縮刷版2015年5月中旬号


【5月20日】 ベーブ・ルースだなんて歴史でしか知らない偉大な選手の記録が今でも、しっかりと残っているところが大リーグのすごいところというか、偉大な選手だったからこそ記録が今に至るまで語り継がれているというか。1935年の5月30日が現役最後の出場だったというから、今までだいたい80年が経っている。その間に大リーグでルースを上回るだけの安打数を残した選手が40人くらいしかいないというか、タイ・カッブのようにルース以前の選手も含まれているからもっと少ない人間しか、超えられないほど大リーグでヒットを積み上げるのは、やはり容易ではないとも言えるだろう、そんな中、あのイチロー選手がついに大リーグでの安打数で偉大なルースに追いついた。

 41歳はルースが引退した年齢より1歳多いし本塁打数は遠く及ばないけれど、日本で活躍してから移籍した大リーグでの稼働年数はルースより短く、それでも追いついて見せたところにやっぱりイチロー選手の偉大さはあるって言えそう。もちろん上には上がまだ40人以上いるから記録としてはたいしたことがないのかもしれない。それでも歴史に残る名選手が刻んだ足跡を踏み越えていけるだけの実力を、他の大リーガーたちが2年に1人、ようやく生み出せただろう計算の中で日本から海を渡って行った選手がその列に加わったことは、やっぱり誇らしいと思いたい。いずれ抜き去るだろうその先、待ち受けるのはどんなレジェンドたちか。そしてたどり着くのはどの領域か。まだまだ楽しませてくれそう。

 レジェンドよさらば、と言えるほどオートレースでの片平巧選手の走りを見ていた訳ではないけれど、その名を聞くくらいには有名な選手が49歳という僕と同じ年齢で死去。そもそも生年がいっしょで誕生日も近いだけあってどうして今、そんなに急なのかが気になってしかたがない。5月の10日まではレースに出て走っていたからどこか悪くて長く入院していたということではないし、事故の話もないから同じ船橋オートレース場所属で事故死した坂井宏末さんのようなケースとも違う。これからのレースに斡旋も入っていた中での急な死に、浮かぶことはいろいろあるけれどもそれでも偉大であったことは何の減衰もされない。2000年代に入ってからの活躍が少なかろうと、それでもS−28というトップ級にいた選手の強さは本物。未来もあっただろう中での訃報を寂しさとともに受け止めつつ、お疲れ様と行って労いつつその魂を悼みたい。合掌。

 ペッパーだペッパーだ、ペッパーがいたのでいろいろと遊んだ東京ビッグサイトでの「第6回教育ITソリューションEXPO」は本来的には電子教科書だとかeラーニングシステムだとかを取り扱ったり、先生たちが使う学校の情報化システムなんかを展示したりするイベントだけれどそんな会場の一角にある学研のブースに立っていたペッパーにばかり目が行ってしまったのは、やっぱりリアルな“肉体”をもってリアクションしてくれる存在のありがたみって奴なんだろうなあ。その学研のブースでペッパーがやっていたのは、学研が出している知育タブレットの「キッズボード」に乗っている「こどもえいごずかん」ってコンテンツの提供。あの胸に付けているタブレットに乳首ではなくコンテンツを表示しては、上目遣いに遊んでよって誘いかける。

 そりゃあ遊ぶでしょ。でもって質問に正解すると画面には○って出てきて、それに合わせてペッパーがいろいろと身もだえしてくれる。いやリアクションをしてくれる。なるほどタブレット上で動く学習コンテンツでも映像が出たりキャラクターが出たりしていろいろと反応してくれるものはある。でも結局は2次元。タブレットの中での話で次第に面倒だなあって思えてくる。これがペッパーだと、目の前で言葉や身振りによって正解を讃えるようなリアクションをしてくれる。見ているだけで何だかこれはもっと遊んでみなくちゃって思えてくる。おっぱいをさわると身もだえするのも良いけれど、自分を讃えてくれるのはもっと良い。それがロボットならなおのこと。

 僕がパソコンを買った1990年代の半ばあたりから、パソコンの上でゲームをしているような感覚で学習できるエデュテインメントソフトって奴が人気になってあちらこちらで使われたことを覚えている。今はそんなソフトがタブレットとかスマートフォンの上で楽しめるようになっていて、教育ITソリューションEXPOにもいろいろなところから登場していた。学研の「こどもえいごずかん」もそんなタイトルだし、その学研と凸版印刷が作って提供している「学びゲット!」も同様。それらは単体で遊んでもしっかりと面白いし、正解すればポイントがたまったりランキングがついたりしてやろうって気にさせてくれる。

 でもやっぱりリアルにいろいろとリアクションしてくれるロボットはやっぱり気分の高揚感が大きい。ついつい遊んでしまう。そんな可能性ってやつを感じさせてくれたペッパー上でのコンテンツ展開。まだあくまでも参考出品だけれど、これから先に教育ITソリューションを考える上で、こうしたリアルに近いコミュニケーション手段をどう介在させるかも、ひとつのテーマになってくるかもしれない。でもできれば美少女型か美人型のロボットがいいなあ。スーツ姿でタイトスカートで眼鏡の女性教師風ロボットが、手に鞭もって指導してくれたらもう最高なんだけれど。いませんそんなロボットは。

 あと教育ITソリューションEXPOで面白かったのは、いろいろな教育材料を開発・販売しているアーテックが出していた「ロボティスト」ってロボット教材です。ブロックを組み上げモーターを仕込み、制御基板をセットしてプログラムを導入し、動かして楽しむって内容はどこかレゴ社の「マインドストーム」を思わせるけど、あそこまで複雑じゃないし高くもない、たぶん。ブロックはアーテックが作ったオリジナルで、垂直・水平方向だけでなく斜め方向にも組んでいけるから形状により自在性がある。そして制御基板に組み込むプログラムは、モーターを回す、止めるといったさまざまな動作パターンがあらかじめ用意されていて、それをPCの上で組み合わせて流し込んでやると、ロボットとして動き出すという寸法。

 ブロックとモーターと制御基板とプログラム。その組み合わせ次第で二足歩行ロボットも作れるし、物体の色を認識して、指定の場所に置いていくクレーンも作れる。きのこの山とたけのこの里を見分けるクレーンが作れるかは分からないけれど、でもセンサーを使いプログラムをそれ用に自分で書けば作れるかも知れない。つまりは基本をキットから学び、そこでブロックをどう組み立て、プログラムをどう組み合わせればちゃんと動くものになるのかを考えた上でその先、さらにどんなプログラムを書けばより複雑なことができるのかを考えさせる効果を持った教材って言えそう。子供たちだけに遊ばせておくのがもったいないくらい刺激的な製品だけれど、あんまり有名になってないなあ。それともこれから普及するのかな。気をつけて見ていこう。

 別に良いじゃん戦後生まれの総理大臣が戦前のポツダム宣言を全部覚えていなくたって。読んだことないとか見たことないとか聞いたことないとか言ってる訳じゃなし、無条件降伏だかを通告する文章でそれを受け入れるかどうかでどんがらがっちゃんしたあげく、最終的には受け入れ日本が敗戦したってあたりのことを知ってさえいれば、社会科の歴史のテストでは○をもらえる。問題はそれを屈辱と考え、なかったことにしようとする精神であってそれだからこそ見てもいないし聞いてもいないというなら問題。でも見知ってはいるならそれはそれでオッケーとした上で、どうしてなかったことにしたいのか、すなわち降伏という事実を忘れたいのかを追求する方が論理的だし理知的だし生産的だと思うんだけれど。左はそれでは足りず右はそれには反対だからやっぱ議論は進まない。やれやれだ。


【5月19日】 先週にテレビを見ていてちらっと映った眼鏡女子が気になって1週間経って録画して見たNHKのEテレ「ふしぎがいっぱい」の5年生向けで、眼鏡女子が女子というにはやや上だったけれどもホナガヨウコさんというダンサーの人だということが判明。でも番組ではダンスとかしないでホナちゃんという名前で肩にみょうな生物をひっつけてはあちらこちらを出歩いていた。今回は富士山へと雲の観察に。写生とかしていた絵は結構上手かったから絵心なんかもあるのかもしれない。本職ではどういったダンスを見せてくれるのかにちょっと興味。しかしナレーションは大原さやかさんとは意外なところでご対面。優しい声に癒やされます。

 そんな「ふしぎがいっぱい」で続く6年生向けではあの中田譲治さんがナレーションを担当していたことが判明。そして直前の4年生編では声優であり歌手でもあってプリキュアの歌をいろいろと唄っている吉田仁美さんが顔出しで参加していた。前にニーコさんが主演したミュージカルの「ニコニコニーコ」に登場したのを見ているからその顔立ちは見知っていたけど、テレビに出ておねえさんを演じても普通に見えるくらいだから普通に女優としても活動していけるんじゃないのかなあ、舞台とかには結構立っているみたいだし、でもテレビドラマや映画には出てない感じ。ちょっと興味深い活動範囲。3年生向けはちょっとよく分からないけどまとめて4本、撮って来週も見てみるか。ホナちゃん次はどこ行くんだろう。

 開けて新しい国立競技場に屋根がない問題は今さらそんなこと言われたって困るぜどうしてもっと早く言わないんだと舛添要一東京都知事が下村博文文部科学大臣を袖にしていて傍目には痛快だけれど、東京都が主体となって開かれる東京オリンピック・パラリンピックのメーンスタジアムをどうして東京都がイニシアティブを以て作ってないのかってズレも一方に顕在化させてどういうすりあわせが行われるのか、もしかしたら要求された500億円をそれならと別に自分たちで使ってどこかにスタジアムをぶっ建てたりするんだろうかなんて勝手な妄想も浮かんだりする。というかそんなお金があるなら桝添さんだっていろいろと施設を作りたいよなあ、国立であるはずの施設に必要もないお金を出したくもないだろうし。でもやっぱり国立競技場は作られるとするならそれが、どういう形に収まるかってあたりでこれから丁々発止がるんだろう。もはやカケラも残っていないザハ案にこだわるとしたらやっぱり何かの黒い影が…。そんな探求は森山高至さんがきっとやってくれるだろう。好奇心わくわく。

 誑かされていたんだなあ、あるいは誑し込まれていたというか。橋下徹大阪市長が住民投票に敗れて引退を表明したことを受けて、番記者めいたことをやっていた人が何か書いているけどこれがまた中身がない。具体的に橋下市長のどんな姿勢に共鳴し、そしてそれが為されたことによってどういう効果があったかをまるで例示しないでただ、何かやってくれるんじゃないかという期待、それのみで評価し今もそうした姿勢があったことを受けて、これからも何かしてくれるだろうから復活をと書いている。心底からの褒めっぷり惚れっぷり。「突破力を示した不世出のリーダーが政治の表舞台から去ることが、惜しくてならない」っおいおい、橋下市長はていったい何を突破した? 維新の党だとか維新の会とか作って政界に進出はしたけど、それらが生んだものは何かあったのか?

