お天気の巫女

 2002年の6月を実りあり過ぎるものにしてくれた「ワールドカップ日韓大会」で、実際に会場へと出向いたのは都合4試合だったけど、梅雨時という日本では屈指の雨降りシーズンだったにも関わらず、1試合として雨に降られることはなく、もしかしてこれって自分が晴男だったから? なんてことを考えたかというと実はあまり考えなかった。

 なるほど見に行った試合では雨に降られることはなかったけれど、試合もないのに国立競技場に集まっては、別の会場で開かれている試合をオーロラビジョンで観覧するパブリックビューイングでは、日本とどこかの試合を中継した4試合中で国立へと出向いた3試合のうち、1試合がこれでもかという土砂降りだった。おまけにその試合がトルコ戦という悔しい負け方をした試合だった関係で、寒さが身に染みて途中で会場を逃げ出してしまった。

 決勝進出をかけた韓国とドイツの試合のパブリックビューイングもやっぱり雨で、屋根の下に入れたものの雨から来る寒さをポンチョでしのぎならが、メインスタンドの半分を埋めた韓国の応援団の真っ赤な様と「テーハンミングッ」といったかけ声を、反対側から目にしてその熱情ぶりに感嘆していた記憶が、1年近く経った今もはっきりと残っている。

 何が言いたいかというとそれは、晴れていた経験よりも雨に降られた経験の方が記憶に鮮明に残るということで、そうした記憶が積み重なった結果が、もしかすると我が身をして雨男だったりするのかな、なんて思わせるのではないのだろうか。すべてを記憶なんて出来ない以上、残るのはより強い経験の方になるものなのだから。

 詰まるところ自然が人間の都合に左右されることなんてあり得ないもので、自然によって感覚が左右されただけのことを、逆に感覚が左右されたから自然も動いたのだと意識的、無意識的を問わず捉えているからなのだろうけれど、それはそれとしてでもやっぱり、人間が天気を左右していると思うのは楽しいことではあるし、何より人間にとって意識によって左右したくなるくらい、自然が人間にもたらす恵やいの実に大きいものがあるから、なのだろう。

 柳原望の「お天気の巫女」(白泉社、390円)は、起伏する感情でもって天気のすべてを左右できる能力を持ってしまった少女が登場しては、世の中に大変な事態をもたらすという話。その少女、あさぎは卑弥呼に連なる家と言われる應天院家のひとり娘で、1週間ほど熱を出して寝込んで回復したら、なぜか感情が天気とリンクしてしまう能力を身につけてしまっていた。

 慶應天院にはときどきこうした「天地の巫女」が生まれていたそうで、かつて知ったる宮内庁ではエリートとして内閣府に入ったものの、正義感と融通の利かなさが同居している関係で、禁煙の場所で煙草を吸っていた偉いさんに水を浴びせかけては宮内庁へと左遷されて来た高良早春を、あさぎのお目付役としてああぎの住む田舎の町へと派遣することにした。

 そこで出会った應天院あさぎ15歳O型おひつじ座は、表情こそいつもにこやかながら本心はこれで中学生らしくなかなかに多感なところがあって、それがある時突然、先祖から伝わる天気とシンクロする力なんか授かってしまったものだからもう大変。悲しめば雨が降り怖がれば雷が落ち笑えば太陽が輝くといった具合に、その感情の起伏がすべて天気に現れてしまって高良早春を慌てさせる。

 母親が再婚して米国に行ってしまいそうになると決まった時も、最愛の母親を笑顔で送り出したい気持ちと分かれなければならない哀しい気持ちがせめぎ合って、日本を巻き込む大天災が起こりそうになる。当然のように持ち上がる、あさぎと早春のラブラブな関係へと向かう展開でもやっぱり天気の激変が巻き起こる。

 抑えようにも抑えられない気持ちの愛おしさ、だけれども災害を起こさないためにおさえなくてはいけない切なさが、そんなエピソードの数々から浮かび上がって、一体どうすればいいんだろうとその身に代わって頭を悩ませる。それでも周りの理解を得つつ、自分自身の強さを獲得していくあさぎの姿に、心からの拍手を贈りたくなる。

 気持ちを火の見櫓から垂れ幕にして垂らして歩いているようなあさぎの純情乙女ぶりといい、仕事だ何だといいながらも内心はちょっとづつあさぎに近づいている早春の真面目さといい、あさぎを世話する祖父母ののほほんとした様といい、飽きさせないキャラクター造形に心くすぐられるエピソードが詰まっていて、読んでいて気持ちが楽しくなって来る。

 とてつもなく悪い人とかが出てこない部分にも好感が持てる。1巻とは書かれてないからこれで完結の可能性もあって残念だけど、綺麗なところで収まっているし楽しい気持ちになれたから、これはこれで良しとしよう。ところであさぎの場合は晴女と呼ぶのが正しいのかな、それとも雨女と呼ぶべきなのかな。お天気屋? それだと意味が違うか。高気圧ガール? それも違う。やっぱり「お天気の巫女」、だろう。


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