ルート225

 とても嫌なことにあった時、忘れてしまいたいと人はよく考えるし、実際に忘れてしまうことも結構ある。なかにはわざと忘れたフリをする人もいるけれど(政治家とかお役人とか社長とか)、本当にまるっきり記憶からすっぽりと、そのことが抜け落ちてしまって後でほかの人から指摘されても、まったく覚えていなかったりする。

 それで済むことだったら別に、忘れたって当人も他人もぜんぜんオッケーなんだろうけれど、それが行き過ぎてしまった時なんか、どうしても周りの社会とのズレが出てしまって、当人も他人もちょっと困ったことになってしまう。自分では全然変わっていないように思っていても(忘れてるんだから仕方がない)、周りからはズレて映ってしまうし、当人は当人でそのズレが周りのせいに思えてしまって、居心地の悪い思いに戸惑い悩む。

 藤野千夜の「ルート225」(理論社、1500円)に描かれているのは、わたしたちとあなたたちとの間に起こってしまったズレから浮かび上がって来る、生きていくことの大変さ、みたいなもの。そしてズレを生みだしたかもしれない、人間の心の働きの不思議さと不気味さ、だったりする。

 姉と弟がいて母と父のいる平凡な家庭。それがちょっと前、道路で死んだネコを車で踏んでしまったことをひとつの境目にして、大きな変化を迎えてしまう。ある日のこと。なかなか帰ってこない弟のダイゴを迎えに行かされた姉のエリ子は、公園のブランコに座っていたダイゴを見つけてひとしきり、彼がどうやら学校で受けているらしいいじめの話で盛り下がる。

 家に帰ろうとエリ子とダイゴは公園を出る。すると、そこは知っているようでぜんぜん知らない、大きな川の流れる街になっていて、2人は家へと帰れなくなっていた。歩いていた人に道をたずねると、女性からはていねいにわかりませんと答えられ、別の少年にはふざけているのかと怒られる。

 どうやったら知っている場所に出られるんだろう? そう思って歩いているうちに出会ったのはダイゴの同級生だったというクマノイさんという少女。ようやく知っている人に出会えた、そう思って電話を借りようとしたエリ子に対して、弟ははやくその場から立ち去りたいそぶりを見せる。どいうこと? そう詰問したエリ子に弟が話した答えから、2人はその街は、ひょっとするとひょっとする場所かもしれないと考える。

 どうやったらもとの世界に戻れるんだろう? そう悩んだ挙げ句、2人はとりあえず公園へととって返してもう一度、外へと出てみる。すると今度はちゃんと見慣れた風景があり、知っている人の歩いている世界になっていた、ように見えた。けれどもやっぱりズレていた。建て売りの自宅へと戻ると居たはずの母親が消えていた。いつまで経っても帰ってこなかった。父親も同様。そして翌朝、エリ子が学校に行くと、昨日、川のある街で出会った、普通だったら絶対に会うことのかなわないクマノイさんが後輩になっていた。最初は友だちだったのに、いつの間にか距離ができていた親友の大久保ちゃんと仲直りが出来ていた。

 こう聞くと、なんだかパラレルワールドへと迷い込んで悩む姉と弟の話のように見えるし、事実そうだったのかもしれない。ただ、考えようによっては例えば、両親がいなくなってしまったと思っているエリ子とダイゴの主観的な記憶の裏側には、忘れられてしまった両親がいなくなってしまった客観的な事実があって、そのあまりに強烈な衝撃から逃れたいがために、記憶をねじまげ消去してしまったのかも、なんて想像も浮かぶ。もしかして2人が両親を、なんて妄想も浮かんで身も震える。

 もっとも、「ルート225」ではその辺りについて、とくに説明がある訳ではなく、そんな想像を喚起させる具体的な描写もない。想像は想像、妄想は妄想として頭の隅でめぐらせつつも、むしろやっぱり本編では、ズレのある世界へと落ち込んでしまったエリ子とダイゴがそのズレゆえに直面する、かつて知っていた世界では意識的、無意識的を問わず忘れ逃げていたことに対して、どう考え何をしたのかを見ていく方が良いのだろう。

 大久保ちゃんとの仲直りが出来てしまっていたことからエリ子が感じる、親友との間に生まれてしまった溝がお互いの意地もあってかなかなか埋まらなかったかつての世界の現実が、実は他愛のないことだったのだと得心し安心する気持ち。逆に両親がいないことを除けば、エリ子には友人がいてダイゴもいじめらしいことを受けていない、平穏無事な今の世界での暮らしから感じるかつての世界の厳しさ。

 ズレてしまったかつての世界と今の世界との微妙な差が、微妙なことなのに乗り越えられず悩んでいる人の気持ちに働きかける。公園に行ってブランコに乗りさえすれば、どこか別の場所に帰れるだなんて妄想の抱きようのないこの現実を、どう受け止るべきなのかを教えてくれる。そして、パラレルワールドなんかに行かなくても、記憶を操作しなくても、ちょっとした勇気で世界はパラレルワールドに変えられるんだと気付かせてくれる。

 エリ子とダイゴはやっぱりいつまでも、かつての世界と今いる世界とのズレの間で微妙な居心地を味わいながら生きていかなくてはならない。ただ、今いる世界の現実に自分をあわせて記憶を修正したりしないところを見ると、2人にとってどうやら世界はまんざら悪いものではないようだ。あるいは居心地の悪かったのはほんとうはかつての世界で、だからこそ記憶を消去し上書きして、居心地の悪いように思っていて、その実、案外と異邦人的で気楽な世界に身を置き換えてしまったのかも、なんて想像が浮かぶ。あるいは妄想か。正解は……やっぱり聞くべきではないだろう。人はいまいるこの世界、この現実で生きていかなくてはならないのだから。


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