 もとより大阪都構想とやらの実現のために打って出た国政な訳で、その構想がガラクタだと分かった以上は、まるで何も為さなかったってことになるだろー。それでも番記者めいたことをやってた人は「惜しくてならない」と書く。あの無責任極まりない引退を「引き際の鮮やかさを感じた」と讃える。何かに洗脳されているとしか思えないけれど、それは番記者に限らないんだよなあ、名のある批評家でも改革の姿勢、それをのみ評価してそれが潰えたことを嘆き、潰えさせた存在を勝手に老人たちだといって非難する。違うだろう。老人たちがいくら結託したところで、有権者の数は圧倒的に若い人たちが多いんであって、それらが賛成に回れば住民投票は賛成が過半を占めていた。勝てていた。でもそうならなかったのは投票に無関心だったから。非難するならそっちだろう、お前らそれで良いのかて。でも言わない。それを言っても自分の価値を上げられないから。老人を批判する俺かっこいいって思えないから。

 まるでポジショントークな外部の批評家と、そして前を向いて歩いてさえいればかっこいいと褒め称えてくれる周辺を集めて突破しようとしたけれど、そうは問屋が卸すまじとばかりに真っ当さを見抜き反対に回った人がいたから愚挙はなされなかった。もちろん改革は必要で、それに向かって常に突き進むことは間違っていない。重要なのはそうやって口にされる改革が実行可能で、なおかつ中身が伴っているかどうか。都構想だなんて二重行政の解消にならず、誰も得しない案を掲げてそれをさも価値あるものに見せかけようとしたイリュージョンは、崩れて雲散霧消しても当然だ。そしてこれから本当に価値ある改革を誰かが始めることになるんだけれど、それすらも反対するようならその時こそ、真っ当な声を掲げて反対する者たちを破っていけば良い。とはいえやっぱり地方が活性化する道ってそうはないんだけれど。それこそ首都移転くらいしか。さすがにそれはないだろう。あとはもう租借地か治外法権か何かになって外からの資本を入れるしかないのか。それもヤバい話だし。やれやれだ、この国。

 長生きした猫の手になって街に起こる問題を解決して回る少女たちが登場した奇水さんの「猫とわたしと三丁目の怪屋敷」(メディアワークス文庫)ってのが出たと思ったら、今度は猫が神様になって新聞社の局長に収まり神様相手の新聞を発行していて、そこに人間の若者が入っていろいろ頑張る話が登場。霧友正規さんという人の「出雲新聞編集局日報 かみさま新聞、増刷中。」(富士見L文庫)は、日本一小さいからと興味を持って受けて合格した出雲新聞に入社した新人くんが、会社に出る前に街を散策していたらそこにいたのが動物たちに囲まれている青年で、何事かと近寄るとその青年からおまえはこの動物が見えるのかと聞かれ、実は神様なんだと教えられそして出雲新聞の新入社員だと分かって、その青年が所属する編集部ならぬ編集局の別室へと連れて行かれる。

 そこにいたのはひなたぼっこする猫だったけど、青年はその猫を妙にかわいがるというかかいがいしく世話尾する。そして新入社員くんは知る。その猫は神様でそして局長で「かみさま新聞」というのを発行していて神様相手に記事を書いて配っているという。どういう風な形をした新聞でどうやって配っているかは分からずじまいだけれど、その「かみさま新聞」に新入社員くんは配属され、そして神様が喜ぶ記事を考え書くようになるというのがストーリー。神様が楽しみにしている祭りのお菓子を作っている和菓子屋が後継者に悩んでいると聞けば言って面倒を見つつその顛末を記事にし、そして地元の女子校の剣道部員で全国大会に出る実力の持ち主に悩みが生まれれば言って導きつつやっぱり顛末を記事にする。

 それまでは先輩しかいなかったその編集局で、けれども先輩は記事を書けなかった関係でいったい誰が何をどう書いていたのか分からないけれど、その穴を埋めるように新入社員くんは頑張り難問を解決し、神様に活躍の場を作ってそしてそれを記事にしては神様たちに喜ばれ、無事に「かみさま新聞」は売れ行きが向上するという。だからどうやって読んでいるかは不明。そして先輩が何をやているかも読んでのお楽しみということで、とりあえずどうにか頑張り始めた新入社員くんに次の活躍の舞台はあるのか。仲良くなった剣道少女でそして女子生徒たちのあこがれの君と新入社員君は仲良くなったその先まで行けるのか。大社にいるものすごい神様はどんな姿をしているのか。いろいろ知りたいので続きを是非に。島根日日って出雲新聞より大きいのかなあ。


【5月18日】 ついに2度目の視聴率10%割れもあったらしいNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の、そのあまりの低視聴率ぶりにNHKも覚悟を決めて年末までの予定を繰り上げ、6月いっぱいでの打ち切りを決定し、途中をはしょって最終回は老婆になった杉本文が、維新から明治大正の時代を振り返りながら、夫だった久坂玄瑞が死に、松下村塾の英傑だった高杉晋作が死に、井上馨も伊藤博文も死んでそして、元勲となった山県有朋はまだ生きているけどもうすぐ死にそうな中でとりあえず、維新はなった日本は発展したと語って迎えるエンディング、流れる「夢を信じて」by徳永英明というという、そんな夢を見た。正夢にならないと良いけれど。

 もっとも、これが冗談にならないくらいにこれからの「花燃ゆ」の展開には期待を向けるのが難しいというか、とりあえず久坂玄瑞による禁門の変から高杉晋作による奇兵隊の創設と長州征伐への対抗、そして戊辰戦争から明治維新あたりまではストーリーとして楽しめそうだけれど、問題はその先。御一新後の体制が固まってから起こる事件は西南戦争くらいしかなく、そこに絡むことなく杉本文がそれほどメジャーではない人間に嫁いで、群馬県あたりで粛々と県令だか県知事の奥さんとなって生きるストーリーになった時に、果たして人が見るだけの面白さがあるのかどうか。「八重の桜」ならまだ同志社創設から教育への専心といった“ドラマ”があったけれど、文にはそれだけの人生はないものなあ。無理に選んだ題材をもてあましているって感じ。もういっそ明治維新までで収めてしまえば良いのに。決断できるかなあ、安倍ちゃんスキーな会長殿に。

 ザハは屋根であり屋根がザハである。って言いたいくらいに独特な屋根のフォルムでもって人目を惹き、支持を集めて東京五輪に向けた国立競技場のコンペに残ったザハ・ハディドの案であるにも関わらず、国はその設計案から屋根をとっぱらった形でとりあえず競技場を建て、それで五輪もしのいでから新たに付け加えるとかいったぬるいことを言っている。いやいやあの屋根があってあの威容があってこその世界に冠たる日本の国立競技場、それを見せられないならまるで意味はないんだけれど、お金がないとか工期が足りないとかいった理由で世界に平気で恥をさらそうとしているからたまらない。隣の国の冬季五輪の準備が遅れて恥をかきそうだと、外野からせせら笑っている日本の某自称全国紙なら、国辱ともいえるこの時代を取り上げ大批判を加えて不思議はないけど、お国のやることはすべて正しいといった態度で何も言わないんだろうなあ。やれやれだ。

 だいたいが当初のザハの案ではあまりに壮大すぎると、改変されて決定した案がもはやザハ・ハディドの描いた流麗にして未来的なフォルムから大きく隔たったものであって、これを作ることをそれでもザハが許すとしたらよほど鷹揚なのか、それとも別に理由でもあるんだろうかと勘ぐりたくもなっていた。それでも屋根があるならそれっぽさも出ていると納得したとしても、その屋根がないデザインはただのスタンドであってもはやザハのデザインでも何でもない。これをザハのものだと世に喧伝することに恥じる気持ちがあるのなら、辞退するなり撤回するなり禁止するなりして止めて不思議はないんだけれど、そういう動きに行かないところにこの一件の奇妙さもうかがえる。最初からザハありき、でも名前だけで案は別、それが立てば万々歳って筋書きでもあったのかなあ。どっちにしたって世界に恥さらし。でも誰も責任なんて取りはしない。ひどい国になったものだ。

 ライトノベルのヒロインといったら、だいたいが高校生とか中学生といったティーンの女子で、ライトノベルが読者に想定している高校生とか中学生といった、ティーンの少年少女の歓心を集めて人気となって盛り上がる。恋愛感情を抱くにしても、自分をその身になぞらえるにしても、同じような世代のヒロインでなければちょっと無理。だからそうした世代が中心になるし、せいぜいが下に降りて小学生とか、あこがれの先輩として慕える女子大生あたりまでが上限になる。ライトノベルの読者を広げようとして作られたレーベルだったら、大人の女性がヒロインになる場合もあるけれど、それでもギリギリ20代で、それ以上となると無理目感が漂ってくる。

