縮刷版2023年2月下旬号


【2月28日】 津田沼にあるパルコが今日で閉店とかで、どうなっているかを見物に行く。船橋駅にも西武百貨店がかつてはあって、今も東武百貨店があるから津田沼パルコで何かを買うということもあまりなかったんだけれど、映画館が入っていたのが良くて本八幡とそして津田沼で映画が見られるとあって時々出かけていったっけ。といっても見た記憶があるのは「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」くらい。何かの小説を読んでいて何か語り口がとても興味深かったので、映画になっていたものを絶対に観たいと思っていたのがリバイバル上映でかなったのだった。

 津田沼にはいろいろと本が豊富な書店もあったしゲーマーズなんかもあって割と通っていたんだけれど、都心へと出る方が多くなってくるとわざわざ津田沼に行かずともとなってしまってパルコからも足が遠のいてしまった。いつの間にかしまむらが入ってコラボ商品を買いに行ったのが最後くらい。それでも津田沼駅にあって文化的なきらきら感を象徴してくれていた建物がなくなるというのは、やっぱり寂しいものがある。船橋の方は西武百貨店の跡地を取り壊して何かつくっているけれど、ファッションビルにはなりそうもないし遠く千葉パルコもしばらく前に閉店となって、ファッションについて千葉方面でしっかりと答えてくれそうなのは幕張と木更津にある三井アウトレットパークくらいしかなくなってしまった。

 ブランドという何か人を寄せ付けるファッションがもはや共通の話題になりづらくなって、しまむらがユニクロであっても別に構わないと考える世代が一般的になってしまったんだろうなあ。そうした時代にファッショナブルなアイテムのショーケースとして機能していたパルコも役目を終えた感。渋谷については今もってしっかりと存在感を示してくれてはいるけれど、渋谷自体がどこか若い人からも年配のDCブランドで育った世代からも忌避されてしまっているような状況下で地盤沈下が進んだ場合、渋谷のパルコもどうなってしまうか分からないかもしれない。増田通二さんが作り育んだ文化の終焉。それでも名古屋パルコは未だに名古屋の中心だけにどこかに活路はあるのかな。

 JR東日本が気を利かせてつだぬま駅の看板を「つだぬまパルコ駅」に買えていたのを撮影し、その足でマイカリー食堂に寄ってチキンカレーを食べてから船橋へと戻ってしばらく仕事。3月に出るライトノベルでそれなりに面白そうなものをピックアップして並べて記事にして送信する。学園都市の「暗部」のひとつの「アイテム」が主役になったスピンオフが出るみたいでフレンダちゃんがまだ生きているあたりに涙する。麦野沈利もまだ歪んでなくて「はまづらああ」と唸る恐ろし可愛さが出る前の本当に恐ろしい姿で出て来そう。そうした中で絹籏最愛だとか滝壺理后だとかとワチャワチャしている姿を楽しめそう。発売はもうすぐだ。

 100万部を切ってしまっても全国紙である矜持はたぶん持っていそうな新聞が宮古島の市会議員を相手に取材もしないで書いた記事が間違っているし名誉毀損だと訴えられていた裁判で判決が出てやっぱり案の定負けてしまったみたい。そりゃそうだ。11万円に留まったけれども損害賠償を求められ、同時に記事削除も求められたということは公益にすらかなっていなかったって判断になる。そうした名誉毀損の裁判をいくつも起こされたいてい敗訴しているにもかかわらず、経営者が責任をとったとか記者が首になったという話を聞かないのもいつものとおり。訴えられた記者は取材費がないからいけなかったし電話番号を知らなかったから電話もしていないことが裁判で明らかにされているにも関わらず、今も記者であり続けているからなかなかに剛胆ぶり。そこまでの太さがないと生き残れない会社なんだろうなあ。僕はダメだった。

 プロデューサーの佐藤謙さんにお誘いを受けて渋谷WWWで行われたライブを観に行ったことがある黒崎真音さんが持病で亡くなられたとの報。前々から具合が悪いことがあって入院もしたりしていたけれど、回復してライブも行っていただけにやっぱり急死といった多いが否めない。スタイリッシュでパンチ力があってとなかなかのシンガーで、それこLiSAさんとかAimerさんといった女性のアニソンシンガーと同じように大活躍していたし、今後もしていくと思っていただけに大いに残念で仕方がない。しばらく覇権を示したi’ve系がちょっと息を潜めていて、アニソンの世界もバンド系が活躍している中で女性シンガーの活躍を引っ張っている存在だった。改めてご冥福をお祈りししたい。


