SEKISHIN−DENSETSU
石神伝説


 忘年会・新年会の居酒屋を出て、ふと空を見上げて「冬はオリオンがきれいだ・・・・美しい」などと呟く中年がいたら、たとえ普段は冴えない先輩でも、あるいは口うるさい上司でも、ちょっとは見直してやって下さい。彼は若い頃に読んだ漫画のダークヒーローを気取って、思い出に浸っているのです。だから若い人たちは、彼が「冬はオリオンが云々」なんて言葉を呟いたら、即座に「菊地彦様」とか言ってフォローを入れてやって下さい。きっと明日からあなたの評定は、鰻上りに上がるはずで。

 中年サラリーマン氏が冬空の思いを馳せるきっかけになったのは、解っている人はもう解っているでしょうね、そうです、諸星大二郎さんの傑作コミック「暗黒神話」です。日本を舞台に大和武尊の流れを組んだ少年と、討ち果たされた一族とがスサノオの再来を巡って争う一種のファンタジーコミックで、たしか昭和の40年代末に「週刊少年ジャンプ」に連載されて、その絵柄と物語が当時の少年たちに強烈な印象を植え付けました。

 きっと大勢の古代史ファンなんかも作り出したんじゃないかと思います。例えば明日香地方に旅行して、急に益田の岩舟を見たいと言い出した人がいたとしたら、きっと「暗黒神話」を読んでいたクチでしょう。着いていってよく観察してみて下さい。周囲をごそごそと回ってあちこち触って、「開かないなあ」などと言い出すはずです。あるいは焼津方面へと旅行した時、社の中に奉納されている丸いきな石を取り出して、棒か何かがポカンとたたき始めるはずです。無論ただの石ですから、パカッと割れて中から弟橘姫が出てくるなんてことはありませんが。

 さて諸星さんからかれこれ20年以上が経って、ふたたび世の中に大勢の古代史ファンを作り出しそうなコミックが登場しました。その作品、とり・みきさんの「石神伝説」(文藝春秋、819円)は、古代の一族の末裔たちが過去の怨念を晴らすために繰り広げる物語、という点で「暗黒神話」とも共通する部分があり、益田の岩舟のようにどちらのコミックにも登場するシチュエーションがありますが、「暗黒神話」が古代の一族どうしの争いとして狭い範囲で物語が進んでいったことに比べると、「石神伝説」はもう少し国家的なスケールで、国を護る一族と国を滅ぼそうとする一族との争いが描かれています。

 東京の大深度、地下鉄の工事現場で掘り進んでいたトンネルの先に、突如と現れた巨大な石、それを邪魔だからと砕いてしまったことが、後に日本中を混乱に陥れる禍(わざわい)の始まりでした。走っている地下鉄を巨大な土偶が襲うようになり、やがて自衛隊が繰り出しての大戦闘へと発展するのです。地下で巨石が発見されたとの知らせを聞いてかけつけた新聞記者の桂木真理は、最初石にまつわる伝説を聞いてあちらこちらを歩きますが、スクープをねらって最初の現場へと再び潜り込んだ時、そこで繰り広げられていた土偶と自衛隊との戦闘に遭遇し、そして土偶を七支刀で倒した1人の自衛隊員の姿を見るのです。

 「トマソンの罠」(マガジンハウス、530円)に収録されていたエピソード「石の声−ある長編の序章として−」をサブタイトルそのままに序章として抱き、開幕した「石神伝説」はやがて桂木真理その人をキーパーソンとして、日本各地の石にまつわる伝説を折り込みながら進んで行きます。例えば「筑紫の章」では、福岡県八女丘陵の石人山古墳と岩戸山古墳から英彦山あたりを舞台にかつて栄えた磐井一族の物語、「出雲の章」では黄泉の国へと降りたイザナギとイザナミの物語、「吉備の章」では今に桃太郎として語り継がれる温羅(うら)の物語が展開されます。

 いずれもかつて大和朝廷に滅ぼされ、あるいは大和朝廷を体現するものに封じ込められた者どもの怨念を、今に甦らせて復讐を願う1人の少年・白鳥碓(ただし)がもたらした禍ですが、やはりいずれも先の東京の地下で土偶を封じ込めた1人の自衛隊員、物部氏の末裔によって倒されます。けれども白鳥は、どういう謂れの持ち主なのか自らを語らないまま、次々と今の御代に繋がる大和への恨みの念を掘り起こしては、禍の種を振りまいていきます。

 そして白鳥は、同じく古(いにしえ)から繋がる古い血を持つ桂木真理の行く先々に姿を現しては、大和への恨みを口にします。彼の狙いは何なのか、そして桂木真理に秘められているエネルギーとは。「大和の章」で再び姿を現した白鳥は、温羅の恨みを引き金にして大和盆地に大雨を降らし、大和三山の1つ、三輪山に眠る日神にして蛇神・雷神のオオモノヌシを目覚めさせ、「石神伝説」は第1の巻を終わります。

 およそ物語の概略はつかめたものの、時には少女の格好をする白鳥の正体はもとより、桂木真理という存在の意味、そして自衛隊にあって古の神々たちと戦い続ける物部の裔の役割と、まだまだ謎の多い展開に、次巻以降への期待は増すばかりです。そして、虐げられた者の恨みを一身に背負って立ち向かう白鳥という少年の行動を裏打ちする、疲れ切った現在の国家への反発心に、自衛隊員の彼が必死になって護っている国家の意味を、逆に問い直されるような思いがします。正しいのはどちらなんだろうと、考えさせられます。

 さても数多く登場する古墳群、巨石群とそれらにまつわる伝説の数々を読みながら、かつて「暗黒神話」で心躍らせた時にも似た古代史への思いが、再び甦って来ました。「暗黒神話」を知らず初めてこの「石神伝説」を読んだ人は、「暗黒神話」が漫画読者の与えたような新鮮な驚きを、きっと覚えていることでしょう。でしたらそれはきっと幸せな驚きに違いありません。

 20年後の人たちは、オリオンを見て呟くことはなく、益田の岩舟を見ても周囲を探ったりはしないでしょう。ですが「石神伝説」は、今という世代のメルクマールとして、岩舟の上へと登って香具山と三輪山を重ね合わせて確かめる人たちを、きっと大勢作り出すことでしょう。


積ん読パラダイスへ戻る