 そんな空気に果敢に挑戦したのが、雪村花菜さんという人の「紅霞後宮物語」。何しろヒロインの年齢が34歳。第2回ラノベ文芸賞で金賞をとり、ライトノベルと文学の両方を見据えた富士見L文庫から出たからには、少し上の年齢でも大丈夫とはいえアラサーとなると読んで大丈夫なのかと誰もが思う。だらか断言する。大丈夫だと。関小玉という名のそのヒロインは、貧しい家に生まれて10代半ばで軍隊に入り、最底辺から出発してこつこつと活躍して鍛錬もして用兵の才能も認められ、将軍の位にまで出世する。慕う部下も大勢できたけれどもいかんせん、低い身分の出でおまけに女性ではこれ以上の出世は望めない。そんな彼女に朗報が。軍隊時代に仲が良かった男が、皇帝に選ばれ即位していてその彼が33歳になっていた小玉を後宮へと誘った。

 皇帝の小玉への想いが残っていたのかもしれないし、後宮に入れば女性でも軍隊を動かせる身分になれるという配慮もあったみたい。とはいえ33歳にしての後宮入りは当人も驚いたし、長く後宮にあって皇后の座を目指して競い合っていた女たちも驚いた。というか後から入ってきた小玉が、1年経ってそのまま皇后にまでなってしまったから怒りすらわいたみたいで、激しいバッシングを繰り広げるようになっていく。例えば朝の小玉の部屋の前に豚の生首を置いていくといった具合。普通のか弱い女性だったら驚き叫んで逃げ出すだろう。でもそこは歴戦の女将軍。人の生首を作ってすら来た人間だから、豚なんて怖くもないと持ち上げ自分で毛を剃って、鍋に放り込んで夕飯のおかずにしてしまう。

 なんという豪傑。なおかつ無頓着なところもあって、いじめをいじめとすら感じないまま後宮の暮らしを渡っていく。中には刺客めいたもんを送り込んでくる妃もいたけど、豪腕でもってねじ伏せ追い返す。でも犯人を追求しないでほったらかし。それが後に禍根となるんだけれども気にしない小玉をだんだんと慕う者たちも現れてくる。過去に小玉が武官として仕えたことのあるお姫様は、その時から抱いていただろう宝塚的な気持ちを今も持っていて、小玉を密かに恋い慕いつつ表では後ろ盾になっていく。追いつき追い越そうと頑張って、剣の修行を始めた別の妃は、ライバルである小玉から手ほどきすら受けてだんだんと親しくなっていく。

 そんな小玉の純粋でまっすぐな言動のかっこよさ、思いがけない身分になってしまいながらも威張らず、誰とも分け隔てなく接しようとするおおらかさ、そして皇帝の座を狙う陰謀を砕きに戦場へと出て見せる軍人としての活躍に、アラサーだろうと気にせず惚れてしまいそうになる。そんな物語。とはいえそこは宮廷だけあって、権謀術数も巡らされて皇帝への危機も起こる。それを見逃すことは出来ずシリアスな展開もあるけれど、そこを押さえつつも破天荒な生き様を変えないまま、旧態依然とした後宮を変え、宮廷を変え国すら変えていこうとしている小玉の活躍が、読んですっきりとした気分を与えてくれる。この先もそんな無頓着さが通じるのかは分からないけれど、彼女なら何かやってくれそう。1000年の後も残る偉人となったその活躍の端緒をもし、語ってもらえるのならこの続きを是非に読んでみたいもの。期待して待とう。刊行を。

 ディレクターズカット版という名の押井守ワールド全開な別テイクが公開されるとは分かっているけれど、その時に今回と同じだけの興行規模を保てるかはまるで未知数というか、現状の興行に横やりを入れるような監督自らの所行を怒って、上映を蹴っ飛ばす映画館すら出かねない可能性も想像してしまったりするだけに、ドルビーアトモスでの上映もあるいはないかもしれないと思って今、やっているドルビーアトモス版での「THE NEXT GENERATIONパトレイバー 首都決戦」を見るべくTOHOシネマズ六本木ヒルズへ。奥にある7番スクリーンが改装されてゴージャスな席が前目に作られ、通路を挟んだ後段の最前列の視界を鬱陶しがらせていそうなシアターになってはいたけど、設備はさすがに上々で、TOHOシネマズ日本橋に勝る規模でのアトモス音響を味わえた。ただやっぱり内容がなあ。展開がなあ。それを思うと押井板でのドルビーアトモスを是非に実現してもらいたいところ。問題はその押井板にドルビーアトモスを必要とするアクションがあるかだけれど。延々会話と探索だけで済ましていそうだし。さてはて。


【5月17日】 つまりすべては岸コウジロウさんであったという、そんな「デザインフェスタVOL.41」。昨日はぐるぐると回ってて会えなかったけれど、今日は目に付く何かを探そうと、回っていたところに何か大きそうな人がいて、竹馬に乗ったパフォーマーかと思って近寄ったら、ただの大きい人だった。いやただのってことはないか、203センチ、あのスコッティ・ピッペンやレブロン・ジェームズと同じ身長の人がそこに立ってて周囲を歩く、他の人との差がありすぎて、自分はいったい何を見ているんだろうと視野のゆがみなんかを疑ってしまうくらいに、存在にインパクトがあった。

 というか当人も、そんな背の高さ“だけ”を強く打ち出して、一種の芸であり、アートとして展開している潔さがとても格好良かった。大きさを示すかのように胸にそこまでの高さを刻んだTシャツを着て、寄り添った人の背の高さを測れるようにしたり、自分の顔の位置と同じ場所に穴を開けた看板を置いて、そこから顔をのぞかせて、身長203センチの世界を体験できるようにしたり、任天堂が昔に出してたのぞき装置みたいなものを用意して、203センチの視線を居ながらにして体感できるようにしたりと、いろいろ工夫を繰り出し、その高さが持つ意味ってものを感じ取ってもらおうとしていた。そうかレブロン・ジェームズはこんな視点で世界を見ているのか。

 そこに加えて、手の大きさなんかも知ってもらおうと、両国あたりにある相撲取りの手形と自分の手形を比べて勝負し勝利を重ねていくパフォーマンスを行ったことを添えてみて、自分の大きさがそれだけで驚嘆に値するものだといったことを、自分から押し出して面白がらせる。ともすれば自虐になるところを、持ち前の明るさなんだろうか、割り切りともいえる態度でどんどんとアピールするから嫌みにならないし、同情といった感情にもならない。そのバランスの絶妙さがとても良かった。これで芸人としてテレビなんかに出てしまったら、妙なことをやらされてただの大きくて面白い人がいる、ってことに終始してしまうんだろうけれど、面と向かって対峙して、その大きさを味わえるデザインフェスタならではのリアルさが、空間としての一体感を醸し出して共に楽しめるようにしてくれる。上手いなあ。そして面白い。次はどこで会えるんだろう。どんなことをしてくれるんだろう。楽しみにして見守りたい。

 たいてい1日だけ出ているザリガニワークスこと太郎商店では、あのコレジャナイロボがボールペンになって登場していたけれど、頭の大きさがコレジャナイロボのものをそのまま使っているため、結構太くてなかなか握り心地がよさそうというか、胸のポケットにいれるにはちょっと太すぎるというか、そんなボールペンをもらって使い心地が良いという人は何も言わずに胸に挿し、そうではなくってなんだこれはこの使いづらくて胸から浮くボールペンはと思ったには、すかさず「コレジャナイ!」と言って泣き出せば作り手の思うつぼであり、そのボールペンの存在意義を存分に味わうことでもあるので是非に皆さん、お試しあれ。コレジャナイノートとセットで使うとさらに良いかも。

 そこでも出展者とちょっと会話したけどデザインフェスタ、昔に比べて長い行列が出来るブースが多くなったなあという印象。コミケットでいうところの壁際サークルみたいにブース前から行列が出来て、並びきらないんで途中で切って別の場所に並んで、そして最後尾にはブースの番号が書かれた札を持った人がいて、次に並ぶ人に渡していくといった列整理はまさにコミケの様式。そのこと自体は周囲に迷惑がかからない方法として取り入れられるべきだけれど、不思議なのは前にも増してそういうディーラーさんが増えていること。

 コミケならば二次創作とかも含めて商業では手に入らない、あるいはちょっと売れないものをそこで頒布していたから、唯一無二の機会と人も集まり行列も出来る。でもデザインフェスタは普通に売れるものであって、ショップに卸すなり通販するといった方法も可能で、デザインフェスタという場にこだわらなくてもいい気がする。もっとも、日頃は働いている人が空いた時間に作りためた物を、年に2回の機会だからと持ち寄って売るようなことはあるだろうし、そういう物が出る貴重な機会を求めて集まってくる人もいるのかもしれない。

 あるいはデザインフェスタという場に参加することは、コミケにサークル参加することと同じように何か特別な場に立つことであって、そこで売ること、あるいは買うことに唯一性を感じる世代が増えてそこをのみ交流の場と感じて、集中して結果行列になるといったことがあるのかもしれない。もっと単純に規模が大きくなっている割にはあまり知られていなかったデザインフェスがが、だんだんと注目を浴びるようになって参加者の層も厚くなり、そして買い手も増えて必然として行列が起こり始めただけなのかもしれない。調べた訳じゃないけれど、でもひとつの転換期、上昇を伺うターニングポイントに来ているなあという印象は受けた。

 もうずっと通っているとある種、風景になってしまっている「和装侍系音楽集団MYST.」の演奏にも今回、いつも以上の観客があったように思えたし、ツイッターなんかでのリアクションも多かった。検索にこんなに引っかかるなんてと思った。ライブを見る人たちのノリも良く、そして終演後にCDやDVDを買っていく人も多かった。それはだから初めてくらいに来てその演奏を見て、見かけ7割のビジュアル系に驚きつつ、その歌声に感動している人が多くいたって現れであって、それだけデザインフェスタに流入してきている人の層が変わり且つ増えているってことなんだろう。ということはここから大きくステップアップも期待できるかな。