【2月27日】 アメリカのバイデン大統領がウクライナのキーウを訪問したことで、G7の国の首長でキーウに行ってゼレンスキー大統領を会談をしていないのが日本の岸田文雄総理だけになってしまった。とはいえ日本の官邸がキーウ行きを画策したところでお喋りな誰かが国策だのを無視してメディアに喋って動向がバレバレになってしまう可能性が大。立憲民主超の代表は代表で国会の承認を受けろだなんてその身をロシアに差し出して死ねと言わんばかりの無茶を言い出していてとてもじゃないけどこっそり行ってしっかり帰って来られる環境にない。

 戦場のまっただ中に行く以上は軍人による警護も連れて行きたいところだけれども自衛隊の海外派兵になるからといった理由で自衛隊の特殊部隊は連れて行けなそう。かといって日本の警察の特殊部隊では戦争はちょっと荷が重いといった状況でとてもじゃないけど岸田総理のキーウ訪問は実現できないだろう。行かなきゃいけないのといった部分はもちろんあってウクライナを“壁”にしているEU諸国もロシアとベーリング海峡で接しているだけのアメリカも直接的にロシアと向き合っているとは言えない一方で、日本は北海道とロシアが接して漁業だの経済だので結びついている。ここで揉めたら経済や漁業が大きなダメージを受けるだろう。

 北方領土だって口では敵対はしてもいつかといった可能性を残すなら完全無欠の対立までには後退したくないだろう。そうしたバランスの上で政治をするならそれこそ特使という形で、安倍元総理が早期にキーウを訪問しつつロシアにも行って間を取り持つようなことをしておけば、今になって対応に窮することもなかったような気がしないでもない。それをやってこそ「外交の安倍」だったのだけれど残念にも亡くなってしまった今、特使の名札をつけられそうな政治家が日本にはちょっといなくなってしまったんだよなあ。麻生太郎元総理が行くとは思えないし森喜朗元総理もロシアに寄りすぎ。菅前総理は次を狙っているからここで“失敗”のレッテルを貼られたくない。7年という長期政権はその意味で「長老」を生み出すチャンスを潰してしまった感がある。結局いろいろツケを残してしまった長期政権のその後をどう乗り切るか。日本の未来も大変だ。

 ようやくもって吉岡平さんの訃報が新聞に載って一般に膾炙された恰好。吉岡さんの作品を舞台化していた劇団からの公表だそうで過去にいっぱい仕事をした出版社ではないところに時代の流れを感じざるを得ない。朝日ソノラマから朝日新聞出版とか結構出していたのになあ。当時を知る人がもういないので対応も出来なかったのかなあ。吉岡さんは静岡で開かれた日本SF大会に登壇してカメラについていろいろと喋っていたのを聞いたっけ。当時まだ出たばかりだったPENTAXのQを見せてくれたり、日本では売ってないサムソンのデジタル一眼なんかを見せつつ日本製だけじゃないってことを示唆してくれたりで面白かった。作品も有名なものだけでなく「コスプレ温泉」のように隙間を狙っていろいろ出してて結構面白かった記憶。そうした作品が埋もれ消えてしまうのも惜しいので早くソノラマ文庫を所沢のラノベ図書館に入れたまえ。

 勢いで早期退職という名のリストラに応募して4年。直前に居場所はないとかいろいろ言われて腹立ち紛れのところもあったとはいえ無茶をしたなあという思いがその後しばらく続いてほとんど1年、沈んでいたけどどうにかこうにか持ち直し、4年を生きてこられたことをとりあえず喜びたい。周囲でいろいろと助けてくれた方々にも感謝。とはいえまだまだ出来ていないことも多いので、こうしてできた人生の余裕を次の4年で吐き出して何か残せるように頑張ろう。不義理をしているところもあるしなあ。でも冬は布団から出られないのですいません。春は暁を覚えないのでやっぱり無理で夏は暑く……秋に頑張ろう。


