがってきた激動の歴史を振り返れば、未来の中国、それも遠くではなくちょっとだけ先の中国が、日本も欧米も脅かす可能性というものにも思いが及ぶ。反発している場合ではないし、見知らぬふりをしている場合でもないのだ。

 もちろん、中国自身が奢らず威張らないでいることが、世界を平和のままでいさせる上で大きいことでもある。互いに知ること。互いに認め合うこと。言いたいことは言える関係を築くこと。そこからしか永劫の平和は生まれない。


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