 でもこれだけの混雑の割にはテレビとかメディアによるデザインフェスタの取り上げは未だといった感じ。コミケには何かクールジャパン的な視点とか、そういうのを取り上げてあげる的上から目線なんかで行くメディアも割と増えて来たけれど、デザインフェスタはそういうひねくれた切り口で見るにはまっすぐな表現が多すぎるのかもしれない。まあそうした大手メディアのヨコシマな視点でしっちゃかめっちゃかにイジられるより、主流からすこしズレたところで、リアルな表現とコミュニケーションが繰り広げられる場として続いていってくれた方が行く方としても楽しいし、出る方としても存分に自分を発散できるだろう。そういう場として続いて言ってくれることを願いつつ、でも抽選漏れで出られない悲しみを味わうことがないような施策も、出していって欲しいかも。規模拡大しかないのかなあ。

 なるほどやっぱり否定されたか大阪都構想。その意味のどうにも感じられないところに気分としては否定派だったし、賛成する人の意味はなくても覚悟を買うような感じに冷めた感じも覚えていただけに、とりあえず安心したといった気分。ただ僅差だったことは否めず、そこに賛成を示したい人の賛成に値するだけの何かがあったってことも否定できない訳で、そうした懸案を解消していくことがこれから求められるんだろう。とりあえずコストカット名目でむちゃくちゃにされた文化政策あたりを立て直しつつ、経済も活性化させる政策を次に期待したいところだけれど、国政というか自分の思いの推進のためには大阪なんて踏み台いして平気な感じの総理大臣がまだいるんで、安心はできない。次はそっちの暴政を監視していく必要がありそう。何をしでかしてくるのやら。取り込むかなあ、三顧の礼とか美辞麗句をお気に入りのスピーチライターにでも書かせて。


【5月16日】 じゃあその安い肉がいったいどれだけの味だったんだ、って話に行かなかったのはつまり肉はあくまで素材であって、肉そのものが勝負の中心にはいないってことだったんだろう「食戟のソーマ」の丼(どんぶり)対決。A5だなんて食べたことも見たこともない肉を出してじっくり焼いてローストして、それをガーリックライスの上に乗せて食べてまずいはずはない気がするけど、でもそれだとやっぱりライスが肉と喧嘩してしまうんだろう。いっそ普通にただの白飯にして肉の箸休めにしてしまえば良かったんだろうけれど、それを丼というべきかステーキ定食を重ねただけだとみるべきか、迷ってしまうからやっぱりダメか。

 対して幸平創真はシャリアピンステーキ丼をさらに改良してきたみたいで、ご飯だけでは負けるとそこに梅を入れ、上のくどさをさっぱりさせるようにしたことで大勝利。それを考えるなら肉魅はガーリックライスの代わりに何を使えば良かったんだろう? A5の肉で丼を作るならどんなものがあるんだろうって所に挑んで欲しい気もするけど、それはないまま話は進む。次はえっと誰との対決? 原作を読めば分かることでもここは押さえてアニメを見ながら理解していこう。なんか牛丼食べたくなって来たあ。グランドキッチン池袋で出していたような甘くて濃い汁でじっくり煮込まれとろとろになった肉が載った牛丼を。

 「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」はちょうど出たばかりの「ソード・オラトリオ4」でもって描かれていた、アイズ・ヴァレンシュタインが、ベル・クラネルを強くしていく特訓の場面が登場してあの強制失神からの強制膝枕も連続して登場してベルくん激しくうらやましい。ヘスティアさまからも腕を胸に押しつけられ、退行するようにリリルカ・アーデにも腕を取られて意外にある胸に押しつけられたりして、いったいどんな感触なんだろうかと想像が浮かぶけれども経験がないのでまるで感覚が分からない。誰かやって欲しいと見渡してもそんな谷間は存在しない。ちょっと悲しい。

 ストーリーでは「ソード・オラトリオ4」の中でも描かれた、ベルくんによる覚醒が来週あたりの中心になりそう。オッタルが鍛えて名うての冒険者でも血の海に沈められるあのミノタウロスを本当にベルくんが倒せるのか、って倒すんだけれどその戦いの激しくもすさまじい様子が、どんなアクションによって映像化されるのか、ちょっと楽しみ。そんなストーリーンの裏では「ソード・オラトリオ4」のようにアイズたちロキ・ファミリアによる遠征が行われてとんでもない戦いが繰り広げられているという。それを知らずにのほほんとしているベルくんたち。でもいつかそんな差が縮まり流れが重なって、世界を巻き込む大冒険へと発展していくんだろう。期待して待とう、続刊を。

 幕張ではプロペラ機を使った飛行機レースが繰り広げられていたりして、見てみたい感ありありだったけれども一方で、東京ビッグサイトでは日本だけでなく世界中からクリエイターが集まって、アートのお祭りをしているんでそっちを見なくちゃいけないと、電車を乗り継ぎ有明まで行って「デザインフェスタVOL.41」を見物する。いやあすごい行列。そして来場者。昼も過ぎればすっとすいていたのが今はもう午後でも身動きとれないくらいの人が来るもんなあ。すごいイベントになったもの。抽選で外れてしまって常連ですら出られなくって、それに生活をかけてる人とか大変そうだけれどでも、会期を延ばすとか会場を広げるとなると費用もかさむだけに難しい。東京オリンピック前の改装期間はどこで開催するんだろう。そんなあたりも含めて今後に注目。

 そんな「デザインフェスタ」で見た「螺子-vis-」という集団が行ったファッションショーには、ゴシックロリータ調のドレスもあれば、戦国時代風の着物や陣羽織などがベースになったファッションもあって楽しませてくれたけど、個人的な見所は久々にデザフェスに帰ってきた柳瀬式さん。しばらく東京スカイツリーにある戦国ショップの店長さんとかしていて来られなかったようだけれど、刀剣女子とか騒がれ始め、大河ドラマも戦国物が来年にまた戻ってきたりで、和装人気も盛り上がってきている中でやっぱりこの人がといった感じに登壇。いつもながらの美声を聞かせてくれた。これだけのビジュアル&パフォーマンスを持っているんだから、もっとメジャーに行っても良いのに。まあそこが日本の見る目の無さって奴なのかも知れない。

 和装で音楽といえば、甲冑姿でロックを歌うパフォーマンスを行っている和装侍系音楽集団MYST.も、デザフェス常連として登場。1月に出たばかりのニューアルバム「戦気」からの曲も含んだ3曲を聴かせてくれた。和風バンド「金色」もブースを出していて、和装に刀を携えた金色清之進さんがCDを販売。将棋をテーマにしたCDもあるってことで、見たら「ハブ・マジック」だなんて楽曲が入っていた。どんな唄なんだろう。和柄だとあと「玉 −gyoku−」ってところが出してた寛永通宝を使ったウォレットチェ−んが良かったかなあ。銭を銭で縛るって何かアイロニーがあるし。

 NAGA(なが)という名で活動しているイラストレーターが出していた作品も最高だったよ。浮世絵風の絵なんだけれど、職人の男が作っている大きな桶の中で、別の男がスケートボードをしていたり、坊主がパソコンをいじっていたり、着物姿の女性が自転車のトラックレースで使われるピストに乗って走っていたりといった具合に、江戸時代と現代とが混在した不思議なテイストになっている。会田誠さんも時々やるし、最近だと野口哲也さんが戦国絵巻に現代を入れたフェイクをやって世間を騒がせている。野口さんは戦国にだって猫好きは居たかもって発想から絵にしているけど、NAGAさんはなんで江戸時代にピストなのって考えるより、それがあったら楽しいかもって思うべき作品。似ているようで違いもあるんでどっちも面白く楽しみたい。

 あと見てすごかったのは三谷瞳さんという粘土造形作家の人が出していた造形物で、3センチとかそんなものの球体の中に実に細かく馬だとかいろいろなものが入れてあって、虫眼鏡で見てようやく何かが判別できるくらいの細かい細工になっていた。このテクニックならTVチャンピオンの「手先が器用選手権」で優勝できるんじゃないかっていうくらいのすごさ。でもプロとして何かやっている感じじゃない。そんな人がごろごろといるからデザインフェスタってすごいし、行くのを止められない。nocco.ってディーラ名のところが出していたキノコのがまぐちもよかったなあ。ベニテングタケは普通だけれどシイタケは面が鉄板焼きで十字に切られて焼かれている感じ、でもって裏を見ると柄があってヒダもあってとシイタケっぽい。煮れば良い出汁がとれそうな本物感。これも人気が出そうだなあ。

 古宮九時さんの「監獄学校にて門番を2」(電撃文庫)は戦乱の果てに五族協和めいた状況になってさまざまな種族のトップだけが集められ、半ば力を吸い取られるような場所でひどければ一生を過ごすことになっている、そんな学園に門番としてやって来た男の話の第2巻。実は70年前の大戦で活躍しながら呪いを浴びて発狂したまま地下に眠る巨人の善良な部分だけを魔法使いが引っ張り上げて、人形に載せ替えたのがその門番。戦闘能力は高いけれどボディを壊して小さい人形に入れられていたこともあって最初のうちはしっちゃかめっちゃかにされる。そんな裏側で監獄学校を機転に魔法の力で巨人や獣人の狂気を蘇らせようとする企みが巡らされ、門番や学校の生徒たちを巻き込んでいく。平和ってのはやっぱり難しいけど、だからこそ得る価値があるんだと思わせてくれるストーリーかな。