【2月26日】 ネットでベルリン国際映画祭の贈賞式の様子を観察。レッドカーペットの中継もあって「すずめの戸締まり」チームが歩く姿が見られるのかと待っていたけど結局登場せず。同時刻に大きなホールで上映があったらしくそっちに行ってるんじゃないかって話もあったからもしかしたらそうだったのかもしれない。そして始まった贈賞式で「すずめの戸締まり」は特に何も受賞はしなかったけれど、ベルリンのコンペティションに選ばれたということ自体が大きな栄誉なので残念に思うことはない。

 むしろ日本のロングライドが製作出資している日仏共同制作の映画が金熊賞を受賞したんだから、そちらをメディアは大々的に取り上げればいいのにショボンとしか取り上げないところに、売れるものしか取り上げないメディアの今の足腰の弱体化が見て取れるのだった。誰かがネットで喋ったことを引っ張り写して記事にするコタツっぷりも極まっているこの状況で、足で情報をとりに行って空振りもしながら何かを掴んで書いたり報じたりすることをしないと、早晩ジャーナリズムは崩壊するんじゃなかろうか。だからといって違法なことをしてまで情報をとったらそれはそれでヤバいんだけど。

 つまりはそんな事態の代表例とされる「西山事件」の当事者で、元毎日新聞記者の西山太一氏が死去。沖縄返還に関連して日本が米軍にいろいろと配慮した“密約”をすっぱ抜いたというか、その情報を引っ張り出して日本社会党の国会議員に渡して質問させたもののその情報の入手において外務省職員の女性と通じて引っ張り出したことが露見し、逮捕され最終的には有罪となり毎日新聞は記者の不始末ということで部数が減って経営が傾き、ついには倒産からの新旧分離へと至った。新聞事態の信用度もここからたぶん変わっていって今の凋落へと至る、ある意味で分水嶺的な事件だったと言える。

 その評価には毀誉褒貶があって、やっぱり人をたぶらかして情報を引っ張り出すのは手段として違法だということがまずひとつあり、そして入手した情報をジャーナリストとして新聞紙面でまるっと出すことはせず国会議員経由で質問させるというフィクサー的でブローカー的な動きをしたことが拙かったということがあって、その振る舞いには大いに疑問符がつけられている。一方で密約という重大事があったことを世に広めたということを評価する向きもあるけれど、違法に入手した情報を元にした指弾はどれだけ重要で正義的であっても認めてはいけないのがジャーナリズム的な考えだとするなら、やはり批判されてしかるべき事態だっと言えるだろう。

 読売新聞社主の渡辺恒雄さんあたりは知人ということもあるし、同じ政治記者だったという状況から大騒動になったのは佐藤栄作と大平正芳の政治的な争いの中にあって大平正芳に近かった西山記者の行為を不問には付せないといった動きから、何が何でも起訴からの有罪に持っていったといっと話をしているけれど、そうした政治の思惑で罪が増減される状況もまたあまり好ましいものではなく、やはり罪は罪として罰を受けるべきものであって現在においてその手段は絶対に認められるものではなかったし、一方で報じられた内容そのものは日本の歴史において評価されるべきものだろう。

 そうした逡巡を経ながら記者はどれだけ真っ当に法律に触れず相手の譲歩なり正義感なりを誘い情報を引っ張り出しては世に問おうとしてきたのかって戦いの歴史を、今の記者はまるで感じ取れないのか『「正しい」やり方だけでは倒せない巨悪と対峙した時、どうするか。報道の世界には「目的が手段を浄化する」という考え方もあり、西山事件はまさにその一つだったように思います』なんて嘯き正当化しようとする超大手新聞の記者がいて、ここまで教条主義的な考えが蔓延るともはや取り返しがつかないんじゃないかと思えてしまう。

