縮刷版2022年9月上旬号


【9月10日】 極音上映が始まったので立川シネマシティに「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!!」を観に行く。予約していたと思ったらしてなかったけれど最前列を買えて良かった。音的には中断で見た方が良いんだけれどやっぱり映画って大きなスクリーンで見たいから最近は前目で見ることが多いのだった。もう何度目になるか分からないくらい見ているけれどもやっぱりラストは感涙。そして始まる新たな物語が映像として紡がれる時は来るかなあ。その前に「マクロスF」のアルト帰還を描いて欲しいかな。

 見終わって何か続けて見る手もあったけれども調布で女子サッカーのWE LEAGUE CUPが開かれているのでそっちを身にモノレールで高幡不動まで行って京王で飛田給へ。歩いてAGFフィールドに行ったら横にアリーナが作られた関係からか、スタンドが整備されて見やすくなっていた。狭くて座る席もなさそうだったのでフェンスで立って見物。最前列はアクリル板が置かれて逆に見づらいのはどうしたものかとちょっと思った。

 試合は日テレ・東京ヴェルディベレーザとINAC神戸レオネッサとの試合。振り返れば日韓のワールドカップが2002年に開かれた流れで女子サッカーを観に行くようになってから20年。その時に見たベレーザの試合で中盤の底にあって縦横無尽に動き回ってはこぼれたボールを収め後ろからのボールを前へと回す役目をこなしていた酒井(現加藤)與恵選手の凄さを目の当たりにして、ベレーザと女子サッカーに強い興味を抱いたのだった。それから20年経ったと思うとなるほど自分も年を取るわけだ。

 試合ではそんな中盤に入っていたベテランの宇津木瑠美選手が走り回って収めていたけど前線からのINACのプレスが激しく責めきれないまま前半に奪った2点を後半に奪い返される形で同点のまま終了。コーナーキックからのゴールを鮮やかに決めたINACの田中美南選手選手にはやっぱり決定力があった。ベレーザは昔みたいに鮮やかにパスを回しつつゴールに迫る感じがなくてサイドからしか攻められない感じがあったけれどもやっぱり中盤の差なんだろうか。トップで収める選手の不足だろうか。カップ戦からリーグ戦へと入って経過を見ていこう。

 そんな試合を見ている最中にアニメーションで美術監督を担った小林七郎さんが無くなっていたとの報。2020年の1月21日に三鷹ネットワーク大学で行われた小林七郎さんのトークで聞いた話を以前に書いて、宮崎駿監督との相性はあまり良くなかったけれども今公開中の「ルパン三世カリオストロの城」では美術監督を任せてもらって、ジブリとか宮崎監督はあまりやらないような輪郭線のある背景美術を描いて収めた話なんかを紹介した。キャラに線があるなら背景に線がないのはおかしいじゃないかという理論。それもそうなんだと思ったので劇場で改めて確かめてこよう。他の宮崎駿監督作品と何が違うかも。

 そんなトークイベントで出た話からまだ紹介していなかった話を幾つか。「これで良いと思ったらそれで終わり。もっとという所があるなら、そこを攻め口にして可能性を追いかける。それが人間として当たり前。直感と閃きと偶然性の3つを延々と続けています」と話した小林七郎さん。「これでもない、あれでもないと思いながら、少し良くやったかなという一種の達成感を持ちながらやって来た。寿命も間近。いつ事切れてもおかしくない。必死で頑張っています」と、87歳にしてなお画家として探求していたところがうかがえた。

 「自分の本能、思い、自分なりの偶然の動きと偶然と必然の境目、持って行こうとする意志的なものがあり、それを偶然の手の動きを 必然と偶然の境目を行き来している」とも。言われたものをただ描くんじゃなく、画家として背景美術も捉え描いていたということなんだろう。「物と物とのメカニズムには何種類もあって、微妙な違いがあって、ひとつとして同じ物はなく、違う関係が生じる」。そんな手と絵の関係を大切にしたからこそ「固定化されたものをただならべたてるようないまのような今の背景の間違ったやり方」 東映動画にいたけどすぐに辞めてしまったのは「アニメーションの背景の描き方、という言葉が嫌い。(東映動画は)描き方が決まっていて、それが嫌だった」から。「だから小林プロダクション作った」。そして採るのは「未経験の若者だけにした」。そんな若者の「筆を奪い取ってガアッとやる。呆れかえっているが真似をする」。小林七郎さんの門下は、そうやって覚えていくものだった。
 とは言えコピーは求めない。「見本やサンプルをそっくり真似ようというくだらないことはやらない。下手でもそこに自分でよい所を発見する。はっけんできなければ虚しくなる。発見できれば希望になる。下手でもやったという達成感」と求めさせたという小林七郎さん。「可能性を追いかけさせる訳です。もっともっとと。丁寧さを外して筆を虐めるようにさせるんです。丁寧さは問題なんです」。だから「筆がすり減ってきたら普通は捨てちゃうんだけれど、先がない方が使い良いんです」。これにはちょっと驚いた。