【5月15日】 いきなりクリティカルな設定が飛び出して大混乱のノイタミナ枠テレビアニメーション「パンチライン」は、だとしたらどうしてパンツを見て興奮して鼻血を出すのかという、根源へと迫る問題が浮上してくるんだけれど、そうしたリアクションが好意からのポジティブな興奮ではなく、同類への嫌悪とかあるいは恥辱から来る驚愕でないという証拠もないんで、あって不思議ではないのかもしれないということにしておこう。そんなアホな。それはそれとして剥いてみたいとか元々は誰だったんだって話も出てきて、設定を解明する興味も募る。現れたプロテクトギア男についても、曳尾谷糸を狙っていた犯人についても判明したけどそれは本筋というより脇へと生えた枝葉であって本筋の不明さは残る。けどそれらも吹っ飛ばして過去へと戻った伊里達遊、ではなくって今は伊里達遊太が何をどうしてどう変えるのかが次回以降。そんな繰り返しが全体へとどう絡んでいくのか。まあ楽しみつつ見ていこう。もっとパンチラを。

 2カ月くらい前に炎上していたらしいサイト運営者によるネイティブアドに関するブログをようやく読んだらなるほど、こりゃあ炎上もするはずだ。話し合いによってネイティブアド、っていうかつまりは紐付きのちょうちん記事を出すときに「広告」って付けろよそれが道理だろっていう意見に対して、そういうあからさまじゃない記事は記事だけど金もらっても良いようなものを作ってきた自分たちのこれまでを鑑みつつ、それでも「広告」って付けろという意見に対して「そういう、メディアプランナーや編集者の絶え間ない努力を、『これは広告です』という一言が凶器となって、すべて台無しにしてしまうんじゃないでしょうか。広告の使命である『広く告げること』ができなくなるんじゃないでしょうか」なんて言っている。

 ならないよ。テレビのCMはあからさまにCMだけれど面白ければ共感する。そして商品に力があれば広告の言葉は信じられてさらに大きく育っていく。ヒットCMというのはそうやって生まれてきた。そこにはごまかしもおもねりもない。表現の力だけがあった。ネイティブアドとやらはどうなのか。そこに綴られる言葉はなるほど美辞麗句だけとは限らないけれど、でも究極的には金主の方を向いて阿った言葉であって、けれどもそのことを顔には出さずに公正なふりをして訴えてくる。それを読んで感動すればなるほど言葉に力があったということかもしれないけれど、それが広告であると言ったとたんに力を失うならばやっぱり力がなかったんじゃないのか。その力のなさを公正なふりで誤魔化そうとしているのだとしたら、それは後退であって絶え間ない努力なんかではない。なんて思うのだった。まあでもネットの世界の喧噪をよそに新聞あたりじゃ下の広告をもらう前提で上に記事書いたりしているからなあ、そういうことをやる専門の部署まで作ってるところもあるくらいだし。モラルはもはや存在しないってことで。やれやれだ。

 ネット環境が悪いんでいつも真っ当に再生されない「日本アニメ(ーター)見本市」の最新作で「新世紀エヴァンゲリオン」なんかを手がけたアニメ-ターの平松禎史さんが監督と脚本を手がけた「イブセキヨルニ」を見たら、なるほどこれは最近の平松さんらしい作品だった。というか三橋貴明さん支持者としての平松さんならではの作品。何しろ原作が三橋さんところが関わっているさかき漣さんって人の「顔のない独裁者」。そしてストーリーも日本がおそらくは北朝鮮あたりの攻撃を受け、起こった戦乱の中でアジアに併合されつつ日本のアイデンティティーが損なわれた中から、立ち上がった男が率い導いていった果てに起こる争乱って奴を描いている。

 中に残酷な描写もあればエロティックな描写もあり。女性の姿態とか本当にうまく描いているなあ。あと街の騒乱の様子とか。そんなアニメーターとしての仕事のすごみとは別に、やっぱり気になるストーリーは中国を盟主にしたようなアジア連合の支配下に入って侵略される日本への、それが現実となりかねないという警鐘が真っ先に来ていて、いやいやさすがにそこまでの戦争はのぞまないあろう中国だってという体感から、そういう問題の立て方に辟易とさせられるつつ、そうした見解になびきがちなライト層の支持を集めて盛り上がるんだろうなあなんて鬱陶しさも浮かんでくる。

 もっとも、侵略への恐怖や嫌悪から生まれるナショナリズムをあおって生まれた政権が、高まる期待や圧倒的な支持の上にあぐらをかいて独裁を布いて国民を弾圧するまでが描かれているのは、単純な嫌中嫌韓といった枠組みからさらに抜け出て、そうした恐怖感をあおって支持を取り付けては、改憲だ安保法政だといった具合に危ない政策をどんどんと進め、一方で若者を弾圧し年寄りを虐待し金持ちを優遇して大半を貧乏人へと落とすような政策も進めて、この国をとんでもない状態にしている現在の総理大臣への、独裁者めといった批判でもあるような気がしないでもない。三橋貴明さんはずっと安倍総理を批判しているし、それを受けた平松さんもそういう意識でいる感じだし。いろいろと前提に気に入らない部分はあっても、聴くべきところはある作品。そしてアニメーションとしての優れた動きや演出も見るべき作品。毀誉褒貶を超えて何か訴え、残して欲しいけどやっぱり綺麗に見られる環境が欲しいなあ。パッケージ化はまだかなあ。

 せっかくだからと神田にある早川書房の1階にオープンした「居酒屋グイン亭」ってのをのぞいていろいろとむさぼり食う。サイロンのカバブーにオリーおばさんの肉まんじゅうにカラム水。カラム酒ってのもあるんだけれどビールを飲んだのでそっちはノンアルコールのドリンクにして肝臓休め。でもビールを飲んでいるなら一緒か。コストパフォーマンスでは肉まんが良いかなあ、中身はお肉でぎっしりで味もいけてる。前にディックの酒場で食べた肉入り春巻きにも負けないおいしさ。これは行ったら絶対に食べた方が良いと行っておこう。カバブーは肉と野菜のバランスが良くてとってもヘルシー。おなかをいっぱいにしたいならノスフェラス丼で、お酒を楽しみたいならカバブーがベストと行っておこう。他にもヴァラキアの魚介類を煮込んだものもあるけどこれはノスフェラス丼と共に別の機会に。

 そういうことをやらなさそうな民主党政権を退けて、そういうことをやってしまいそうな自民党を政権に復帰させて、安倍晋三氏を総理大臣へと送り出した以上はいずれ、こうなるってことは分かっていた訳で、それを今さらダメだ何だと言ったところで止まるわけもないし、時計の針が巻き戻る訳でもない。だからもう粛々と受け入れるしかない。残念だけれど。もしも止めたかったら最初から、選ぶべきではなかっただけでそこが入れられなかった以上は、国民はそれを選択したんだと思うより他にない。とはいえ現実、何が起こるのかといったところはまだまだ未知数。そこで日本にとって、日本国民にとてひどいことが起これば風向きも変わって悔い改めてくれると思いたいけれど、そこで悔い改めさせない雁字搦めが発生していないとも限らないし、そうなりつつあるのも実際。なのでもはや止まるところを知らずにひたすら、転げ落ちていった先に再びの昭和20年8月15日が来るんだろう。その頃に自分まだ生きているかなあ。


【5月14日】 AV出力でのアナログ接続が何か観られないような仕組みになってしまたのか、単純にケーブルが断線していたのか分からないけれど、映像出力をD端子に変えてテレビとつないだらちゃんと映像が出たんで、とりあえずは良かったシャープのBDレコーダー。ちゃんとしたAVケーブルでつないで果たして映るかどうか、試してみるのも面倒なんでしばらくはこのまま走りつつ、いずれ部屋を大きくした時にはデジタル接続が可能な大きいテレビを買ってドンと据え付けたいものである。10年後くらいかなあ。生きていられるかなあその頃に。だってほとんど還暦だよ。イメージわかないなあ。

 そんなテレビで観たアニメーション版「ちはやふる2」は、クイーンが綿谷新を相手に敗れてニコッとほほえむ場面とか、可愛かったけど漫画だとそのシーンで自分のタイミングでずっと眺めていられるんで、アニメーションのようにパッと映って次に流れるタイミングだと、ちょっと印象が違うなあと改めて思ったり。ただ全体に本当によく漫画の場面を絵にしている感じで、桜沢翠先生の誘いに乗って後ろにぴたっとついて対戦中の部屋に入るシーンとか、漫画そのまんまのレイアウトを雰囲気良く動かしている。でも実際にかるたを取る場面は、速度も緩急もつけて独自に描いてみせる。その案配の良さが観ていてリズム感もあるアニメに仕上がった理由なんだろう。もっとアニメとして評価されていい作品。でもマスプロ過ぎて忘れられていく感じ。もったいないので早く第3期を。実写版とどっちが早いだろう。

 ノスフェラスを闊歩する得体の知れない怪物の丸焼きでも出るんだろうか。それとも草原のアルゴスにちなんだ中央アジアっぽい肉料理とかが出されるんだろうか。いろいろ期待もしてしまうけど、行ってどこまで元ネタを思い出せるか実は不安だったりする、早川書房の1階「クリスティ」を舞台に繰り広げられるという「居酒屋グイン亭」。エンゼルヘヤー焼きそばとか、出来たらいったいどんな味なんだろうかと興味もあるけど、そういうメニューがあるかは不明。まあでも過去にイベントで出てきた料理はどれもそれなりに美味しかったので、グインにちなんだ料理もどれも工夫され、なおかつ美味しいものが出てくると期待。それ以上に栗本薫さんにちなんだ展示とかあるみたいなんで、まずはそれを見にゴーだ。いつ行こうかな。いつなら行けるかな。

 食べ物といえば週末の土曜日日曜日に東京スカイツリーがある東京ソラマチで、何かオムライスの祭典が開かれるみたいで、そっちも行きたいけれどもこの両日は東京ビッグサイトでデザインフェスタがあったりするんで、ちょっと行けるかどうかが分からない。行ってオムライスの何を選んで食べればいいのか、分からないもの悩みどころ。普通にチキンライスを卵でくるんだオムライスしか食べたことがないんで、中がどろっとした卵でくるまれたオムライスですらどうにも異端に思えてしまう。ましてや中身がチキンライスとは違うものだったりした日には、どういう反応を示してしまうんだろう。だからこそ行って食べてみたい気も。うまく都合を付けてのぞいてくるか。中が白飯で上に餡がかかったものだと嬉しいかな、ってそれただの天津飯。