 というかネットでこうまで公言していることに同僚なり先輩の記者なりフリーも含めたジャーナリストがそれは違う、それを言ったら珊瑚事件だって環境破壊への継承を慣らす目的があったればこその手段だから浄化されるのかって話になると忠告するかというと、誰ひとりととして動こうとしていないのがどうにもこうにも苛立たしい。ライティな方面の書き手はレフティな新聞の記者が言ってることって理由もあって散々っぱら非難しているけれど、そうした左右の対立ではなくジャーナリズムの基本として、右も左も問い直すべきスタンスなのに右が言うなら左は無視だとなったらもはや左に未来はない。何か動きがあると願って成り行きを観ていこう。


【2月25日】 週刊金曜日を開いたら、100万部は切ったものの一応は全国紙を未だに標榜している新聞が宮古島の元市議会議員に関して書いた記事に対して起こされた名誉毀損裁判の判決が2月28日に出るってあった。どんな裁判かと記事をよんだらこれがもうお腹がよじれるほどに凄くって、書いた記事自体も事実無根でありながらも雰囲気を漂わせることによってネガティブに見せる手法が使われていてヤバいんだけれど、その記事を書くにあたって当人にいっさいコンタクトをとっていないというのもヤバかった。

 あるいは習近平だとかドナルド・トランプの記事を書くのに周辺情報があれば当人に取材をしなくても書けるといった主張が出てくるのかもしれないけれど、そうしたはるか孝美に存在する権力者への論評ではなく、同じ日本国内に暮らしている普通の人が相手なんだから直接尋ねて真意を聞きただすのが新聞記者ってものなのに、旅費が出ないので取材にはいけず電話番号を知らなかったので電話もかけられなかったと裁判で証言したとかで、言ってる口がカユくならなかったのか、そして聞いてる相手は腹がイタくならなかったのかと思えてしかたがなかった。

 過去にも同じ新聞の記者がありもしないことを新聞に書いては名誉毀損で訴えられて敗訴しまくっていたりするだけに、ある意味で通常運転なのかもしれないけれども、取材をして書くという基本中の基本を怠って問題を起こしながらも自分たちの正義のためにやったことだから認められるんだといった“造反有理”を地で行く振る舞いが認められる環境られるその新聞が、造反有理の総本山たる中国を大いに嫌っているのも何かの縁かもしれない。人はほら、嫌いなものに似るって言うし。言ったっけ。ともあれ裁判の結果が今は気になる。広報室長がどんなコメントを出すかも。いろいろと大変だなあ、その役職。

 そんな感じに右も右でポン酢なら、左もやっぱりポン酢なのが「妖怪の孫」という映画を紹介するにあたってChoos Life Projectなんて組織がツイートした文言に現れていた。曰く「A級戦犯となりながら首相の座にまで上り詰めた”昭和の妖怪”岸信介その孫・安倍晋三に多角的に斬り込んだドキュメンタリー」。おいおい岸信介は容疑者ではあっても不起訴になったからA級戦犯になってないだろう。まるでまったく事実と異なる文言でも、雰囲気作りに必要だからと平気で垂れ流す者どもの跋扈が、本気で正直に権力に向き合い戦おうとする姿勢に水を差すということを、いい加減分かって欲しいんだけれど、収まらないなあ。どうしたものか。

 届く荷物が届かないので近所のVELOCHEへと行って原稿を書きながら荷物の状態を見ていたら、配達状態になったのでとって返して荷物を受け取る。押井守さんのGGジャンパーという奴で前にLを頼んだら小さくて着られなかったのでXLに交換してもらったのだった。半額のセールだったから無理かもと思ったけれども対応してくれたのでこれはありがたい。そこが作った「ぶらどらぶ」のBDも買ってあげようかなあ。それだけの価値があるかどうかは今もって謎めくんだけれど。いや面白いんだけれどね。面白いんだけれどねえ。

 荷物を受け取って試してきたらちゃんと着られたのでこれでひとまず大丈夫。家をまた出て今度は亀戸のVELOCHEへと出向いてそこで原稿を仕上げた後、いつものキッチンDAIVEで大きめのお弁当を買って帰って貪り喰らう。こりゃあ太るよ。Lのジージャンが着られなくなるよ。でも仕方が無い、食べずにストレスを溜めるより食べて脂肪を溜める方がきっと生活にはプラスだから。4年前に逡巡してえいやっとばかりに辞めると行ってしまったあとの厳しい日々を振り返りつつ、ようやく落ち着いてきた今をどこまで伸ばして人生を逃げ切れるかを考えよう。あと5年は今の状態が続けられたら御の字かな。


