おやすみムートン

 優しさと憎しみと。愛しさと悲しさと。読みながら、そんな気持ちがない交ぜになって浮かび上がってくるのが、泉和良の「おやすみムートン」(星海社FICTIONS、1200円)という物語だ。

 どこかの工房らしき場所で目覚めたそれは、羊のようなモコモコとした毛並みをもっていて、そこにいた、sという名を持つ男から、「ムートン」という名をつけられた。たどたどしくてつたないけれど、しゃべる機能を持っていたムートンは、sから子供のように世話をされながら、少しずつ言葉を覚えていく。

 2本の足で立って歩くこともできるようになって、sに促されて部屋の外へと冒険に出る。そこは屋外ではなかった。廊下があって、部屋があって、Aquaという名らしい女性がいてムートンに優しくしてくれた。さらに歩くと、背の高い男性と太った男性がいて、こちらはムートンに厳しく当たった。

 バラバラにされそうになったムートンを助けてくれたのが、ゴシックな衣装を着た、どこか話すことに不自由なところがある血絵美という女性。彼女が連れて行ってくれた展望台には、禿頭で両足のない本田さんという年輩の男性もいた。

 部屋があって廊下があって、宇宙を臨み星を臨む展望室を持った場所。ムートンが生まれたのは地上ではなく、故郷の星を失い、行くあてもないまま虚空を漂う宇宙船船の中だった。

 乗っているのは、ムートンが出会い話した人たちの他は、ずっと部屋から出てこない女性や、眠ったままの女性がいるくらい。さらに、奇妙な体をもったニケという存在も現れて、ムートンを勝手に作ったことで責められ、監禁されてしまったsに早く会いたいというムートンの願いをかなえる代わりに、ムートンの左手を持っていってしまった。

 ニケとは何者か。人間ではなさそうだった。願いをかなえる代わりに何かを持っていくようだった。すると両足のない本田さんや、どうやら舌が半分くらいない血絵美さんは、ニケに何か願いをかなえてもらったのか。それはどんな願いだったのか。浮かぶ興味を傍らに、ムートンの冒険は続く。

 やがてムートンは、Aquaや血絵美や本田さんたちの間を行き来して、眠ったままの女性を世話する活動や、畑で野菜を育て収穫する活動をしながら、宇宙船の中に知り合いを増やしていく。そして、最初に植え付けられた知識ではない、自分の心や考えというものを持っていくようになる。

 けれども終わりは近づく。ムートンの手を奪ったニケが、過去に叶えた約束。その対価が支払われようとした時に、ムートンは覚えた悲しみを爆発させ、憤りに身を焦がす。

 これは育まれる感情の物語だ。広がる友情の物語だ。それを叶えるために犠牲にしたものの大きさが、果たして釣り合っているのか悩むところではあるけれど、命に等価なものなどないと考えると、それは釣り合っているというよりも、むしろ繋がれた命と見るべきなのかもしれない。

 それから、誰かを救うために犠牲になることの悲しさと、痛ましさにも触れて心が震えるけれど、それを彼ら、彼女たちが望んだのなら、それは彼ら彼女たちの決断だ。尊重しつつ、託された思いを受け取って前に進むしかないのかもしれない。

 だからムートンは生きるしかない。生きて育ち、そしてつないでいくしかない。その物語は描かれていないけれど、きっとそうなったと信じて、静かにページを閉じよう。


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