占術家入門報告
 生年月日も血液型も同じ人間をごく身近にして育つと、生年月日をもとにした星占いや四柱推命、血液型占いだとかが、いかに当てにならないものであるかが解って来る。

 同じ星を背負って生まれた双子が、かたや女性にモテモテの学生生活を送り、友人知人にめぐまれて人望も厚く、望まれて結婚してすでに子供もいるという。こなた女性に無縁の暗い学生生活を過ごし、趣味といえば本を積むことに美術館をめぐること。それも1人で。週末に声がかかることなど滅多になく、ましてや結婚など考えたこともなければ考えられたこともない。これで星占いや四柱推命を信じろという方が無理である。

 もちろん占い師の方も、双子を占うことの難しさは先刻ご承知のご様子。中沢けいの最新作「占術家入門報告」(朝日新聞社、1500円)に登場する四柱推命の占い師、藤島隆之も、「双子は占い師泣かせ」であることを承知した上で、「双子は理屈としては同じ運命の持ち主さ。双子だけじゃない。この地球上には同じ運命の持ち主が大勢いるんだ。」といって、双子の問題にケリをつけようとする。

 もっとも歯科医の兄を持つ探偵の堂丸晃が「なるほど、じゃあ、僕と兄貴は同じ運命の持ち主なんだな。」とチャチャをいれると、とたんに「君と兄貴は当然、別の運命の持ち主さ。(中略)僕が言ったのは巨視的に見ればという話で、個人というものはそんな巨視的な目で見られたってしょうがない」と反論するからおかしなものだ。

 双子の運命は同じなのか、違うのか。何万年、何億年という長い時間と何万光年、何億光年という広い空間で巨視的に見れば、双子どころかすべての人類、いやすべての生けとし生きる者が同じ運命、すなわち生まれ死んでいく一方通行の運命をたどっていることに他ならない。

 だからといって、白いクロスのかかたテーブルに手のひらを乗せ、深刻な顔をしてテーブルに並べられたホロスコープやタロットカードをのぞき込む老若男女に、「いずれ死にます」といっても詮無きこと。だから個人を見るときに占い師は、個人の星と同時に個人の顔や体や心を見て、星や筮竹が暗示した膨大な運命のなかからほんの触りだけを掬い取って、個人の運命として明示するのであり、そこの掬い方によって占い師の出来、不出来が分かれるのだろう。

※     ※     ※


 「占術家入門報告」の主人公、矢部加奈子は税理士事務所に務め、自身税理士の資格を持ったキャリアウーマンだが、失恋をきっかけに星占いに興味を持ち、次第にはまり込んでいってしまう。探偵の堂丸晃とは、まだ占星術を勉強する前に、街でしつこく追いかけて来た占い師をまいて逃げ込んだ歯科医で知り合った。

 しばらくして堂丸が、知人の占い師、藤島隆之の店番をしているところを通りかかって声をかけ、やがて戻って来た藤島に誘われて、カルチャーセンターの星占い講座にも通って勉強するようになる加奈子だが、そのうちに未来を占うことよりも、占星術そのものの成り立ちや意義を調べる方へと興味が移っていってしまう。

 そんな折、税理士事務所の顧客である会社の青年が、つき合っていた恋人が突然いなくなったという話を事務所を訪れた時に加奈子に話す。とりたてて喧嘩別れした訳でもないのに、突然その恋人は会社からいなくなり、住んでいたアパートも引き払ってしまった。謎めいたこの事件に感心を持った加奈子は、探偵の堂丸と占い師の藤島に話をし、堂丸は恋人探しを引き受ける。

 探偵小説ならここで、加奈子と堂丸というペアの探偵チームが出来上がり、さまざまな困難にぶつかりながらも、無事恋人疾走の秘密を見つけだして解決してしまうというカタルシスが、最後に用意されているだろう。しかし加奈子は堂丸といっしょに東京中を走り回ることはしない。ただカルチャースクールで学んだ知識をもとに、恋人に疾走された青年と、その青年から聞いた恋人の生年月日を聞き出して、ホロスコープを作りだし、相性を占うだけである。

 困難にぶつかりながらも結果的には結ばれるという2人の占いの結果を、青年に告げることさえ加奈子はためらう。希望を持たせることによって、結果的に落胆の種をなくことになりはしないか。結局のところ占った結果を全部相手に話してしまうのだが、他人の運命を占ったことの責任感がずしんと加奈子にのしかかり、次第に占うことの意味を考えるようになる。

 占いが「ころばぬ先の杖」から「あしもとを掬う杖」に変わった時に悲劇は生まれる。占いを深く学ぶうちに、加奈子は人が占いに頼るのは不安を打ち消したいがためであり、不安の種を仕込みたいからではないということが解ってくる。そして占いを学んだことによって、加奈子は不安だった自分の気持ちに折り合いが付けられるようになり、虚勢を張って生きていたり、不安げな毎日を過ごしている他の人たちの心の機微を感じとれるようになって来る。

※     ※     ※


 事件は堂丸によってあっさりと解決するが、そこにこの小説の主眼はない。失恋がきっかけとなって占星術に興味を持った加奈子や、恋人の失踪をきっかけに自分の運命に不安を持った青年などを通して、都会に暮らす人々が、いかに「漠然とした不安」に満ちた日常を送っているか、そしてその不安を支える杖として、雑誌の記事でも街角の辻占い師でも、草履の鼻緒でも月にかかる笠でも、とにかく色々な事柄に頼っているのかが、加奈子の入門報告によって描かれていく。

 同じ事務所で働く中村さんという女性が、以前は占いなんか信じないとカサにかかって加奈子に言っていたのに、いつのまにかパソコン通信の占いコーナーを見入るようになっている。失恋が加奈子を占星術に入門させたように、中村さんの場合は体の不調がきっかけだったらしい。不安が人々を占いへと向かわせる。それに答えて占いは、時に救いの手を差し伸べ、時に呪いとなって人々の心を惑わせる。

 常に強くあることは難しいし、強くあれと求める権利は誰にもない。しかし「占術家入門報告」の加奈子のように、運命を客観視できる方法を覚えることができれば、不安な気持ちをそっと心で頃がしながら、この喧噪に満ちた都会で、一人暮らしていくことも重荷ではなくなるのではないだろうか。


積ん読パラダイスへ戻る