【2月24日】 広島の学校図書館で11万冊の蔵書が処分されたという話は、仕切った赤木かん子さんが指し示す古いデータだとか常識だとかが満載の本を置いて置いたら生徒に間違った知識を教えることになるから処分するという姿勢そのものには共感できる一方で、高校生が読むのはもう遅すぎるような児童向けの本をそこに混ぜたらしいというとこでちょっぴり判断が迷う。上からの指示に諾々と従った教育委員会なり行政なりが悪いといえば悪いんだけれど、そうした配慮をさせる身に知らずなってしまっていることにあるいは自覚が求められるにも関わらず、現場に任せっぱなしにしてしまった問題を今後は反映させていくことになるんだろう。忖度社会の弊害は末端まで及んでいる。

 知り合いが出ているので三鷹で作業をした後で、吉祥寺へと回って吉祥寺シアターでオーストラ・マコンドーというところの舞台公演「さらば箱舟を観る。寺山修司さんが監督した映画の舞台化で、その映画はガブリエル・ガルシア=マルケスの小説「百年の孤独」を原作にしているけれども裁判とかの果てに表向きは無関係ということになっているらしい。舞台はそんな「さらば箱舟」を下敷きにした上で、喪われたものたちと出会い謎を探って己を知る、歴としたSFストーリーになっていた。

 例えるならこちらもテッド・チャンの小説を下敷きに下ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画「メッセージ」を織り交ぜたような感じ。SF好きの興味を削ぐことは明かせないので詳細には触れないでおくけれど、ある言語学者が耳にした言葉のルーツを求めていった果てに起こる出来事を描いたといったもの。円環のように綴じるエンディングからその先へと至る道がどこへと向かうのかが気になるストーリーだった。

 主役にあたる言語学者を演じた小林風花さんがほとんど出ずっぱりで抑制された演技をひたすら通して素晴らしかった。喋り倒せず動きまくれない沈着な役を演じきるスタミナが凄い。そして次に多く出て来たようなめがねさん、かな、関西弁で喋り動くことで話を進める役柄で、ペアを組むような中野匡人さんといいコンビ具合を見せてくれていた。そして三坂知絵子さん。マジシャン役だけどマジックが下手なマジシャンでどちらかといえばドタバタ要員なのに1カ所、シリアスになるところがあって豹変ぶりが凄かった。

 立て込みの何もないステージに車付きの寝台と椅子が2つとあとはちょこちょこといった小道具しか使わないのにどこかにある芸人たちが暮らすコミュニティをしっかりと描いてそんなところだと思わせてくれる。発端があって謎が浮かび上がって真相を探す旅が始まりコミュニティでの日々があってそしてクライマックスが訪れる展開は、緊張感があり少しずつ見えてくる真相があってそしてそうだったんだと驚ける種明かしがあってと最後までしっかり釘付けにされた。

 よくもまあマルケスの大著「百年の孤独」とそして寺山修司の難解な思考を折り込んだ「さらば箱舟」からこれだけの構造を持った物語を作り上げられたもの。決して入り組んでおあらず観ていればだんだんとストーリーに乗せられて状況が分かって物語世界へと入り込んでいける優しさと巧みさも持っている。それこそマルケスなりに小説に書いて欲しいほどで、それは無理でも誰かにおyるノベライズが出たら読みたいけれどもそれってやっぱりマルケスの許可が必要なんだろうか。それとも寺山修司側の許可だけで良いんだろうか。気になります。

 コオロギを食べるくらいなら大量に発生して大移動しながら作物をくらうイナゴをどうにかして食べたらと思いつつも長距離移動に適した体に進化した飛蝗は肉とかが少なくあんまり食べられないなんて話をいったい何で呼んだんだっけ。それはともかく何やら世間ではコオロギを食べるの食べないのといった話がいろいろ。その外観だとかをかんがえるとあまり食べたくないけれど、食べられるのなら食べること自体は否定しない一方で、ライティな方面で活躍しているジャーナリストがコオロギ絶対に食べないといったキャンペーンを張っていて、おいおいあなたがたが常々持ち上げている過去の日本でコオロギは食べられていたんじゃないの、伝統回帰ならそちらも受け入れるべきなんじゃないのと思えてしまう。まあ揚げ足取りだけれど日頃からアヤシい言動ばかりしていると、不一致を突っ込まれることがあるんだと知って欲しいものだねえ。