 グラビアアイドルのお尻を眺める簡単な仕事を渋谷でこなす。シダックスホールがあった場所って確か昔TEPCOのホールか何かがあったんだっけ、そんな場所で行われたのはセガネットワークスによる「モンスターギア」ってゲームの完成披露会。向かってくるモンスターをプレーヤーが武器を持って倒したりするゲームで、4人まで仲間を集めてマルチプレーもできるっていう仕様はどこかで聴いたことがあるけれど、でも良いのだ今はそういう時代なのだから、って納得して良いのかなあ。でも面白ければまずはそこからってことで聞いた話は、スマートフォン向けにいろいろと工夫されているそうで、片手でボタン3つを操作すればプレーできて、そして時間も1ミッションが5分以内と短くなっている。ゲームを追われず電車を乗り過ごす心配は無し。その辺が新しい、ってゲーム性とは違うかな、いやでもそういう仕様に合わせてゲームも作り込まれてるんじゃないのかな。

 そしてそんなゲームのプロモーションのために杉原杏璃さんと菜乃花さんとそして大貫彩香さんという3人のグラビアアイドルが「モンギアガールズ」なんてのを結成していろいろと宣伝に回るとか。さっそく完成披露会でもホットパンツからにょっきりはやした足もまぶしげにホワイトボードに向かってこちらにお尻を向けながら、自分ならではのモンスターって奴を描いてくれた。そのシーンを押さえて記事に流せばアクセス増加間違いない、って言いたいけれどもさすがにそれで稼ぐのも本末転倒なんで、こちらは普通にゲーム性についての記事を書き、そしてグラビアアイドル特集はそれが得意な人に任せるという分業制で記事にする。それでアクセスをグラビアアイドルの方が持って行ったらやりきれないかというと、それはそれでこれはこれ、自分だって見るとしたらそっちだから仕方がない。情報としての価値とビジュアルとしての意味。そのせめぎ合いをうまく融合させつつ全体が稼げば良いってことで。大人だねえ。

 まずモラルとして人が普通に歩いている公道なり往来でのドローンの飛行は、それがたとえ法律に違反はしていなくても危険性を鑑みて止めるべきだという認識に立つなら、長野県の善光寺に続いて国会議事堂のそばでドローンを飛ばそうとした15歳はまずいことをしたと非難されるべきで、それを違法じゃないからと認めたり、権力に挑もうとした英雄だと称えるような言葉は人間としてのモラルに挑戦的であり、また目的が有意なら手段は問われないというテロリズム的言説に与するものとして排除されるべきだろう。それが前提。問題はだからそうした社会性に関する共通認識を、15歳にもなろうとする人間がどうして理解できないのか、そして周囲は理解させられないのかってところにある。

 前に事件を起こした容疑者の家に突撃もして中継していた15歳。その行為もやはり違法ではないけれど、そして多くのマスコミもやっていたりすることだけれど容疑者の家族には家族のプライバシーがあり、保護されるべきだという認識を持てない精神性に不思議が浮かぶ。それとも自分が何かをやっているところを世間に見せて承認を得たいという欲求が強すぎて、他のあらゆるモラルなんかを埋めてしまっているのだろうか。そうしたことを可能にしてしまうネットのツールの存在も、あるいは影響しているのだろうか。だとしたらネットをなくせば止まるのか……って排除の論理はさすがに働かないし働かせてはいけない。やっぱり使う側のモラル。その範囲で動くことによってドローンもネットも禁止されず、その利便性を享受できるんだと理解して欲しいんだけれど、それが出来ないからこその騒動の連続。堂々巡りを誰がどうやって止めるのか。見て行きたい。

 風評というのは根も葉もない話であって、かねてから懸念を表明しそれが拡大することを批判している新聞に何の論旨のゆがみもないのだけれど、とある自称全国紙は1面コラムでもって「東京新聞はかねて、沖縄に負担を押しつけるな、と訴えてきた。決定に大賛成かと思いきや、きのうの紙面を見れば、さにあらずである。『沖縄の危険 首都圏にも』の見出しがついた1面トップをはじめ、4ページが批判記事で埋め尽くされていた」なんて書いて来ているから何というか、分かっていないというか。「さにあらず」どころか沖縄で危険視されているものを、首都圏に持ってくるなんて言語道断と言っているだけでそこに意見の相違はない。

 沖縄に押しつけていけない危険を、首都圏で引き取れという方が無茶で、あまねく日本全体でそうした危険を排除していこうとする意見にぶれはない。正しいかどうかの是非は別にして。そりゃあ100%の安全はないし役にだって立つオスプレイ。だからあって良い場合もあるし、国土防衛といった場面で活躍だって期待できる。でもそうした論理的な積み上げによる説得なんか最初から考えず、相手をこき下ろすことだけで何か成し遂げたような気になっている書き手の知性の減退ぶりがどうにももの悲しい。

 「オスプレイは、普天間飛行場から、ネパール大地震の救援活動のために派遣されている」というそのオスプレイが屋根を吹き飛ばしたという話が伝わっていて万能ではないことは分かっている。「東日本大震災発生直後から、米軍が展開した『トモダチ作戦』に参加していたら、大活躍していただろう。将来、首都圏直下型地震が起こった場合でも、頼りになりそうだ』って言うけど具体的にどう役立つのか。空自の輸送ヘリの方が積めるって話。オスプレイは距離と速さはあるけど物資はそれほど積めない。そんな比較を見せずにイメージだけでしゃべられても困ってしまうのだけれど、とにかく東京新聞を非難して蹴落としたいって意識だけで筆を走らせている感じ。だから読んでも説得されず呆れられるだけなんだけれど、それに気づいている風はないからなあ。やれやれだ。


【5月13日】 名古屋市があるのが愛知県だと知られているかとうと案外に知られいないような気がするし、横浜市が神奈川県かというとすぐに思い出せない人もいそうで、つまり県名なんてものは認知されていなくたって、世の中は回るし別に誰も困らない。だから滋賀県が認知度で全国最下位だからって、琵琶湖県にしたり近江県にしたところで、そもそも琵琶湖ってどこにあるのかなんて考えないし近江が滋賀県のあたりだなんて思いつく人はもっといない。なんか大阪のようにあるような、そんな感じさえ受ける中で滋賀県をそうした名前に変えたところで、知名度が上がる訳がない。むしろもっとメディア的に知られたあの近辺の名前を使った方が良いような気がするけれど何かあったっけ、かるた県、って近江八幡宮で大会は行われてもかるたが盛んな訳ではないしなあ。やっぱりこれか。鳥人県。いっそ県の技にして大会を引き継ぎ開けば良いのに。

 そんな近江八幡宮での高校選手権で決勝が始まろうとしているアニメ版「ちはやふる2」の千葉テレビでの再放送は桜沢翠ちゃんがいっぱいしゃべって常に冷静な口調でありながらも綾波レイとは違う声を林原めぐみさんが聴かせてくれた。放送当時、このあたりをこれから中心に行くんだろうかと思ったものの、あんまりそういう声を聴かせてくれていないような。っていうか今何をメインにしてるんだろう、「ポケットモンスター」あたり? それは寂しい。でもってB級で山ちゃんを破って太一が優勝したのに本当に嬉しそうな千早の涙声はやっぱり屈指の演技だったなあ、瀬戸麻沙美さん。ああいう役をもっとみたいけど最近、どれがメインの仕事なんだろうか。「デス・パレード」は良かったんでBDボックス買おうっと。

 そんな「ちはやふる2」を見ていたあとに、シャープのBDレコーダーをいじっていたらなぜか突然に画面が暗くなってブラックアウトしてしまい、音声だけしか聞こえなくなってしまった。テレビの方が悪いのかと、他につながっている機器を再生したらちゃんと映るし、ケーブルが断線でもしたのかと取り替えてもやっぱり音だけ聞こえて映像が映らない。もしかしたらファームアップなんかしてAV端子からのアナログ出力ができなくなってしまったのか、なんて妄想も浮かんだけれどそういうことが可能かは不明。とりあえずD端子でつないで、それで映像が出るかどうかを試してみようと思っているけど、それでもダメなら買い換えってことになるかなあ、買ったばかりなのに。でも家のテレビがアナログなんでAV出力がない機器はだめ。それが少なくなってる現状で探すのも大変。もうテレビも含めて買い換えるしかないのか。いっそ2チューナー録画機能付きのテレビにするか。何かと物入りだなあ。

 そこまでいじめるなら、菅官房長官とその親玉の安倍総理は、大阪の自民党府連を全員まとめて除名して支持する維新を自民党大阪府連にしてしまえば良いのに。対立の様子を見るに付け、安倍総理とその配下の菅官房長官は、橋下徹大阪市長による大阪都構想を支持していてそれをすることが絶対のような雰囲気がある。中央が地方いじめをしているから府連に肩入れしないんだ、なんて安倍総理に追従することで命脈を保っている御用新聞が書いているけれど、だったら府連を支持しない代わりに都構想に理解を示す必要もない。横浜の公務員数と大阪の公務員数を比べてどうだなんて言わなくても良い。というかこの数字だって、交通局とかの現業が入ってないんで入れれば横浜は2万6000人。まあ大阪の方がやっぱり多いけれども差は詰まる。それでも都構想を支持するのは、維新を支持して取り込みやりたい国政があるってことそれは何で結果日本はどうなるのか。大阪だけのことじゃないこの一件、どうなる投票の行方。

 そうかきっとみんな「SHIROBAKO」の若柱博一音響監督を見に来たんだと後になって思った、デジタルハリウッド大学での音響監督の若林和弘さんによる公開講座。アニメーションにはたいていそういう役職の人がいて、声優さんによるアフレコの現場であれやこれや指示を出して演技をさせて声を録ったりしているけれど、ほかにいったいどんな仕事があるのか、そもそもどうやってそういう仕事に就けるのか、ってあたりに興味がありそうな人たちが、やっぱり大勢いて「SHIROBAKO」とは関係無しに話を聞きに来たんだろう。