 「ある物を生かして使うんですよ」と小林七郎さん。そして「そのためには、自由な手の動き、動きの自由さはとても大事」。それがあると「筆が勝手に意外な足跡を残してくれるんです。そこから動きとかタッチとか足跡が魅力的な部分をまず見つけ出します。それを拾い上げます」。奔放さには訳があった。そんな小林七郎さんによる現状への警鐘も出た。「写真を見て描くのは邪道。でも、多くの会社で戦力になりやすい。そして加工技術に置き換わる」。それでも「カメラの映像をなぞることには主体性がない。もっと自立しなきゃ」。そして「心ある若手はいるし、個性の出番はある」とエールを贈る。

 「人材は日々新たに生まれ育っていく。そんな優れた若立てが伸びる可能性、道が閉ざされないように大人達はリーダーとして、若手の伸び盛りの可能性を生かせるように頑張りたいですねえ」と話していた2年前の小林七郎さん。だからこそ少しでも長く活動を続けて欲しかったなあ。とは言え現場は効率化を求めがち。なら「デジタル化も少し使いながら手書きの魅力が発揮されるような画面をうまく追い込んでいく。見る側がもっとこういう映像が欲しいという選択の可能性、予知を与えるような絵を描く」ことで自分らしさを出して行く。そんな道を小林七郎さんは示唆してくれていた。

 「表面的には加工性を取り繕いながら、手業の迫力というものを巧いこと潜り込ませる」。ただし「手間がかからないという前提がある。手間がかかって良いことはない。手業は一瞬の動きを大事にする。そこに未完成の凄さがある」。あとは見分ける側の眼力となるのだろう。「見る側が未完成さに気づいて不安になったり疑問を感じたりするような映像があっても良いんじゃないかな。ダメな大人の価値観に追従しない、実験的でよく分からないものが出来てしまった、そんな未完成の魅力をちらつかせる方法もあるんじゃないかな」と小林七郎さん。受け継ぐ若い人たちには、そんな背景画を見せて欲しいなあ。


【9月9日】 明け方に目が覚めてパソコンに向かい原稿を打っていたら速報でグレートブリテン及びアイルランド連合王国こと大英帝国のエリザベス2世女王が亡くなられたとの報が流れてきた。フェイクなんかじゃなく勇み足でもない本物の報らしく続々と入ってくる情報にひとつの時代がまたしても終わった感じを強く味わった。英国の女王であったこともなけいしとりたてて親しみを抱く間柄でもないけれど、70年に及ぶ在位は昭和天皇と重なる部分もありつつ昭和天皇崩御以後の30余年を生き抜いてはソ連が崩壊して冷戦が終わり中国が台頭してといった具合に変化する世界情勢を目の当たりにしながら、それでも尊厳を保ち続ける英国の君主であり続けた。嫌われず疎まれず敬愛された存在。そのあり方は日本の皇室にも大きな影響を与えた。

 太平洋戦争を経て象徴の地位へと祭り上げられた日本の皇室とは違って未だ君主としての権威と権力も持った女王でありながらも、マグナカルタの理念にのっとり立憲君主制を守って政治は政治家達に任せていたけれど、上にしっかりとあの女王がいると思うと不遜なこともできないし不敬な振る舞いもできない。身ぎれいであり真っ当でなければ女王に合わせる顔がないと誰もが思えばこその身の処し方を誰もがしていた国がチャールズ3世が引き継いだ後、どうなっていくのかにも興味がある。母王と違って恋に奔放でダイアナ王妃と離婚後にカミラ・パーカー・ボウズルと結婚をして数十年、耐えつつ出過ぎないで来た人が王となって何をするか。あるいは何もしないのか。そしてその後は。英国の未来もかかった大きな節目に立ち会えたことを、人生として噛みしめよう。

 リコリコ人気がライトノベルにも及んだようで、アニメの「リコリス・リコイル」でストーリー原案を手掛けたアサウラさんが電撃文庫から出したスピンオフ小説があちあこちらの書店で品切れ完売増版待ちの状況になっているとか。近所のときわ書房船橋本店も「デスニードラウンド」とか「道ーMEN」のサイン入りを置くほどにアサウラさんを持ち上げてながらも「リコリス・リコイル」のノベライズについては数冊が残っていたくらい。サイン入りを置く余裕もなかったみたいで同じ棚には並んでいなかった。「ベン・トー」の時もこれほどの賑わいはなかったから、やっぱりアニメの人気が今抜群ってことなんだろう。心臓が大変でどうなってしまうか分からないところにアニメはきているけれど、小説は楽しくスイーツ話がいっぱいで甘味を食べたくなった。錦糸町を歩いてみるかなあ。

 個展を開いていると聞いて東長崎にあるターナーギャラリーへとでかけていってキム・ハケンさんのインスタレーションと絵本の展示とそれから上映を見る。上映作品は「ぐりうむ」から新作「RED TABLE」までひととおり見たことがあるし、「RED TABLE」なんて先だって広島で開かれたひろしまアニメーションシーズン2022で見たばかりだけれど、ターナーギャラリーの壁に投影する上映だと下のザラついた壁の氷面がそのまま原画にエンボスのようなエフェクトを与えて生々しさが増したような気がした。高解像度のモニターなどでは味わえない不思議なテイスト。でもそれが荒々しさを持ったキム・ハケンさんのアニメーションに相応し。上映は10日も開かれほかに16日と17日にも開催予定。近くまで世ったらのぞいてみよう。

