チョコ

 滅びに瀕した世界に暮らしている人たちは、日々をどんな思いで生きているのだろうか。遠くない未来、滅びへと向かって走り始める可能性が見えている今の世界に怯えている人たちに、そんな思索を与えてくれる物語。それが、入間人間の「おともだちロボ チョコ」(電撃文庫、590円)なのかもしれない。違っているかもしれないけれど。

 人類が暮らしている場所を狙ったように、どこかから転移してくる巨大生物たちによって人類は、食われ追いつめられて滅亡の瀬戸際にあった。海水が苦手らしい巨大生物を避けるため、海上に都市を築いて移り住んだ人類もいたけれど、それとは別にエリートたちは、火星に新たな住処を求めることにして、宇宙船に乗って地球を旅立っていった。

 もっとも、過去に宇宙空間に転移してきて、宇宙ステーションを蹂躙した巨大生物が、人類を追って火星にも現れないという保証はない。移動中の宇宙船を襲わないとも限らない。だから、地球に残った人類は、エリートたちが乗った船から巨大生物たちの目を引きつけるため、地上で“どんちゃん騒ぎ”を繰り広げることにした。

 それが戦闘。地球では、巨大生物が苦手にしている海水を、背中のタンクにつめこんだカタツムリのような人型兵器を操り、出現する怪物に立ち向かうパイロットを養成していた。永森友香という少女も、その1人として訓練を受け、そして実地演習に出た日。ワニに似た巨大生物と遭遇して、仲間のほどんとを失うものの、彼女は九死に一生を得る。

 不思議だったのは、海水をかければ弱って倒れていた巨大生物が、海水への対応力を身につけ始めていたということ。ワニのような巨大生物は、固い表皮で海水を跳ね返して歩き回り、人型兵器を襲って中にいる人間たちを食らっていった。

 これまでとは変化して来た戦況に、やがて海を越える巨大生物が現れ、海上にある都市にも怪物たちが出現して、人類を滅ぼしかねない可能性が浮かんでくる。そこに登場したのが、カールディアスという新型の人型兵器であり、チョコという少女の姿をしたロボットの操縦者だった。

 そして浮かぶのは、チョコを人類の救世主として仰ぎ、反攻へと向かう人類の姿を描いたSFアクションだが、そんな定番のストーリーとは大きく逸脱した展開へと「おともだちロボ チョコ」は向かっていく。訓練所でも成績上位のパイロットが送りこまれた戦場へと、いっしょに出向いていったチョコは、カールディアスを操り、圧倒的な戦力で怪物を蹂躙する。それだけでなく、味方であるはずの人間にもその刃を向ける。

 おかしくなったのではなかった。チョコを作った博士が言うには、チョコは友だち探しをしていただけだった。お眼鏡にかなったのが友香で、元より優秀ではないパイロットだった友香は、優れた能力を発揮するチョコに憧れこそすれ、いたずらな敵意を向けることはなかった。だから排除されなかった。こうしてチョコの友だちとして選ばれた友香は、いっしょに海上都市に出かけるなどして友情を育んでいこうとする。

 戦闘のためのロボットというよりは、人間との友情を探るためのロボット。そんなチョコと友香との関係を描き始めたストーリーは、その後も滅亡に瀕した人類と、巨大生物との生き残りをかけた戦いへとは向かわない。いや、最終決戦めいたものは描かれるけれど、その結末はカタルシスとはほ遠く、どうにもモヤモヤとさせられる。読んでいったい何のための書かれた物語なのだろうかと、訝る声も出て来そうだ。

 それに答えるとしたら、滅びに瀕した人類が、日々を生きるために何を思うのかを描くための物語、ということになるだろううか。あるいは、そうした刹那への感情すら脇において、ロボットと人間の間に果たして友情は成り立つのかを探ろうとした物語、ということになるのか。

 前者について言うなら、滅亡へと向かう地球にひとり残って、火星へと向かう父親と母親と兄と妹に私は頑張っているよと言葉を発しながら、自分を鼓舞する友香の心情に漂う孤独感に、運命を受け入れたいし、受け入れるべきだと思いながらも、素直にはなれない人間の複雑な感情といったものが見えてくる。

 後者で言うなら、そこには超えられない壁のようなものが漂う。自分を思ってくれるチョコがいる。自分を救ってくれたチョコがいる。自分を友だちだと言ってくれるチョコがいるけれど、その言葉は本当に“心”から出たものなのか。そもそもチョコに“心”はあるのか。受けた友香が見せる仕草から、いろいろな解釈が浮かんで迷わせる。

 滅び行く人類のビジョンに切なさを覚え、家族を思って生きている少女のがんばりに哀愁を感じつつ、そんな少女に過酷な運命を背負わせた者たちへの憤りも覚えながら、問い直そう、滅亡に瀕した世界で自分ならどんな心情になるだろうかと。そこでロボットと友だちになれるのだろうかと。


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