いざ志願! おひとりさま自衛隊

 予備役、という身分が軍隊にはあって、それは決して軽い身分ではなく、何か事が起これば召集され、鉄砲を担がされ、戦場へ送り込まれて戦わされることもある。

 米国では、学生が奨学金をもらいながら、予備役の訓練を受けているケースもあって、それが2001年の世界情勢の変化を受けて、アフガニスタンやイランで起こり、今なお続く紛争に、兵士として召集されて、激戦地へと送り込まれて、命を落としているという。

 そんな予備役に似た身分が、実は日本の自衛隊にも存在している。岡田真理の「いざ志願! おひとりさま自衛隊」(文藝春秋、1000円)は、その名も予備自衛官という身分を得るために、訓練を受ける予備自衛官補の採用に応募して合格した女性ライターの体験記だ。

 仕事にあぶれた女性2人が飲んでいて、酔っぱらった勢いで次に何をするかを話していて、自衛隊ならどうだということになったものの、任用自衛官は27歳未満ですでに27歳の著者には無理だった。やっぱり。そう思いながらながめていたら、何と34歳まで可能な予備自衛官補の採用をやっていた。

 これは面白そうと調べてみて、受けてみた予備自衛官補の試験。大学生が進路に有利になるように、あるいは外で経験を積んでおきたいからと受けるケースも多く、学科に国語数学理科社会英語が並び、面接論文もあって、倍率も8倍になるという。そんな試験を著者は見事にくぐり抜けて合格。そこから自衛隊の施設で5日間を10回、計10日間の訓練を受ける話が綴られていく。

 最初に受ける印象は、まるで遠い業界から入り込んで、苦労を味わってみましたという類の体当たりルポルタージュ。何をするにも集団行動が求められ、風呂に入るのも水を浴びるのも苦労があり、夜はまだ宵の口からクーラーが切れてしまうから早めに眠り、朝は早く起きてそこから、1日をびっちり決まった時間に従い、動いて歩いて走って伏せて匍匐前進して銃を撃つといった、さすがは自衛隊といった厳しい訓練をそれでも頑張り抜いてクリアしていく姿が、ユーモラスに描かれている。

 時間に追われ、スケジュールに追われて過ごす1日は、ともすれば堅苦しくて鬱陶しい状況に思えるかもしれない。けれども、そんなスケジュールに従って、考える間もなく体を動かしていれば、1日が過ぎて、充実した気分を味わえて、食事も与えられて寝る場所も得られてそして明日を迎えられる。その日々は、考えようによってはとても怠惰で安易で気楽。そんな感覚を訓練中に味わったことを吐露している内容にも、この世知辛い世の中に、生きていくには自衛官補も悪くないと思わせる。

 厳しい訓練を脱落もせずに乗り切り、ハードさで鳴る25キロ行進も、登山用の靴下を大枚払って購入し、指のついた靴下も重ねてはいて肉刺を作らないようにして無事に乗り切っていった体験談も、何かを知らされた気になって工夫次第で楽しい時間が過ごせそうだと思わせて、ますます行ってみたいって気にもさせられる。

 けれども。忘れていけないのは、そこが自衛隊だということだ。憲法九条ではそうは言われていなくても、実質的には軍備に等しい力をもった組織。外に攻めることはなくても、内に守って戦い命を散らす可能性がある。

   そんな中に加わっていくには、自分にとって守るべき国とは何なのか、そしてそのために命を散らすとはどういうことなのかという命題と、真っ直ぐに向き合うことが必要になる。

 戦うということは、人を殺めることでもあったりする訳で、そこまでの覚悟を持たずに、資格になるから、採用へのステップになるからと入って、務まるものでは決してないし、それで務められては国や国民が困る。そういった辺りに関して、「おひとりさま自衛隊」では触れられてあって、そこで著者が考え、得ていった感覚がつまびらかにされれていることが、この本を単なる体当たりルポルタージュを越えた、ある種のメッセージを持った啓発の書にしている。

 自衛隊での日々を経ると、国旗や国家といったものへの意識についても、以前とは違った感覚を得られるようになるらしい。サッカーのワールドカップで日本代表が、国歌吹奏と国旗掲揚の際に肩を組んだことが、団結の証として話題になった。けれども果たしてそれは正しい態度なのか。

 自衛隊では違う。国旗を掲揚する。国家を歌う。そんな時に誰もが真っ直ぐに立つ。両腕は体の横につける。それが普通だ。もちろん自衛隊でなくても。当たり前の感覚が、忘れられがちな世情にあって、当たり前が未だ幅を利かせた場に入り、日常的に体験してくことで思い出せるものがある。そのことに気づかせてくれるという点で、興味深い本だとも言える。

 一方で、頑なに守られるそうしたスタンスが、旧態依然としたものになっていきはしないかという、想像にも思い至らされる。どちらがより正しいのか。そのことについても考えてみる機会を、この本は与えてくれそうだ。

 民間に普段は身を置きながら、銃を撃てるという部分にだけは、人によっては強い興味を惹かれそう。予備自衛官に任用されれば、年に5日の訓練が義務になっていて、そこで銃を撃たせてもらえるらしい。国旗への意識、国家への考え方も何のそのと、心を偽りそうした快楽、あるいは何も考えなくても良い気楽さに身をゆだねて入っていけるのも、戦場への道がつながっている米国の予備役と、今はまだそうした可能性の極めて少ない日本の予備自衛官との、置かれた境遇の差だと言えそう。

 それは永遠のことなのか。自衛隊の立場についての議論はいつの時代も続いていて、それは環境によっても大きく変わる。いつか、予備自衛官も予備役と同様の状況が訪れることがあるかもしれない。そんな可能性も考えに入れ、それでもなおと思える人だけが、やはり応じるべきなのか。思索は続く。自衛隊が自衛隊として存在している以上は。


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