 池袋へと戻ってポリゴンピクチュアズが来年の1月からフジテレビ系+Ultraで放送する「大雪海のカイナ」の先行試写を見る。はっきりしたことは言えないけれどもとりあえず、口の位置が鼻から離れて顔の下の方について「ほげらっ」といった雰囲気の顔立ちを持った姫様が愛らしく、そして敵方を率いる「風の谷のナウシカ」で言うところのクシャナに近い立ち位置の女将軍めいたキャラクターのスタイルも顔立ちも戦いぶりも良かった。きっとそんな姫様と女将軍の間で木訥な少年のカイナが振り回される話になるに違いない。あの平和主義が対立する雪海の勢力を仲直りさせつつ世界を復活へと導くのか。そんな想像を抱きつつ放送を待つ。先が長いなあ。


【9月8日】 朝から外苑前で取材。フランス人のアニメーション監督はレミ・シャイエ監督とかローレル監督とかパトリック・ハンバート監督とかに話を聞いたことがあるけれど、いずれもアーティスティックな作品を作る人たちでフランスからアメリカに渡って商業作品で成功した人はちょっと珍しかった。いや「怪盗グルー」の監督も確かフランス人か。フランスだからといってバンドデシネが得意とかアートアニメーションに向かうとは限らないのは日本でもアニメ大国でありながらいろんな作品を作る人が多いことが表しているのだった。そういうものだ。

 取材が終わったのでせっかくだからと松濤美術館へと出向いて「装いの力―異性装の日本史―」を見る。なるほど神功皇后が男装したりヤマトタケルが女装をしたりと日本の歴史には異性装が割と多いし文化だって能も歌舞伎も男性が女性を演じている。それが男性優位の着想からなのかどうかは難しいところもあるけれど、巴御前のように戦場で男装をして戦う女性もいたりした訳だし井伊直虎だって女性の身で戦国武将をやっていたからそのくらいまでは割と普通にクロスしていたんだろう。出雲の阿国だって女性だった訳だし。それが300年の江戸時代の中で代わって明治期でグロテスクなまでに変化してしまったのかな。それを尊ぶ今がやっぱりおかしいってことで。

 新しいところでは異性になりきってポートレートに写る森村泰昌さんとか、男女の境界をボーダーにした舞台を見せたダムタイムとかの展示が。あとドラァグクイーンのアイテムなんかもずらりと並んでなかなかに壮観。トランスジェンダーのような内心の性と外見の性の不一致を合致させるような動きとはまた違った、それぞれの性が持つ特徴を尊びつつ自分の性も維持するタイプの異性装は趣味の世界とも憧れへの成りきりとも思われてLGBT的な範疇ともボーダーなところにありそうで、いろいろと判断に迷うところもあるのでこれを機会に考えたい。

 とことこと渋谷まで歩いて天下一品の上にある渋谷餃子に入ってまあ昼ご飯でもと思いチャーハンの大盛りを注文したら大きすぎた。ついでに水餃子も頼んでしまって食べきれるかと思ったもののするりと平らげ胃袋はまだまだ健全であることが分かったので良しとしよう。代わりに夜は抑えていく。大手町まで戻ってスターバックスであれやこれや原稿書き。「アニメ大全」が解説されて2週間くらい経ってきたけど世間の騒然も落ち着きつつ内容を見極めるフェーズに入って来たって感じ。「新世紀エヴァンゲリオン」がなぜ入っていないのかを突き詰めるとそこに誰が「アニメ大全」を作ったのか、その運営費はどうやってまかなわれるのか、そしてデータはどうやって面倒を見るのかってあたりを考えざるを得なくなる。そことのすれ違いがあるいは原因なのかもしれないけれど、実際はどううなんだろう。謎めく。

 電通の元専務が絡んだ東京2020オリンピックのスポンサー選定をめぐる贈賄事件は仲介する側が最初からマージンを見込んで口利きをする態度を満面にして接していて、それに従わざるを得ない状況があったようにも見受けられてスポンサーを希望した企業にはなかなか大変。だから問題はそんな人間にすべての窓口を集約させて任せた組織委員会にあるのに動こうとせず探られようともしない状況に、当の元専務がぶち切れてすべてをぶちまけ始めないかと思ってワクワクしている。元総理あたりも参考人で話を聞かれているみたいだし、そこで逃げようなんてことを考えたら歳も歳な元専務が冥土に土産として持ってなんかいかないと思ってくれれば面白いんだけれど。さてもさても。


【9月7日】 朝から図書館で原稿書き。群馬県の太田市で取材した保育園についての紹介記事で最新の気気を入れて保育士さんたちの作業をずいぶんと減らしているといった内容になっている。園児の送り迎えについてもシステム上に記録するようになっていて、チェックを入れればそれが登園の記録になり、同じようにチェックを入れて降園の記録になるといった具合。これがあることで朝とかに園児を迎え入れる保育士さんたちの労力もグッと減ってなおかつ正確性も上がったとか。

