オリンポスの郵便ポスト

 地球に隕石が降り注ぎ、都市の多くが破壊され、吹き上がった土砂によって太陽光が遮断され、寒冷化が進んでも人類が100年を待たずして絶滅することはないだろう。資源や食糧を巡って争いが起こり、殺し合ってもそれでも地球がまだ、生命の存在可能な惑星として存在し続けているうちは生き延び、繁殖を続けていずれ復活してくる。文明は再建できなくても、文化を育むくらいの存在にはなれる。地球という惑星を覆う大気、地球の中で脈打つマグマのもたらす恩恵は決して小さくはない。

 これが火星だったら。テラフォーミングによって生成された大気は薄く、そして地球の4割ほどしかない低重力では大気をつなぎ止めておくことは難しい。そんな世界で内乱によって惑星を生存可能な場所として維持していたテクノロジーが毀損され、地球との連絡も途絶えて果たして人類は、どれだけの期間を生き延びることができるのか。絶望しか浮かばない。

 それでも、今を生きる人類はただ手をこまねいて死を受け入れることはできない。というよりしてはいけない。自分たちだけでなく、続く世代のために今を改め未来を開く。点ほどの可能性しかなくても賭けてみる。そんな気持ちにさせられる物語が、藻野多摩夫による第23回電撃小説大賞の奨励賞受賞作、「オリンポスの郵便ポスト」(電撃文庫、630円だ。

 地球から火星へと移植が始まって200年。レイバーと呼ばれる全身を機械に置き換えて労働に従事した先駆者たちの活躍もあって、火星はどうにか人類が住める星へと変化した。けれども80年前、謎の隕石群によって火星の都市は破壊され、テラフォーミングの技術にも影響が及び、乏しくなった資源を巡って内乱も起こって多くの人が犠牲になった。

 地球との連絡も途絶えてしまい、技術的な支援も得られないまま火星に暮らす人類は、薄れる大気の中で明日を絶望するしかない状態に置かれている。それでも懸命に生きている人類にとって、ひとつの希望があった。それは、火星にそびえる標高2万7000メートルはあろうかというオリンポス山のどこかにあるポストに手紙を投函すること。そこから出された手紙は、神様にだって届くと言われていた。

 長距離郵便配達員として働くエリスという少女も、そんな伝説を見知ってはいた。ところが、自身がそのオリンポス山にある郵便ポストへと向かわされることになってしまう。200年前から火星で生き続けてきたレイバーのクロが、オリンポス山へと自身を捨てに行きたいと申し出て、それを郵便物という名目で送り届けることになったのだった。

 そして始まる8635キロにも及ぶ大旅行。荒れ果てた火星の地で懸命に生きる子供たちとの出会いがあり、囚人として火星に送り込まれ、機械の体になって働かされる中で、人間たちに怨みを抱いた者たちが集まったアウトローたちとの戦いがあり、エベレスト山の3倍にも及ぶ高さへとどうにかして身を運ぼうとする冒険がある。地球では味わえない、火星という場所を舞台にしたSFだからこその面白さにあふれたロードノベルになっている。

 H・G・ウェルズの「宇宙戦争」が挿話として登場したり、テラフォーミングの技術が説明されたり、軌道エレベーターを復活させようとする技術者たちの思いが描かれたりと、作者のSFに対する関心の高さもえる。SF好きなら読んで楽しめる1冊。同じ電撃小説大賞で大賞に輝いた、機械兵と人権を持たない人間との壮絶なバトルが描かれた安里アサトの「86 −エイティシックス−」(電撃文庫)とは少し違ったSFのビジョンがある。

 あと100年もすれば、大気がなくなってしまって滅ぶだろう火星の刹那的な風景も心に刺さる。エリスという少女が体験したこと、そして遠い昔にいなくなってしまった両親を含めた過去への思いの切なさにも涙が出てくる。一方で、地球で濡れ衣の思想犯として捕まり、火星へと放り込まれて体を機械に交換しながらテラフォーミングに従事し,その後も戦い続けたクロといったキャラクターの造形も結構深い。

 そんなクロを含めたレイバーたちが辿る末路の寂しさ。それをどうやって受け入れるのか。それとも受け入れられないのか。思うと心が震える。地球は今いったいどうなっているのか。そもそも火星を急襲した石群はいったい何だったのか。そんな疑問への言及もあって、火星が早々に回復する可能性の小ささを改めて突きつけられる。

 それでも、諦めることなく生きていく気持ちを抱き、可能性を信じる思いも浮かんで、今すぐにではなくても遠い将来に火星が再び復活する日を夢見たくなる。そうなっていくプロセスを描くストーリーが今後描かれれば嬉しいけれど、今はひとつの思いが叶えられ、そしてわずかでも可能性が芽生えたことを喜び、夢の中に繁栄の赤い大地を思いたい。


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