【2月23日】 子供を増やすことが喫緊の課題だというところで、子育てに関わる予算の増額が期待されている中で官房副長官ともあろう立場の人が何か言うなら今の状況を改善するための予算の増額が検討されているってことであるはずなのに、木原誠二官房副長官が言うには子供の数が増えればそりゃあ子供の予算も増えますよっていったことで、現状を改善するために予算を増やそう、たとえば補助金だとかを倍増させてゆとりをもって子育てができる状況を作ろうといった前向きさがまるで感じられないその言葉に、反発する声が出るのも当然だろう。そう言えばそう言われることだって分かっていそうなのに、行ってしまう政治家のポン酢ぶりも浮かび上がったこの一件。でも政府は知らん顔してスルーするんだろうなあ。そうやって次の30年も喪われていくのだった。やれやれ。

 宮下公園からホームレスが追い出されてナイキのネーミングライツによる公園が出来たりして渋谷も情に乏しい街になったなあと思ったらさらに宮下公園は公園ごと大改装されて巨大な建物が出来てもはや公園の体を成してないようになっていて、ゆとりがあってこそ成り立つ文化をもはや見捨てて完全に商売の街になろうとしているなあと感じていたところに、それを裏付けるような事態が発生。宮下公園跡地の建物群の端にあって代々木公園を睥睨するようなホテルの最上課に設えられたバーに設置された吉田朗さんのアート作品が、改造された上に撤去されたというからもうこれは文化を焼く行為だと騒動になっている。

 招き猫と張り子が合体したような猫張り子というアート作品がどでんと据えられ手から温水が出て渋谷の最上階でもって水遊びが出来るバーだということで評判になっていた。それもまあバブルで成金な雰囲気が紛紛として若者の街渋谷といったイメージから遠すぎて、どうでも良い思えてしまうんだけれどこれはこの際関係なく、ひとつのアート作品として提供されたものがそのバーの運営元が変わったこともあったのか、勝手にラッピングされてコラージあるいはグラフィティめいた装飾が施されたものにされてしまった。

  作者の銘も削られたのか消されたのか。それはもう著作権だとか著作人格権を大きく無視した振る舞いで、作家をマネジメントしているギャラリーの人が抗議したけどらちが明かないと嘆いてSNSで公表して大騒動に。すぐさま新聞だのリベラルにアクティブなメディアが記事にするかと思ったものの追いかけてくるところがないのも嘆かわしいけどそれも今後の行方を見守るとして、こうして騒動になるだろうことを少なくとも三井不動産あたりは想定して対処すべきだったのに何もせずむしろ荷担し、そして抗議されれば作品を撤去して倉庫に放り込んでしまうあたりに文化なんて金儲けのバッジみたいなものだという姿勢が透けて見えて嫌になる。

 思えば西武の流通を担っていた堤清二さんが率いるセゾングループが渋谷西武だのパルコだのを渋谷に作り文化の香りを持ち込んで、若者向けのファッションだとかアートだとか映画だとか書物なんかがどっと入って盛り上がっていたじだいが1980年代から90年代にかけて存在した。渋谷に行けば何かに出会える期待あったのがだんだんとバブル崩壊の影響もあってセゾングループの元気が喪われ、雰囲気が乱暴になり幼稚になる一方で成金になり拝金的になった結果が今の巨大なビルが林立しても映画館はできない渋谷へと至った。そこにアートを蔑ろにする行為。当然の帰結であって渋谷の死滅を表すものでもあるけれど、そこに気づかず今の定見を持たない改造を進めた結果がどうなるかを、考えるべき時期に来ているんじゃないかな。本当に行く意味がない街になりつつあるものなあ。