 思うに通園のバスに置き去りにされて熱中症で女の子が亡くなったいたましい事件でも、こういったシステムがあればまずはいないことがチェックされ、そのことが親へと連絡がいって送り出したはずなのに登園していないのはどういうことってなって調べられ、見つけられたことだろう。もちろんシステムがなかったから起きた事故ではなくバスを運転していた園長が載せた子どもたちがちゃんと降りたかを確認しなかったことがひとつ、出欠を確認してきていないなら来てない理由を家に尋ねなかったことがひとつといった具合に、いろいろなミスが重なって起こった事故だから、不注意の極地だったとしか言い様がない。それでも減らせるミスならシステム化も考える必要があるし、そうしたシステムがあることが選んでもらえる理由になるなら、どんどんと入れていって欲しい。それで失われない命があるってだけでも嬉しいから。

 第25回文化庁メディア芸術祭の受賞作品展開催が迫っている一方で、来年度以降の作品募集を停止して実質的に受賞作品展もなくなることで、文化庁メディア芸術祭自体が消滅してしまう可能性が浮上していることについて、古川タクさんを会長にしてアニメーション作家が加盟している日本アニメーション協会が、これはアニメーション文化の普及において見過ごせない事態ととらえて意見書と提言書を出したとか。どういった内容なのかはサイトに上がってはいないけれど、アニメーション作家を発掘して世に知らしめるイベントとして有意であり、多くが目指して作品作りに励んでいたイベントが突然になくなってしまうのは、やはり大きな損失だろう。

 普通だったら今回は募集しつつ来年度以降はもうやりませんよと告知して、ラストチャンスを与えるのが綺麗なんだけれどそれすらやらなかったところに拙速さを感じて仕方が無い人も多いんだろう。これは一方で芸術祭の顕彰も中止して文化庁映画賞の贈賞も中止する動きと連動していて、すべての募集を待つことができなかったとも言えるけれどそれにしてもやっぱりやりようがあった。文化庁的には中止する一方で新しい枠組みの育成なり称揚なりの仕組みを作る考えもあるからそちらに期待はあるけれど、だったらそれを早急に説明してアニメーション作家の不安を払拭して欲しいもの。何か答えは出てくるのか。とりあえず文化庁メディア芸術祭での文化庁長官の挨拶に注目だな。

 図書館で仕事を終えて続きをVELOCHEで仕上げて夕方まで時間があったので、亀戸のキッチンDIVEへと出かけていってベーコンエッグがご飯の上に乗った弁当を買ってきて夕食と昼食として食べる。5つは確実に乗っていた目玉焼きの目玉がギロギロとこちらを見つめる迫力はなかなかだけれど、食べるとこれが美味しいからたまらない。キッチンDIVEといえば揚げ物がぎっしりの茶色い見た目の弁当が多いけど、そこにあってタンパク質の塊が乗っているのは栄養的にも貴重。なので夕方にどっさり食べたい時にはそれを選ぶことにしているのだった。でも亀戸では見ても御徒町では見ないんだよなあ。それとも今はあるんだろうか。また寄ってみよう。


【9月6日】 ずっとご当地パスタが続いていた阿佐ヶ谷のぱすた屋は、今月は他の店とのコラボ系ということらしくラーメン二郎っぽいパスタを出していた。ラーメンスープっぽい味付けのパスタでキャベツだとかチャーシューだとかが乗っかっているけれど、頼んでもマシマシにはしてくれなさそう。大盛にすればパスタだけでも結構な量があるから十分といえば十分か。看板の画像と比べてチャーシューが薄くて小さいのはご愛敬。食べるともりもりと食べられて元気も出てきたので今度は本家のラーメン二郎に挑むか。まだ1度しか食べたことなんだよなあ、二郎。

 AOKIからKADOKAWAや大広へと類焼した東京2020オリンピックのスポンサー選定をめぐる贈収賄事件は、KADOKAWAから逮捕者を出してなかなかに深刻さを増してきた。AOKIだったら選定によって安売り紳士服チェーンの箔が付くようなイメージも浮かぶし、大広は電通からこぼれた広告案件を取り扱ってマージンを得る道が開けるというイメージが浮かぶ。出した金額もそれに見合ったものに思えるけれども、KADOKAWAの場合は7000万円という大金を、現時点では賄賂すなわち裏金として渡したってことになってそれだけ出して、何を狙ったのかがまるで見えてこない。

 だからあるいは、スポンサー料として出しただけでその相手を電通と思い込んでいたらコモンズ2という電通で雑誌局なんかにいたらしい業界の重鎮だったという、一種の勘違いなり相手側の詐取があったのかもしれないけれど、そうではなく純粋に何か依頼したお金として渡したんだとしたら、それに加えてスポンサー料を支払って得られる見返りが何かあったって考えなくては納得が得られない。それがまるで分からない。大会ガイドブックなんて100万部売ったところで末端で10億円の売上げくらいにしかならず原材料費を削れば利益なんて数億円。それにスポンサー料と依頼料をはらったら赤字になる。

