最果てアーケード1

 中陰、あるいは中有という言葉が仏教にある。死んだ人が、別の世界へと向かうまでの49日間、留まって生前の行いを精査され、どこの世界へと転生するかが決められる期間のことだという。

 リアルに考えれば、人に死後の世界などなく、留まる中陰も存在しない。それでも、死後の49日を死者に与えるのは、生者にとって死者を思い、振り返って心を安らげる時間を、与えてもらいたいからに他ならない。

 死は生者によってのみ、意識されて悲しませ、怖がらせ、憧れさせる。かつて憧れを抱きながらも、身の程を覚えて近づけなかった女優のこと。本当のことが書いてあるからといって、百科事典をこよなく愛した少女のこと。かわいがっていたウサギのこと。それから……。

 そんな幾つかの切なくて、悲しくて、狂おしい思いたちが、とある街にあるアーケードに軒を構えている、幾つもの店と様々な場所に集まって揺らぎ、癒され、導かれていく様子が、小川洋子による原作を、有永イネが漫画にした「最果てアーケード1」(講談社、590円)に描かれる。

 レース屋にあるのは、死んでしまった人や生き物たちが残したレースばかり。その日も仔ツバメが巣立ってすぐに落ちて死に、脚に巻いてあったレースが持ち込まれ、受け取った店主は、「勇敢なる仔ツバメのレース」と札に書いて、棚にしまい込む。

 そんな店に来た、衣装係をしている高齢の女性は、死者にまつわるレースを不気味に思わず、むしろ気に入って、アーケードの家主をしている少女に届けて欲しいと頼む。少女が衣装係のアトリエを訪ねると、そこには袖のレースが切り取られた衣装が1着。ある女優のために作ったもので、己の身にまといたいと願いつつ、無理だと諦めた気持ちが惑い、女優を愛する男にレースの部分を切り取って渡し、女優に近い己の優越さを得ようと背伸びした。

 そして今、振り返って勝てなかった己を悔いて逝こうとしていた気持ちが、負けはしなかったのだと諭され、平らかになって美しい1枚のレースを残し、去る。悔いて沈んでばかりの人生なんてもったいない。そして悲しい。己が成してきたことを認めて受け入れ、笑顔のまま最後まで道を歩き抜こう。そう教えられて向いた地平にカノープス。天空に届かずとも、しっかりと輝いて人を導く星でありたいと思わされる。

 休憩室にあるのは何冊にも及ぶ百科事典。そこに1人の紳士が毎日のようにやって来ては、1冊目の「あ」の項から、中身を紙に書き写している。遠くへ行ってしまった娘に、大好きだった百科事典の言葉を送りたい。そんな思いで書きつづっていた彼は、何冊か書き写してたどりついた「し」の項が収められた1冊を手にとって気付く。娘の「し」に。

 認めたくなかった事実。けれども認めなくては人はそこから抜け出せない。「し」に気付きながらも父親は、挟み込まれた髪飾りを見て、娘とともにあった時間の「しあわせ」を思い出し、「し」の項を乗り越え百科事典を最後まで写し抜いてから、幻の娘に導かれてアーケードを後にする。逃げたくても、永遠には逃げられはしないのだと知り、自分という百科事典を完成させるために、今を綴り続けようと決意する。

 義眼屋に来た女性は、飼っているラビトというウサギと同じ色をした義眼を求め、見つからないといって義眼屋をなじる。そんな女性が、公園でラビトをあやしている姿を見たアーケードの家主の少女は、そうだと理解して義眼屋に教え、義眼屋もそこに本当のラビトがいるように振る舞って、過去に捕らわれたままの女性の心を解き放つ。

 それが真円だと見分ける目を持った女性と、真円のドーナツしか店に出さない輪っか屋とが出会いながら、ある理由から結ばれないで10年が過ぎ去る物語。紙屋に行って、入院している母親にまだ子供だったアーケードの家主の少女が、出す手紙を書こうとして書けずにいる物語。直接的な死の影もあれば、まだ生者ながらもいずれおとずれる死に臆し、けれども思い出として受け入れようとする気持ちが漂うエピソードが連なる。

 読み始めて刺さって来る、死者への思いや死への恐怖。読み終えたときにそれらが、すっと抜けて安らいだ心地になっている。もちろんこれからも、生きる中で自分に関わるとそうでないいとに関係なく、多くの死に出会い、怒りや悲しみといった様々な思いをしていくことは間違いない。けれども、そうしたひとつひとつの死に、逃げず向き合う覚悟をくれる。

 中陰。そう、「最果てアーケード」という本そのものが、ひとつの中陰なのだ。

 死をめぐる感情を、結晶のような物語にしたためる小川洋子の原作に、可愛らしくて若々しいキャラクターを描く有永イネの漫画が重なって、すんなりと読みやすく、それでいて心に染みる作品集になっている。続くエピソードの中でいったいどんな死と出会うのか。辛さを味わうことは承知しながらも、その辛さを幸せへと導いてくれる物語になると信じて、続きを追っていこう。


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