 仕事の話が来たので池袋へと回ってジュンク堂で「ミニオンたちの世界 エリック・ギロンによるイルミネーションアニメのキャラクター創造の秘密」(著:ベン・クロール、まえがき:クリス・メレダンドリ、訳:富永晶子)という本をかっていろいろと参考になりそうな部分を引っ張り出す。そうかミニオンって最初はオーバーオール姿の作業員だったのか。それがロボットだったり軟体生物だったりを経て今のバナナみたいな形に落ち着いたらしい。それでもやっぱりただの作業員だったのが、有史以来存在する生命体という設定が載ったことでグルーの元から逃げ出すストーリーが生まれたみたい。キャラクターは変化するってことを教えられた。タマネギ部隊もマリネらの原住生物だって設定が生まれて来たりして。


【2月22日】 追悼気分が大きくなり過ぎて、松本零士さんが例のごたごたの後に自分のものとして作った「大YAMATO零号」のDVDボックスを買ってしまう。見る気はしばらくないけれど、本編とは違った世界観でもって自分なりのヤマトをどのように考えていたのかがあるいは滲んでいるかもしれない。いつかその思想を振り返る時に何か参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。監督は自分ではなく勝間田具治さんという大ベテラン。声優も一流どころが揃っているし見れば日本のアニメの一角を確認できるかもしれないし、できないかもしれない。

 そういえば2000くらいの年末に確か浅草でソースネクストの「タイピング波動砲」というタイピングソフトの発表会があって、そこにささきいさおさんが登場したのを観ていた記憶がある。水木一郎さんの“復活”も少しずつ進んでいてささきいさおさんもアニソンブームの立役者として注目が集まっていた時期。とはいえ大きなホールでコンサートができるほどでもなかった時に、その歌声を聞けるのは貴重な機会だった。

 そこでささきいさおさんは、自分が斎藤始役で登場する新作の企画が進んでるって話をしていた。そのまま進めば今とは違ったヤマトの歴史を見られたかもしれないけれど、揉めて大YAMATOへと言ったけど、ささきいさおさんは沖田十三みたいな艦長役で登場した。今振り返ってどのようにこの作品を思っているんだろう。そこは気になる。亡くなられた後に追悼のコメントを出していて、「「これからも作品の心を大切に歌っていきます。謹んでご冥福をお祈りいたします」と話していた。ヤマトであり「銀河鉄道999」といった楽曲をささきいさおさんが歌えば浮かぶあの世界。そこに松本零士さんの思いが息づく。永遠に。

 急に必要になって「怪盗グルーの月泥棒」を見る。なるほどミニオンとグルーの関係ってあんな感じだったのか。わちゃわちゃとしてちょっぴりまぬけなボスの下、一生懸命働いても報われない感じは「パタリロ」のタマネギ部隊と重なるところがある。あるいは「ヤッターマン」のビックリドッキリメカ。フォトンのポチたちはそれらに比べてグッと新しいけど「怪盗グルー」よりは古いか。グルーの声が山寺宏一さんだったらなおのことポチっぽさを感じたかも。でも山寺さんだと巧すぎてグルーの人の良さが出ないから、笑福亭鶴瓶さんで最適なのだった。

 鶴瓶さんといえば弟子の笑瓶さんが急死されたとか。ずっと昔の「突然ガバチョ」でアシスタントめいた役割で登場していたのを観た時からどれくらいの時間が流れただろう。人によってすぐに消えてしまう若手芸人も多い中、東京に出てモノマネだとかリポーターといった役でテレビに出始めて活躍して、しっかりとした地位を固めていた。落語がどうなのかは聞いたことがないから分からないけれど、松鶴から鶴瓶と来て笑瓶といった流れを大切にして次につなげて欲しかった。仁鶴も亡く松鶴の名跡も宙に確か浮いた状態で笑福亭一門の前線も失ってますます鶴瓶師匠の役割が重くなるなあ。いっしょ松鶴を継いでしまえば良いのに。

 結局中華料理屋でラーメンライスは食べられず、スーパーでカップラーメンを買ってコンビニで三色ご飯を買ってそれをラーメンライスの代わりにかき込んで松本零士さんを偲ぶ。あとはタテだかヨコだか分からないステーキも食べたいけれど、あれは箸を刺すとはじけ飛んで皮しか残らないから別に良いのだ。サルマタケは一生食べたくないなあ。あとどんな食事があったっけ、松本零士メシ。やっぱり普通のステーキも食べておくべきかなあ。