 そういう意味からほとんど満席となった会場に登壇した若柱さん…じゃなかった若林さんは、元もとがアニメ好きで「うる星やつら」のアフレコ現場をのぞいていたら音響の仕事を手伝ってみないかと誘われ入ったのが最初。途中で販売の仕事に就いたものの辞めてさあ何をしようかって時に、バイト時代の伝手で制作進行の仕事と、そして音響のバイトの仕事に誘われ音響を選んだらしい。そこで制作を選んでいたらそのまま監督になるかプロデューサーになっていたかもしれないけれど、幸いというか選んだのは音響で、最初は見習いのように出入り口の椅子に座って先輩たちの仕事を観て覚えつつ自分で少しずつやれる仕事を増やしていって、「らんま1/2」あたりから本格的な仕事を始めるようになったという。

 映画だと押井守監督の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」あたりからがっつりとやり続編の「イノセンス」でアメリカにあるスカイウォーカーサウンドの音響作りを試しに取り入れナイスだったんで「スカイ・クロラ」でも組みつつ一方で、宮崎駿監督の「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」なんかで音響監督の仕事をして来たという。そんな両巨頭について語るなら、宮さんは絵描きなので感性が先に立つのか説明はしないけど、求めたものが出来てなければダメを出し、良ければ納得するという。押井さんは絵が描けないので日頃からアニメーターとコミュニケーションを言葉で取るのが仕事なので、音響に関する説明も論理的だという。

 そんな2人のほかにも大勢の仕事をしながら若林さんは、自分の仕事の範囲を少しだけ拡張するようにして、制作の現場にも顔を出して自分が求める音響の仕事ができるような環境作りをしてきたらしい。ずっとスタジオに張り付いて、来る仕事を右から左に流しているような感じじゃなく、場合によっては作画打ち合わせの現場に行き、本読みの現場にも出向いて構成を考えるとか。そんなコミュニケーションの中から監督や他のスタッフの思考をつかみつつ範囲を感じ取り、そこに自分の要求も入れてどこまで広げられるのか、ってことを模索していった結果が今の、音響から音楽から効果までをトータルで仕切り形にして出すスタイルが確立した、ってことになる。戦って四半世紀以上。それが地位を作り上げる。漫然とじゃあやっぱりいけないんだなあ。

 興味深かったのは、音響を作り上げる上でテレビで聞いてちょうど良いくらいの音に絞らず削らず、それこそ劇場でも十分に響くくらいの音を入れておくらしい。それは音楽も効果も同じ。なのでテレビで聞くと時折声が小さく感じられることもあるって話していたけれど、それでも主義を貫くのは、海外なんかへと展開したときに、相手が言語をいじっていく時に音が足りないといけないから、って配慮らしい。圧縮されてしまった音は広げられないけれど元のままなら削っていける。そういう配慮。手間もかかるけれど良い物にしたいという熱意がそれを許し且つ、結果がそれを認めさせているんだろう。戦い続けてきた結果がここにも。

 キャスティングについては作品ごとに事情も違うから音響監督のポジションがどれくらいなのかは分からないけれど、たとえば主役級があらかじめ決まっているなら、その周辺に配置する人たちも主役の年齢と声質に合わせて配置しバランスを取るとか。人気者ばかり並べたら全体がいびつになる。それを防いでトータルで作品として仕上がるような配慮をしているとか。なるほどなあ。でも今の売り上げ至上の状況で、売れる目算があるものしか作られずどれも同じになってしまう中で、声も売れる人が集められる傾向が。それが作品を持ち上げているのか壊しているのか。分からないけれど若林さんはきっとそういう狙いとは違った、多彩さの中から自分で選べて楽しめる作品を作っていきたいという考えみたい。大賛成。でもだれも自分たちがハケンをとりたい、オワコン呼ばわりされたくないとひとつに集まり偏ってしまう。そして……。難しい時代に来ているなあ。


【5月12日】 去年の秋くらいにアニメーション化の発表があってその時に、あのサンリオがこんなアプリを作ってキャラクターを展開しているんだと知った「Show By Rock!!」だったけれど、それでアプリへの注目が一気に高まった、って感じではなかったし、2月にアニメの放送が本決まりになって、それで発表があった時も、それほど期待がかかっている感じではなかった。4月は新番組も多いんで、その中の1作品といった感じでアニメファンの間では受け止められていたんだけれど、放送が始まるや萌えっぽいアニメのパートがあり、それがCGになってちびキャラ化する変幻ぶりが話題となって、これはなんだといった注目が一気に集まった。

 そしてそれがあのサンリオが提供しているものだと知って、可愛いキャラクターでありながらもそのアニメの奇天烈ぶりで世界を震撼させた「おねがいマイメロディ」の再来かとの期待も集めていた「Show By Rock!!」が、今度はサンリオのキャラクター人気投票で上位に来るという快挙を見せて、よりいっそう広い範囲にこれはいったい何なんだといった驚きをもたらしている。作品に出てくるバンドから男ばかりのグループと、そしてヒロインが所属するプラズマジカが1位と2位を占拠して、常連だったハローキティやマイメロディを蹴落とした。

 ここに人気のKIRIMIちゃん.やぐでたまが来たら、いったいどんなランキングになってしまうのか。キティはどこまで下がるのか。今から結果が楽しみで仕方がない。というかサンリオも新キャラへの注目を一気に集めさせることに成功できたなあ。この動きは今後のキャラクタービジネスでもひとつの参考例になるかも。伝統があるサンリオが、意外性のあるキャラを出し、作品性で勝負して話題性で引っ張るという展開は、どこも真似できるって訳ではないけれど、意外性と話題性とかパーツで抜き出し再利用が可能かもしれない。「ウルトラマン」とか伝統に意外性を乗せて成功しているし。次はどこが何で続く。それも楽しみ。

 千葉テレビで再放送されている「ちはやふる2」は、2年生での高校選手権が個人戦に入って綾瀬千早はベスト8まで出たものの、そこで相手がクイーンとなって、けがをしていた右手でとって2枚しかとれずに敗退。ここでもし指が完璧に動いたとして、クイーン相手にどこまでとれたかというと、ぶつかって痛みを増すシーンとかもあまりなく、やっぱり20枚以上の差で負けたんじゃなかろうか。あれだけの強さがありながらもそれでもかなわないクイーンと千早の差はどこにあるのか。それは1年で埋まったのか。ってところが3年次の高校選手権での話題になりそうだけれど、連載を読んでいないので、部活を休業中の千早が戻ったのか、そして田丸妹との軋轢は解消されたのかは分からない。単行本が待ち遠しい。アニメはまだしばらく続くんで見ていこう。確か藤崎での合宿までだったっけ。翠先生見納めの回。見るぞ。

 わははははは。乳竜帝なんて呼ばれて嘆くドライグがちょっと可愛いい「ハイスクールD&D」の新シリーズ「ハイスクールD&D BorN」。なぜかよく分からないうちにオーディンにおいて行かれたロスヴァイセさんが、しくしくと泣いているところも可愛かったし、イッセーを相手に自分を見せようとするゼノヴィアとアリシアの胸とかも素晴らしかった。サイズに違いがあてやっぱりそういうものかと理解しつつ、自分だったらどっちが良いだろうかとながめてどっちも良いって当然に結論へと至る。そうだろう? そういうものだ。お話はそんなアリシアに迫るベルゼブブに、イッセーたちがどう対抗していくかって展開になるのかな。カオス・ブリゲードとかヴァーリチームとかが後ろに下がっているけど、いずれまた出てくるのかな。期待しつつとりあえず叫ぼう、もっとおっぱいを。

 からしくんだからしくんだ、からしくんがいよいよもって登場したので、いつかSCANDALのマスコットのキャン太と対決させたい気になったけれど、自在に歩けるキャン太と比べるとからしくんはちょっと動きに不自由さがあるかなあ、でもイラストと比べて足も長いんで割と早く歩けるかも。そんな足を引っ込め座ったところは「純潔のマリア」に出てくる白フクロウみたいでなかなか可愛かった。ってな感じに新人? も加わった「カラスは真っ白」のワンマンライブを渋谷のWWWで。2カ月弱前に近くのスタークラブで見たばっかりだけれど、WWWはちょっぴり開場も広くなってセットリストも大きく変更。何より前はヨシヤマ“グルービー”ジュンさんだったベースが、オチ・ザ・ファンクさんへと代わっての都内では初ワンマン。その響くベースを聴くって意味でも参戦必至のライブだった。

 でもって始まったライブは、2.5Dの時もスタークラブの時もまずはギターのシミズコウヘイさんにドラムのタイヘイさんとそしてベースが登場してひとしきり演奏した後で、ヤギヌマカナさんを呼び込む感じだったのが、今回はいきなり最初っからヤギヌマカナさん登場で、それもPVがある「fake!fake!」から入るというサービスぶりは、スペースシャワーのアプリでもって生配信がされていたのに配慮したからなのかも、これでつかみはオッケーってなるように。それはライブ会場も同様で、知ってる曲、そしてノれる曲から始まって場内は一気にヒートアップし、そのまま息継ぎもなくしゃべりもほとんどいれないで、連続して楽曲を繰り出していったライブは僕が見た内では初めてかもしれない。ってワンマン見たのは3回目だからどうとは言えないんだけれど。

