R.O.D REHABILITATION

 愛する形の様々を見られる漫画。それが、藤ちょこが絵を描いて、倉田英之が原作を手がけた「R.O.D REHABILITATION」(集英社、838円)だ。

 「R.O.D」の名を冠していることが示しているとおり、倉田英之による小説であり、漫画の原作にもなっていてアニメーション化もされた「R.O.D −READ OR DIE−」のシリーズを下敷きにした漫画作品だけれど、ここには読子・リードマンという、大の本好きにして大英図書館に所属するエージェントで、なおかつ眼鏡で巨乳の美女は登場しない。残念ながら。

 代わりに登場するのは読魅子という女性。なるほど一見すれば巨乳かはともかくそれなりのボディラインを持ち、眼鏡をかけた本好きの美女に見えないこともない。けれども、それは読子・リードマンが振るうものと似た、紙を操る能力によって作られた外側の姿。パラパラと紙が剥がれ落ちた下には、少し小さい姿態を持った子供がいたりする。やはり眼鏡はかけているけど。

 そんな読魅子が目指しているのが、世界のあらゆる本を読み尽くすこと。そして世界には、本がいくらだってある。読魅子はだから、どこにでも現れては稀覯本であろうと私家版であろうと探し出し、見つけだしては読み切ってはまた別の本を探して世界を彷徨う。時代すら越えて。

 とはいえ、世界はもはや電子の時代で、紙に印刷された本というものは特殊で貴重な存在になっていて、愛書都市(ビブリオポリス)という場所に集められ、持ち込まれてそこで愛書家たちの所有物として収蔵されている。大金持ちの愛書家たちは、それぞれが本に類い希なる愛情を示して保管し、あるいは隠して生きている。

 読魅子はその愛書都市へと乗り込んでいっては、大金持ちの愛書家たちが長い人生を綴ったたった1冊の本や、自分が生きた証を残したいという思いで手作りした本、誰にも読ませることなく、自分ですら読むことをしないで厳重に封印した本に、あらゆる手練手管を使って迫り、次々と読んでいく。

 そんな読魅子の冒険と探索のストーリーから浮かぶのは、愛書家たちの本というものに対するさまざまな愛情の形だ。時には本でありながら、中身を読まれることすら拒否するような愛もあって、一般的な人が持つ本=コンテンツへの愛着とは違った空気を醸し出す。それは本当の愛なのかと惑わせる。

 そんなさまざまな愛書家たちの本への愛に対して、読魅子が示すのはもっとシンプルに“読む”という形での本への愛。だから分かりやすく、そして愛書家たちの濃かったり歪んでいたりする愛の形とぶつかり合う。勝つのはどちらだ? そして、読み尽くされた後に残るものは? 紙使いとしての技を操り執念がもたらした強靱な生命力も活かした読魅子と、愛書家たちの戦に圧倒される。

 そんな紙使いとしての技を使って、成人から少女から幼女へとさまざまに変化する、読魅子というキャラクターのビジュアルにも、その名が持つ一文字のように魅了される。知らない人はそれぞれのボディラインに、それぞれの愛を捧げたくなるだろう。紙を巨大な折り紙飛行機にして空を飛ぶ読子・リードマンでも使えない凄い技。2人が戦ったら勝つのはどちらだろう。

 すべての本が読み尽くされた後に、果たして読魅子はどうなるのか、といったところも興味の向かう点。とはいえ何かを思う心を持った者が存在する限り、表現が衰え消え去ることはなく、したがって本も失われることはない。だから……。そういうことだ。

 この1冊で読魅子の冒険は終わり、彼女を見守っていた男も朽ちていってしまったけれど、読魅子の冒険はまだ続く。それ以上に、この物語をつむぎ出すことによって原作者の倉田英之が、タイトルどおりにリハビリを終えて、文庫版「R.O.D」の完結へと動き出した。

 それが出るのはいつか。何が描かれるのか。停滞から回復を経て再生へと向かうストーリーがそこにも描かれ、読子・リードマンの戦いに決着がつくことを祈り、待とう。


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