 それで得られる名誉なんてものはすでにKADOKAWAは持っている訳で今さら何を目指したのか。あるいはだからインバウンドによる新しい事業収益を模索してそちらに広がる道を何か考えていたのかもしれないなあ。文化でありアートでありスポーツといった事業を総合的に手掛けつつ出版と映像とネットで展開していくメディアコングロマリット的なものを模索していたのだとしたら、その発端としてオリンピックに期待したものの結果として1年延期でなおかつ無観客となって取りっぱぐれた上にこの事態。間が悪かったとしか言いようがないなあ。真相やいかに。次なる展開を待ちたい。

 将棋の藤井聡太五冠が王位戦で豊島将之九段を退けて3連覇を果たし、これで持って津タイトルが通算10期に達したとのこと。羽生善治九段が同じだけ稼いだ時よりも3年くらい早いみたいでその強さその凄さがぐっと際立ってきたけれど、そんな五冠をこれから18年間維持してようやく羽生九段が持つ99期を抜ける訳だから、やっぱり羽生九段は凄まじい強さなのだった。可能なら今一度、タイトル戦に登場して100期目を獲得して欲しいのだけれど、それにはたいていの棋戦で藤井五冠に勝たなくちゃいけないからなあ。さてもどうなる。

 海の向こうでは大谷翔平選手がホームランを2本打って打棒の好調ぶりを見せている。投げても失点を抑えて好成績を収めているもののチーム状況からなかなか勝てないのが可愛そう。かといって他の球団でおなじような待遇を保ってくれるかというと難しいところがあるから、ワールドシリーズだとか抜群の成績は置いてもエンゼルスに居続けるのが価値としては最高を維持できるのかどうなのか。次のオーナーがお金をたっぷり使って凄い選手を集めてきてくれるなら考えるかもしれないし、逆に集めてくれないなら移籍もあり得るのかもしれないなあ。ヤンキースで投げて打って勝つ日本人選手。あり得ないものが見られる日が遠くない時に来るかも知れない。


【9月5日】 例の元電通の元専務の人による東京2020オリンピック組織委員会を舞台にした贈収賄事件で、広告代理店の大広も元専務に知人の会社とやらを経由してお金を納めたらしいといった話が浮上。ここで大広とだけ書いているけどそもそも大広は今や博報堂DYホールディングス参加で博報堂や読売広告社とグループで、電通グループとは商売仇なのにそっちにもひとくち噛ませて全体から収奪するとか凄まじいことが行われこに震えがくる。

 1業種1社だとどこがとるかで値段のせり上がりが起こる可能性があって不公平感もでるなら、そこは多くの会社に入ってきてもらおうとうのは日本的な解決方法ではあったものの、そうやって間口を広げたことであちらこちらに声をかけ、選ばれた会社っぽさを感じさせることで協賛金を集めるようなさもしい商売が生まれてしまった感じ。それを仕切ってお金をガメたならよほどお金が好きだったんだろうなあ。元専務。しかし何のために?十分稼いでいただろうに。そこが分からない。

 IOCの偉いさんになれる訳でもないのなら、やっぱりスポーツ貴族と付き合う上での見栄のようなものがあったんだろうか。いずれIOCなりJOCのポストを狙って猟官運動にお金が必要だったんだろうか。そこも含めた動機の解明が待たれる。しかし大広だとかKADOKAWAだとかにお金が流れたことには触れるメディアだけれど、本来は1業種1社のスポンサーで新聞なんか6読売朝日毎日日経産経北海道と6社もスポンサーになった経緯を説明しようとしないのが謎というか、そこで元専務ともやりとりがあったなら明かして自分は潔白だったと言えば良いのに。それとも何か動いている?解明が待たれる。

 東京へと戻ることになったので名古屋駅で矢場とんのわらじかつ弁当を買う。店で食べるよりも分厚くて歯ごたえがある感じ。値段だけのことはあるなあ。味噌カツって家だともうちょっとすり鉢ですってドロッとした感じの味噌を載せるんだけれど、矢場とんのって薄いソースみたいになってて違うって気がしてた。改めて食べるとさっぱりとしてとんかつの脂っこさを打ち消す感じでこれはこれで良い物かもしれない。店では銀座で食べたのが最後くらい。改めて食べに行ってみようかな。名古屋で食べればアイマスかなにかのグッズがもらえたみたいだけれど興味がないので別に良いのだった。

 名古屋の高島屋にあるバーバリーと、そして東京駅の大丸に入っているバーバリーで「ブルーピリオド」のコラボ漫画の冊子をもらう。ネットでも読めるけれども表紙絵の美しさとかを見ると大きい版でリアルなものが欲しかったのだった。内容はバーバリーを着てモデルをしているローラの姿にビビッと来た八虎が、龍二を誘って展覧会に行く話。そこで語られる値段だとか作家のバリューの話にもっと作品と鑑賞者が近づかないとって思い悶々とする。

 どそれがどうしてコラボ漫画と結びつくかというとバーバリーを着ていてもローラがブランドに着せられている感じではなく本人が必要だから着ていると感じられること。本来は服ってそいういうものだったのに今はブランドをまとっていることがステイタスになっている状況に、当のブランドが異論を挟むという構図が挑戦的でユニーク。それを赦してもバーバリーにはしっかりとした作品として、あるいは衣服としての軸があってまとった人に寄り添うという自信があるんだろう。ちょっとバーバリーを見直したくなったけど、着る機会は一生ないだろうなあ。