 前の2回はグルービーの前で見たけれど、今回は初めてシミズコウヘイさんの前で2列目くらいで見物していた「カラスは真っ白」。すごいなあ、ギュインギュインと鳴らしもすればペチンペチンと鳴らしもしたりとギター1本を、自在に操りさまざまな音色を繰り出してくるシミズコウヘイさん。このバンドはキーボードがいないんだけれどその代わりをギターでもってすべて出してはサウンドにバリエーションを出してみせる。時にはボイスパーカッションめいたものも入れて雰囲気を出す。すごいとしか良いようがないんだけれど、それに負けじとタイヘイさんのドラムはリズミカルにビートを刻み、オチ・ザ・ファンクさんのベースもキレッキレに鳴り響く。そんなサウンドに支えられつつ発せられるヤギヌマカナさんの澄んでキュートな声の素晴らしいこと。間近に見て色白くそして肌すべすべなヤギヌマさんの可愛さが、そのボーカルによって数十倍数百倍にも増幅されて迫ってくる。

 新曲もあって、ダンスなんかも振り付けられて会場を喜ばせ楽しませることにも手抜かりがない「カラスは真っ白」。所在地を札幌から東京へと移して出場するライブもそして出演する番組なんかも増えていくような気がするけれど、それですり減って消費されてしまうバンドでもなさそう。より大きな舞台へと駆け上がっては何万なんて聴衆を相手にしても、同じだけのパワーを全員へと浴びせかけ、そして会場をダンサブルでファンキーな空間へと変えてくれるだろう。そんな日を夢見つつ今はひたすら追いかけて行けるところまで追いかけていこう。次は渋谷クアトロか、その前にどっかのフェストか観に行くか。新曲はいつ出るんだろう。タイアップとかのるんだろうか。そんな方面での活躍も楽しみだけれど忙しすぎるようになって、ヤギヌマカナさんが上野動物園のパンダを観に行けなくなるのは可愛そうなので避けてくださいよろしくお願い。


【5月11日】 おやおやホワイトとの会話から始まらなかったぞアニメーション版「血界戦線」はハンバーガー大好きなネジくんとの出会いから事件を経て再会へと至るエピソード。それはとってもハートウォーミングだし見ていてスタイリッシュだったし音楽もかっこうよかったけれど、これをガッツリとやるならやっぱりギリカとトーニオのエピソードとか、アリス・ネバーヘイワーズ獄長とクラウスとの戦いをしっかりと描いて血の眷属のすごみだとか、ブローディ&ハマーがとんでもない状況に置かれながらも強い力を持っていることとかを際立たせて欲しかった。それがあのヘルサレムズ・ロットを舞台にしたライブラの活躍を描く作品の趣旨にも沿っているんだけれど。

 まあでもヘルサレムズ・ロットに生きる者たちの親切そうだけれど裏では結構ヤバい橋を渡っていたり、奇妙な修正を持っていて決して安心してばかりはいられなかったりする状況を、ネジとレオのエピソードから語っていない訳でもないからまあ良いか。問題はしかしオリジナルキャラクターのホワイトとブラックだよなあ、今のところ関わっては来ていても本質にはまるで絡んで来ない。ブラックは堕落王フェムトと会食なんかしていたけれど、それで何か事態が動いた訳でもないし。ただ神の義眼を持つレオと1度、列車の中で会っていながらそれを否定して、レオに疑われないっていうのは何かやっぱり力を持っているからなんだろうか。忘れるような眼じゃないと思うけど、神の義眼。あとホワイトがあんまり目立ってなかった。もういらない子?

 実際んところ、ミシェーラが漫画のように最初っから、もっと積極的にヘルサレムズ・ロットと関わっていればキャラが被ってしまうとホワイトは出てこなかっただろうなあ。最初の印象だとミシェーラって芯は強いものの薄幸でたおやかな女の子って感じだったけれど、単行本の第10巻で婚約者を伴いヘルサレムズ・ロットにやって来たミシェーラは挨拶も男らしければギャグもなかなかに辛辣というか自虐が効き過ぎていて周囲が引いてしまうというか。そんな性格の女の子だと分かっていたらレオがあれだけ頑張る理由を守ってあげたい、守らなきゃっていった部分から少しずらして、もうちょっと同士的な結合から考えててみようと思ったかも。

 まあそれも仕方がない、アニメはアニメで漫画は漫画で進んでいくんだろうなあ。そんな漫画版も第1部完的でこの先にどんな設定を繰り入れて来るんだろう。淡々と続くバトルの奥にもうちょっと、ロングスパンのドラマとか入れてきたりするのかな、それがヘルサレムズ・ロットの存亡とも関わるとか。そういうのがちょっと読みたいなあ、「トライガンマキシマム」のクライマックスに近い迫力とスピード感をまた味わいたいなあ。あるいはそれこそ「トライガンマキシマム」のアニメーション化って奴をまた、お願いしたいところ。「鋼の錬金術師」じゃないけれど、前のは前ので今度は今度とそれも楽しめそうな気がするだけに。どうかなあ。

 「英雄色を好む」というけれど、それだけだったら活力があって精力もあってその分めいっぱいに活躍してくれそうな予感もする。国を救ってくれるとかするんだったら、少しくらい色を好んで女性にだらしなくたって、あるいは男性にメロメロでも許してしまおうって気にもなるけど、英雄たちが色を好むだけじゃなく、揃いも揃ってど変態だったらそれでも国民や配下の人たちは許せるか。その真実が伝わったら怒るか呆れるかするだろうなあ。だからとりあえず黙っているし、だませても入るようだけれどいつか露見する日が来ることを、想像するとやっぱり笑えてしまう壱日千次さんの「魔剣の剣士を紅の兵団」(MF文庫J)シリーズ。

 ロンバルディア王国ってのが南の方にあって、そこが隣のトレント王国に攻め込んでは放蕩三昧だったトレント王を退け占領して併合してしまう。王様は戦わずして逃げてしまって腰抜け扱い。それを責めたい気持ちがトレントの人にはあったけれども、それより以前にロンバルディアによる圧政がひどくて、何年もの間苦しんでいた。そんな旧トレントの外れの山奥に、逃げていたのがトレント王で戦争によって家族を失ったジュリオ・ロッシと知り合って、里を作って自給自足の暮らしをしながらジュリオ・ロッシは剣を磨き王様は過去を悔いて良い王になろうと励んでいた。

 そして起こした反乱が、少しばかり話題となる中でジュリオは軍師として活躍をしていたものの敵は強大。そこで少しずつ役に立ちそうな人を集めていったんだけれど、これがポンコツ揃いというか変態ばかりというか。少し前からジュリオと知り合いだった修道女のランは、美しくて絵画に秀でているけれど、それだけに美術工芸品に執着するところがあって生臭い。ジュリオが出かける時も捕まったら自決しろと笑顔で毒を渡すドライさがある。でも外面では女神のように振る舞い反乱軍を導き鼓舞する。そこに加えたロンバルディアの騎士で、金獅子との異名ととっていたトリスタンは、表向きは圧政を布くロンバルディアに愛想を尽かして隠棲したと思われていた。

 でも違った。娘にしたルーナを溺愛していて、それも異性として偏愛していて彼女と添い遂げられない国にはいられないと飛び出しただけだというど変態ぶり。2人の仲が認められる国になるかもしれないとトレントの反乱に加わったものの、すべての振る舞いがルーナから尊敬を集めるためだというから動機は不純極まりない。でも傍目には何もかもなげうって戦いに命をかける戦士に見える。人の目は当てにならないなあ。そしてロスヴァイセズ・ユキノシタ。名手だった母親譲りの弓の使い手ながらも戦いに興味がなく山に隠棲したと思われていた。実際にジュリオが3度訪ねても仕官を断られていたほど。なんと高潔なと思ったらこれも違っていた。ただ目立ちたがり屋で3度では足りぬ5度声をかけられれば自尊心が満たされると思っただけだった。

 そんなロスヴァイセズを銅像にしてあげる、金貨に刻んであげるとくすぐり連れだし加えた反乱軍はそれなりに鍛えられ、魔法の力を手に入れたランの活躍もあって強敵による侵攻を退けるまでは第1巻。そして第2巻ではいよいよ反乱の輪を広げていこうとする前に、トレントの将ながらも裏切って領民を売り拷問も行い虐殺につながる振る舞いまでした女性が現れ立ちふさがる。非道にして冷酷。吸血鬼とまで呼ばれるその女性を相手に勝てるのか? って思ったらこれまたど変態だった。でもって実は優しい人だったという展開の果てに、ジュリオはさらなる強敵も退け失った領地をどんどんと回復していく。その場面では知略があり戦術もあって、しっかりとした戦記物として楽しめる。

 というか変態揃いのキャラクターたちによる会話が突拍子ないことがあっても、領民たちを収め鍛錬を経て強くし外交を通して地盤を固めてそして戦術戦略を駆使して戦う部分は実に王道。そのギャップがこの作品の読んで面白く読み終えて感嘆する理由になっている。ロンバルディアの王の傍らにいて王をそそのかしている女性の正体、それとランやジュリオ・ロッシとの関わりなど気になる設定もあって続きが知りたいところだけれど、そうしたシリアスを超えて楽しませてくれる変態が、また登場してきそう。いったいどんな変態なんだろう。見渡すとまともなのがリリノアしかいないんだよなあ、宦官だけど、ってそれはジュリオ・ロッシがからかっているだけか。さてもどうなる。

 住所の入力も会員番号やIDの管理もそんなに面倒くさくはないし、クレジットカードでの支払いにも抵抗がないから別にすべてがアマゾンのアカウントで利用できなくたって不便ではないけれど、世の中にはそれを厭う人もいるし、パソコンではなくスマートフォンだとそうした入力が実に面倒ってこともあって、だったらサイトで買い物しないって人も割といた。それだったらと数あるECサイトでもきっと利用の覆いだろうアマゾンnアカウントでログインできたり決済できれこんなに便利なことはないと、アマゾンがそうしたサービスに乗り出すことが発表された。最初は劇団四季とか出前サイトだけれどいずれ、多くのECサイトがアマゾンでのログインや決済のボタンを置いて管理を任せることになりそう。塵も積もれば山となでことばかりにアマゾンに落ちる手数料も莫大になるけれど、それでも大勢が利用してくれるならと提携するECサイトも多いんだろうなあ。数の勝利を改めてみた思い。


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