聖者の異端書

 小説のあるジャンルが大流行することの功罪の、罪をあげれば商業ベースに立ちすぎた質の問われない大量の出版によって、市場が焼き尽くされてしまう恐れがあることだろう。一方で功としては、新人賞が増えて新人作家が続々現れ、新しい物語が生まれ読み手を楽しませてくれる可能性があげられる。

 そのどちらを認めるべきかは出版の世界において永遠に近い課題だが、ジャンルがたとえ栄枯盛衰を繰り返したとしも、必要とされる物語に変りはない。たとえ衣はジャンルの流行り廃りによって替わっても、本当に必要とされる物語は時々の流行を写した衣をまとって、必ずや現れ人々に読まれ喜ばれるのではないだろうか。

 中央公論新社が行った「第1回C☆NOVELS大賞」で特別賞を受賞した内田響子の「聖者の異端書」(900円)も、ライトノベルなりファンタジーといったジャンルの隆盛に乗り、且つ必要と読者から求められて現れて来た物語だ。ライトノベルチックな衣をまとってはいても、そこに紡がれている物語は読む人に生きることの意義を問い、神を称えることの懐疑を説く。

 女性に名前が与えられない封建的な世界が物語の舞台。主人公のヒロインにも当然ながら名前が与えられておらず、自分を「わたし」と読んでストーリーを導いていく。とかくキャラクターを立てたがる傾向の強いライトノベルにあって、これは極めて異例の手法と言えるだろう。こうした挑戦的なスタイルを受け入れ刊行へと向かわせるだけのパワーは、確実にブームに依っている。

 北方の辺境ファルゴを治める領主の娘であった「わたし」は、政略的な意義を持った結婚をさせられることになり、南の国を治めるアイルトン国の王子パルジファルがその相手となって、「わたし」を迎えにファルゴまでやって来た。そして始まった結婚式の最中、謎の落雷が聖堂を襲い「わたし」は気を失った。

 気がつくとパルジファルの姿は消え、死んだとされて棺が南の国へと送り返されることになったが、「わたし」はどうしても腑に落ちない。パルジファルの妹も疑問を抱いた事態の真相を解き明かそうと、「わたし」は立ち上がり王子を探す旅に出る。

 名前を与えられず、政略結婚の道具にされてそれを厭う感情を「わたし」自身の口から半ば自嘲的に語らせる部分といい、消えた兄パルジファルの行方を懸念しながらも、家名のために騒がず空の棺を受け入れる王子の妹といい、そんな世界の有り様を理解し自分の立場を認識している女性たちの強さ、聡明さがまず目立つ。それがことさらに強調されるのではなく、言葉や行動の端々から感じられるようにする紡ぎ方に作者の冴えを見る。

 「わたし」は乳兄弟で騎士の家の次男であるため、永久に騎士にはなれない生まれを背負ったイーサンを伴い、まずは母方の祖父を訪ねそこから北の大国マドックへと向かう。その国で王位継承の試練として、「わたし」の供をして目的を探すよう魔法使いのエステルから告げられた王子マンフレートも供に迎えて一行は旅を続ける。

 向かう先は、婚約者のパルジファルをさらったのではないかと言われている、配下の諸侯の反乱から逃げるため、民を裏切り異民族の地へと亡命した皇帝が住む辺境の地。途中に狼を従えた少年が現れ一行を導き、気持ちの良い盗賊が現れ一行を手助けするさまざまな出会いや試練を経て、「わたし」は皇帝の居城へとたどり着きそこで最後の試練にのぞむ。

 決して分厚い本ではない。エピソードもそれぞれが短く、どちらかといえばディテールをそぎ落とされた訓話に近く、情感をあおり立てるほどのドラマは持たない。けれども起こる事件のめまぐるしさに目をひかれ、繰り広げられるエピソードの面白さに目を奪われて、気がつくと物語の世界へと引っ張り込まれている自分に、きっと誰もが気づくだろう。

 皇帝が異民族の住む地へを逃亡しあtのは何故なのか。諸侯たちはどうして皇帝に逆らったのか。皇帝はどうしてパルジファルをさらったのか。それとも別の狙いがあったのか。いずれにも理由があってそれらが関連を持って描かれていて、絡んだ糸を解きほぐし真相へと迫るミステリー的な楽しさを味わいながら、読み進んでいけるのも大きな利点だ。

 そし浮かび上がるのは、神という存在への懐疑と理解であり、人の上に立つ者の資質であり、他者を慈しむ心の大切さ。ともすれば勝ち気なじゃじゃ馬姫の冒険に、従うクールな王子と優しい少年というライトノベル的な冒険ファンタジーのフォーマットに陥りがちな物語だが、込められた思弁的なメッセージが読者を冒険の楽しさから、さらに次元の異なるフェーズへと連れて行かれる。

 ファンタジーの構造を逆手にとったメタファンタジー的な要素も持った物語。それでいてパロディにも批判に陥らず、物語の中に取り込んだ上で拓かれた未来をあなたならどう作っていくのかを、考えさせ自ら屹立する必要性を感じさせる、啓蒙的な要素も持った物語。巧い。そして凄い。

 エンディングもまた秀逸。名前を持たない「わたし」が残した冒険の手記として書かれた本編を、受け取りそこに紡がれた神をも畏れぬ物語に対して粋なはからいを示す教皇の存在が、「わたし」との深くて太い関わりとともに描かれ人を、仲間を信じ慈しむ気持ちは、形式張った信仰にも勝るのだということを教えてくれる。教皇が選んだ人生。その真っ直ぐさが欲目にとらわれた人々の居住まいを正させる。

 絵に頼る訳ではない。キャラクターが飛び抜けて特徴的な訳でもない。ライトノベルという形式とはおよそ対局を行く物語だろう。けれども冒険があり、謎解きがある展開が眼前に景色を浮かび上がらせる。自分を貫く登場人物の言動がキャラクターを命ある存在にして、その息づかいを感じさせる。ブームなくしては生まれ得ず、それでいてブームなくしても語り継がれる物語。それを生み出した作者のこれからの活動に、耳目を傾け注意を払って行きたい。


積ん読パラダイスへ戻る