【9月4日】 どこもかしこも「桜を見る会」を手掛けた事業者が安倍晋三元総理の国葬儀を手掛けるといった見出してどこかに怪しげな関係があったかのごとく匂わせようとしているけれど、吉田茂元総理の国葬だって手掛けた由緒正しい会社が得意の武道館で緊急に行われる国葬儀を手掛けることに手を上げて、他にライバルもいなかったので認めた裏に何かあるはずもない。にもかかわらずそうした説明を省いて雰囲気だけとネガティブに持って行くようなメディアの仕草を、もはや普通の人は敏感に察知してしまうリテラシーを持っている。

 そうなってもなお反権力しぐさに余念がない新聞の未来を思うとやっぱり離れておくのが正解だったかもしれないなあと思えてくる。25年ほど前に小林よしのりさんが「戦争論」で日本の正義を訴えた時、左側が小馬鹿にして応じず無視していたらいつのまにかそれが蔓延って一大勢力になってしまった。国を動かすほどにまで。その行き過ぎが是正されようとしている今また同じような反権力しぐさで読者を話してしまうのはもったいないと思って欲しいのだけれど、目立つ人ほどそれをやることが正義みたいな構えでいるからなあ。やれやれだ。

 もちろん安倍晋三元総理の国葬儀なんて吉田茂元総理を最後に佐藤栄作元総理でも中曽根康弘元総理でも行われていなかったこと。ノーベル平和賞を受賞したり日米関係を大いに発展させた2人の総理と比べていったい安倍元総理の功績に特段の優れたところがあったのか、それ以前に国民から付託された信用でもって行ったことは個人に帰結するもではなく広く国民に還元されるべきもので、ひとりの栄光として讃えて良いものではないにも関わらず賞賛の的として祭り上げるこの奇妙さを考えるなら、自民党と政府が執り行うべきだったし今もそう思っている。決まってしまって行われることは邪魔しないけど異論だけは唱えておく。当日は何をしていようか。

 家にいると寝てしまうのでプライムツリー赤池にあるTOHOシネマズ赤池まで出かけていって「ブレット・トレイン」を見る。吹き替え版。ブラッド・ピットが堀内賢雄さんというのは佇まいが端正すぎるかなとも思ったけれどブラッド・ピット公認だけあってそこはしっかりやさぐれた運び屋感も出してくれていた。というか原作だと殺し屋なんだけれど映画だとテントウムシは運び屋専業なんだなあ。そんなブラッド・ピットが新幹線でスーツケースを盗んで次の駅で降りれば終わりのところを入って来た男に刺されそうになって倒したら別の殺し屋とかでてきてくんずほぐれつ。降りられない。

 一方ではスーツケースを運びつつ日本のヤクザのボスになったロシア人の息子もいっしょに運ぼうとしたらスーツケースが盗まれ息子も殺されてしまってこれは大変。誰がやったと探し回ってブラッド・ピットに行き当たったりする一方で、ヤクザのボスを殺す役割を押しつけられた男がいたり可愛い顔をしていろいろと悪巧みをしている少女がいたりしてどこに向かうか分からないまま新幹線は京都へ向けてひた走る。

 東京駅を出て秋葉原を通過したり名古屋の後に富士山が見えたりといろいろおかしい日本だし、だいたいが夜中に新幹線が走っているのも妙だけれどもそこは面白さに奉仕しているのだから気にしないし気にならない。役者もそれぞれに妙味があって見せ場も多くなかなか楽しいけれどもやっぱり我らが真田広之さんが出てくると引き締まる。吹き替え版では声を井上和彦さんがあてていたけど渋みもしっかり出て悪くなかった。そんな真田さんの「モータルコンバット」の時よりも多いくらいの刀をつかったアクションを堪能できるという意味でも良い映画。ラストの大見得を軽トラックで吹っ飛ばされる人に哀悼を。


【9月3日】 雨が降っていたのでどうしようかと思ったものの、止んだようなので地下鉄とあおなみ線を乗り継ぎ金城ふ頭へと行って文化庁メディア芸術祭名古屋展を見物。隣にレゴランドがあって朝から結構な人数の親子連れが来ていて、オープン当時にはあれやこれや悪評も立っていたもののしっかりと馴染んでいる感じが出てきた模様。きっといろいろと施策も打っているんだろうし、やっぱり子供はレゴとかトミカとかプラレールが大好きなんだってことで。

 そんなレゴランドを横に見た会場は小さなお店が並んで飲食店もあって過ごすには割と良さそう。そんな店舗を幾つか使ってメディアアートとマンガとエンターテインメント作品とアニメーションが展示されて見て回ってそういやあこんな受賞作品もあったとか、こんなのあったっけとかいろいろと思い出してはこうやって、混沌とした作品たちに一定の基準を与えることで核を作り出し、そこに他の作品を寄せることで可視化する機能を持った文化庁メディア芸術祭の意義という奴を改めて感じ取る。