【2月21日】 ひたすら読書の日。アニメーション化が決まった「薬屋のひとりごと」を改めて読み返しつつなるほど猫猫の声にはやっぱり悠木碧さんをおいて他にないかもって確信する。「ワンパンマン」の戦慄のタツマキだとか「幼女戦記」のターニャ・デグレチャフといった小さいけれども乱暴狼藉傍若無人な女の子といった感じが重なるし、「平家物語」のびわのような小さいけれども達観している感じもやっぱり重なる。人さらいにあって後宮に売り飛ばされても逃げたり諦めたりしないで、年季明けを待って目立たないようにするような真似を普通の子供はなかなかできない。

 憮然として不細工に見えるけれども化粧をすれば案外に綺麗なところもあったりする豹変ぶり。幅広い役どころをこなしてきた悠木碧なら完璧以上にこなしてくれることだろう。問題はだから壬氏を誰が演じるかってことで、業界的に健在だったら櫻井孝宏さんをおいて他にないんだけれども目立てる状況にないあたりから別のイケメン系が入ることになるんだろう。人なつっこい笑顔で優しく喋るけれども裏では悪巧みもするこちらも二面性を表現できる人。誰がいるかなあ。宮野真守さんだとハマり過ぎかなあ。

 PHP文庫から出ていることに気がついた小田菜摘さんの「後宮の薬師 平安なぞとき診療日記」も読んでみる。こちらは中華風ではなく日本の平安時代が舞台。九州の博多で医者をしていた父親が中国出身の女性が乞われて京へとやってきて、いろいろな病気をその知識で直していくといった感じのストーリー。現代医学ならすぐにでも分かりそうな病気でも昔は見たてと経験から判断するもの。それが時に誤謬も呼んでしまうこともあるようだけれど、瑞蓮という主人公は冷静に状況を見て原因を探り的確な治療をしていく。

 ニキビ肌にいろいろと薬をぶっこめば余計に荒れるだけだから、薬を絞ってしっかりと治すべきだと諭したり、歩けないのは理由があるからだと原因をしっかり探ったり。時々迷ったりもするけれど、そこに現れる安倍晴明が占いの結果を言うことで、直接的ではなくても何か方向性を見いだしてそこから突破口を開いていくところも面白い。平安時代にメンタルの病気があるってことも描かれていて、だからといってそれだと決めつけるのもいけないといった描写は真実はひとつとは限らない可能性を教えてくれる。なかなか読み応えのあるシリーズ。赤みがかった髪で目は翠で聴診な瑞蓮を、ドラマ化なり映画化したら誰が演じることになるんだろう。考えてみたくなった。

 浜松の海岸に巨大な鉄球が流れ着いたとか。見るからにクレーンの先にぶらさげて建物なんかを破壊する鉄球にしか見えないんだけれど、そんなものが海の中をゴロゴロと転がっては浮かび上がって海岸に打ち上げられるとも思えないだけにやっぱり何なのかが気になる。虚ろ船って話もあるしなあ。あるいは浅間山荘で破壊に使われた由緒正しい鉄球が、その後の紆余曲折を経て浜松の海岸に流れ着いたなんてストーリーでもあったらそれこそNHKがドラマにしたって不思議はないかも。続報を待とう。飾られるようなら見学にも行きたいねえ。

 プロレスラーの武藤敬司選手が引退。東京ドームで行われた興行を観に行きたい気もあったけれども仕事もあるのでネットで情報を見るに留める。内藤選手を相手にしたラストマッチで敗れるところも引退を決めたプロレスラーらしいといえば言えたけれども、その後にリングサイドにいた蝶野選手を呼び入れて、試合をしてやっぱり敗れて引退を決めるところもプロレスラーの憂愁として美しかった。杖をついて歩くのも大変そうな蝶野選手だったけれどもリング上ではすっくと立って現役最後の武藤選手とガッチリ組み合い倒して決める姿に涙が出て来た。橋本真也選手がいればもっと良かったけれど……。これでひとつの時代が終わってそして本当の新しい時代が始まる。その次は? プロレスは続く。


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