 漫画だとかアニメだとかはまだ上映会なんかがあったり映画祭やコンテストがあったりして優れた作品が可視化されることがあるけれど、メディアアートだとあちらこちらで作られ展示されたフラットな評価軸のままでは何をどう観ればいいのか分からない人もいる。それらをギュッとまとめて上澄みだけでも見せることで、文脈が立って他の文脈に接続できるといった感じ。そうした軸がなくなった時、メディアアートは何を拠り所にしていくのか、メディア芸術データベースへの入力は何を優先していくのか。混沌に戻るのかなあ。

 9か所の展示を全部見てスタンプをコンプリートしてうまい棒をもらったので会場を退散。戻って名古屋駅のスパゲティハウス ヨコイで昼ご飯にしようと思ったら行列が出来ていたので、栄まで行って錦三丁目に昔からある店に行ったら空いていたのでそこでスパゲティに卵焼きが載ってソーセージが散りばめられたメニューを1.2倍で平らげる。見るからに美味くないはずがないビジュアルだったけれども食べてもやっぱり美味かった。ソースはヨコイならではの辛めな感じでスパゲティも絡まってフォークで救いづらかったけれど、それをもりもり食べる野がヨコイ流。櫛が通ったように整えられたチャオとは違うのだ。

 食べ終わって伏見まで歩く途中のスターバックスでしばらく原稿書き。東京だったらVELOCHEもマクドナルドもドトールもタリーズもいっぱいあるけれど、名古屋はそうした店が歩けばすぐ当たるって訳ではないのかな。でも伏見は地上にも地下にもスタバがあったしドトールもあったから、だんだんとそうしたファストカフェが蔓延っては従来からの喫茶店を駆逐していっているんだろう。そうした中で大いに伸びたコメダ珈琲店と状況を維持しているコンパルは凄い。守れモーニング文化。

 例の東京2020オリンピックに絡んで電通の元専務とKADOKAWAとの間で何かあったかもしれない可能性が浮上。元よりカテゴリーになかった出版を作ってもらった上に、そこに選んでもらったことへのお礼だったら大変だけれど、そこまであからさまな金銭のやりとりをするものかって疑問が浮かぶ一方で、あからさまだったからこそAOKIの件で逮捕に至ったりもした訳で、KADOKAWAについてもどういった広がりを見せるかが目下の注目ポイントとなりそう。

 でもそれを言うならアメリカだったらそもそも入らない新聞を横並びで6社もスポンサーに迎えて大金をガメつつそれぞれに利権を分配した状況で、どんなやりとりがあったかも新聞はつまびらかにしないと。それができるのはスポンサーに入らなかった東京新聞=中日新聞くらいなんだけれどスタア記者が根拠もなしにコタツツイートをばらまいて悦に入っているから無理かもしれないなあ。そんな記者ばかりではないと思いたいけれど。


【9月2日】 かしゆかの姫カットを思い出しつつ実は密かにウイッグに変えていて突然まるっと脱いでのっちよりも短いショートカットを披露したらいったい世界はどうなるかを想像すると夜寝られなくなってしまった。寝たけれど。楽曲では「ポリリズム」をやってくれなかったのであーちゃんのジャンプが見られなかったのが残念。まあたぶん幕張メッセのライブで見ていたと思うからそれで良いのだ。次は東京で見たいけれど規模が大きくなって見えづらさが増すからなあ。かといってホールは当たらないし。日本ガイシホールの程よさを今一度。

 家だと寝てしまうので起きて新栄まで出てVELOCHEでテープ起こし。どうにかこうにか出来上がったので近所にあるあんかけスパゲティのそーれに言ってミートボールを食べる。ソースは赤味が強めのちゃお風だけれど甘さよりややスパイシー寄り。かといってヨコイほどではないからすっと食べられた。別にクラシックソースというのがあるみたいなのでそっちを頼めば昔食べた時のような味を思い出すかもしれない。そうしえばそーれってCBCの裏手にあったんだけれどいつ移ったんだろう。っていうか移ってから1度言ったような記憶もあるけれどいつ行ったんだろう。謎めく。

 歩いて矢場町あたりまで行ってスターバックスで休憩。初めて入ったのに良く来る人ですねと言われたのではい時々来ますと行ったのは相手に恥を欠かせないやさしさという奴で。原稿とか整理したりメールとか整理したりして時間を潰してから大須へと移動して機能に続いて「マウスマン〜ダークチャイルド〜」を見る。実は昨日は少し寝てしまってストーリーを断片的にしか覚えていなかったのだった。なのでラストシーンの意味が今ひとつ分かりづらかったけれど、今日はちゃんと起きていられたのでどういう展開からああなったのかが分かった。結論。

 「マウスマン〜ダークチャイルド〜」はヤバい。主人公の声が細谷佳正さんでまずヤバい。ヒロインが可愛くて超ヤバい。敵の28号というバケツを被ったキャラクターが強すぎて極ヤバい。そんな敵の28号とのバトルシーンが激しくてとにかくヤバい。そして敵28号誕生の秘密が悲しすぎて本当にヤバい。なおかつヒーローがヒーローとして存在する意義が問われるテーマがヤバい。こんなにヤバいアニメーションをどうして大須シネマだけでしか上映しないのか。前の「マウスマン」シリーズは池袋でも上映したというのに。そこがちょっと分からないけれど、運良く見られたこの機会を享受した身として叫ぶ。「マウスマン〜ダークチャイルド〜」は絶対に観るべきアニメーションだ。

 安倍晋三元総理の国葬儀をムラヤマという会社が仕切ることになったそうで、それが「桜を見る回」も仕切っていた会社だということで日本テレビ放送網の人が騒ぎ立てているけれど、実はムラヤマという会社がこの春に日本テレビホールディングスの子会社になっていたりするのだった。つまりは身内。どうして落札したのか調べて報じるならまだしも、そこに触れずにSNSで騒いでいるのがどうにもこうにも厄介で面倒臭い。

 というか調べればムラヤマが展示会の設営とかイベント施設の内装とかで大手の会社ってすぐに分かるだろう。実績もあるから受注したって不思議はない上に、自分が所属する会社のグループ会社でもあるのに、知らん顔しているのかマジで知らないのか知ろうすらしていないのか触れずに非難ばかり。これでは批判にも説得力が乗らないにもかかわらず、引っ張られて乗っかって騒ぐ人たちがいっぱい。右も左もこりゃダメだってなっちゃうけれどそれでは困るんだ。どうしたものかなあ。どうしようもないのかなあ。


【9月1日】 Perfumeのライブが日本ガイシホールで夜からあるので午前中に家を出て、とりあえず新栄にあるVELOCHEでインタビューから文字を起こしてそれなりにとりまとめ、取れ高を確認してから昼ご飯にしようと前は交差点のビルにあったサヴァランの移転した店舗へと入ってボロネーゼというスパゲティを頼む。ボロネーゼといってもイタリアで食べるミートソースとは違ってあんかけパスタで5個の玉子を使った卵焼きが上に乗ったもの。つまりは天津麺のスパゲティ版といったものになる。

 前の店でもたっぷりの卵焼きを食べられるとあって何度か頼んだ記憶があるけれど、当時はもうちょっと玉子に何か混ぜられていたようないなかったような記憶がある。そこのところはよく分からない。あと交差点から移転した先は11時半で人があんまりいなかったけれど、前はもうちょっと混んでいた。でも正午過ぎこそが本番だろうからそっちに人が集まったのかも知れない。そこまではいられなかったので食べて退散。ソースはチャオともヨコイとも違ってた。30数年ぶりなので前と一緒かは不明。次はそーれに行こうかな。

 ライブまで時間があったので大須へと回って大須シネマというところで謎のアニメーション「劇場版マウスマン〜ダークチャイルド〜」を見る。何か「マウスマン」というシリーズの自主制作アニメがあってそれを長編化するにあたってクラウドファンディングもしていたみたいだけれど気づかなかった。このアニメの何が凄いって自主制作なのに声があの細谷佳正さんということ。ナチュラルな渋さを演じさせればピカイチの声優がどうしてこんな作品に? って思うんだけれど見てみてなるほど細谷さんの意味があった。

 企画先行のへっぽこ自主制作アニメ的な雰囲気を漂わせていながら内実は極めてアンチヒーローでダークヒーローといったところ。あまり積極的に敵とは戦わないマウスマンという改造人間がいて、拾ったという少女といっしょに暮らしているんだけれどそんなマウスマンの前に現れる28号という敵との戦いの中からマウスマンの過去が浮かび上がり悲惨な境遇からの脱出めいたストーリーが見えてくる。円環の中で悲惨さを乗り越えられない苦しさを味わうような雰囲気? でも1度ではよく分からなかったのでもう1回くらい観に行くかも。東京では上映しそうもないので大須へと行こう。そーれはその時かな。

 金山でしばらく原稿を書いてからJRの東海道線で笠寺へ。日本ガイシホールはまだレインボーホールとか呼ばれていた時代に行ったことがあって確かロックンロールバンドスタンドが大晦日から元旦にかけて行われた時だったように思うけれどもはっきりとは覚えていない。ジュンスカとかボ・ガンボスとかレピッシュとかRCサクセションとか見たなあ。そんな思い出。その時はもっと大きいホールのような気がしていたけれど、改めて入ると代々木体育館とか横浜アリーナほどの広大さはなくそれなりにコンパクトで見やすい感じがした。

 なおかつ縦方向ではなく横方向にステージをしつらえ四方から見られるようにしていたから、近くにかしゆかがきたりノッチが来たりしてダンスもナマ足もしっかりと見られて楽しかった。途中、ライゾマティクス的なプロジェクションもあって近代的な雰囲気があったけれど、NHKホールで見た時のような実験的なものはなく、スクリーンに映しつつ中の人たちとシンクロさせるくらい。それでもPerfume的なイメージを保ちつつ合間にあーちゃんの広島弁が炸裂するMCも入って楽しい時間を過ごすことができた。ダンスの巧さはやっぱりピカイチ。東京ドームのような広さだと遠すぎて分からないのがガイシはしっかり見られたのも良かった。ツアーまだ続いているみたいだしもう1回くらいどこかで行ってみようかな。


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