無責任艦長タイラー【スーパー・デラックス版】1

 「どうせこの世は」? 「ホンダラホダラダホイホイ」。

 「だまって俺に」? 「ついて来い」。

 「これで日本も」? 「安心だ!」。

 このいくつかの問答に、答えが即座に、それこそ魂からわき出てきた人は、吉岡平の「無責任艦長タイラー【スーパー・デラックス版】1」(朝日新聞出版、1400円)を手に取り、開いて読むが良い。そこに繰り広げられる物語から、誰もがあの懐かしくも前向きな気分を再び身に帯び、この息苦しい時代に、行きづまって鬱屈していた心が、パーッを明るくなって来るから。

 この問答のひとつだって、答えが分からなかった人でも、心配はいらない。並ぶ言葉たちから漂い、滲んでくるハッピーでラッキーな雰囲気くらいは、誰でも感じ取れるはず。それが何十倍にも濃さを増し、何百倍にも強さを増して、読む人の心を浮き立たせてくれる物語だから。この「無責任艦長タイラー」というシリーズは。

 もとはただの二等兵、というよりそれすらも街角で見た、美少女アイドルが使われていた兵隊公募のポスターに惹かれ、タダ飯が食えて給料ももらえて、各種免許もとれる軍隊の仕事なら楽だと思い、応募して採用されてしまったところから始まったジャスティ・ウエキ・タイラーという男。実はその入隊すらも、ほとんどあり得ない偶然だったにも関わらず、二等兵からあれよあれよという間に昇進して、宇宙を行き交う艦船を率いる艦長にまでなってしまったから、誰もが驚いた。

 偉い提督にゴマ摺りしたからだという声も、わんさかと出ていたけれど、その提督とつながったのは、退役してから行方が分からなくなっていた、老軍人の暮らすアパートを探し出し、年金を届けて感謝され、かつて同僚だった提督への推薦をもらったから。緩い仕事で時間がたっぷりあったからだと言われようとも、誰も探せなかったその老軍人を見つけた努力は見逃せない。

 よりさらに出世するきっかけとなった、ラアルゴン帝国の艦隊を相手に、たった1隻で成し遂げた未曾有の大勝利も、真正面から単身で、敵の艦隊に近づき、何か策略があると思わせておいて、向こうに1発も撃たせないまま、至近距離から攻撃を仕掛けて、向こうの誘爆を誘ったことで得たものだ。裏があると思ってくれた、偶然と幸運はあったとしても、そうならない可能性もある中を、単身で突っ込む行為はやはり凄い。凄まじい。

 勇気、といったものとは違うし、無謀、といったものではまったくない。相手がやらないことを考え出す知力と、自分たちがやらなくてはいけないことをする行動力。常識や前例といったものの枠組みにとらわれず、憤怒や嫌悪といった感情にも引きずられず、ただしときおり人情だけは感じさせつつ、それでもしっかりと意味と無意味をより分けてみせる感覚が、人並み外れて優れていたからこそ、ジャスティ・ウエキ・タイラーは、出世の階段を上り、ラアルゴンの大艦隊でも、暴走した人工知能が相手でも、勝利して、誰にも自分を認めさせた。

 なんだ、やっぱり特別な存在だったんだ、自分とはまるで違うんだと、思わせてしまいそうな活躍ぶり、出世ぶりだけれど、読んでいてそうは感じさせないところが、吉岡平が造り出したタイラーの飄々としたキャラクター。その原型となったクレイジー・キャッツの植木等が、映画で冒頭の問答にあるような歌を歌って、そんなはずがあるかと思わせなかった陽気さを、そのまま写したようなタイラーのキャラクターに接しているうちに、黙ってその後ろについていくだけで、一緒にハッピーでラッキーな人生をおくれそうな気がしてくる。

 ただし、これだけは持っている必要がある。嘘はつかないし、陰口も叩かないで、誰にだって敵にだって等しく平に接する人間性。それがあったから競、争意識の激しいエリートたちには嫌われても、最下層で頑張る兵士たちから感心され、その下で働きたいと優秀な人材が集まって、偶然を必然へと変えてしまえるだけの力を持たせた。ラアルゴンの指揮官たちにも戦いぶりを認めさせ、12歳だけれど聡明な皇帝にも気に入られ、彼女を攻撃から救ったことで一目おかれ、後に見方の艦船に積まれた人工知能の暴走という惨事に、協力して立ち向かう縁へとつながった。

 そして、決して逃げないことも。なるほど敵艦隊に追われ、一目散に背を向けワープをして、そこにちょうど居合わせた見方の艦船が、身代わりに撃沈されてしまうような真似はしたけれど、それも自分たちが生き延びて、やがて何かを成し遂げるために必要な行為。後ろを向いて閉じこもるなんてことはしない。向いているのはひたすらに前。その方角は場合によって変わっても、遠くに見据えたそこへとたどり着くため、一切を惜しまないで動き続ける。

 バブルも絶頂を極めて、何もかもが浮かれ騒いでいた1989年に最初の1冊が世に出てから20数年。経済は崩壊して人の心は荒み、そこに大震災も重なって、誰もが後ろを向きたくなっている。少なくとも上を向きようがない気持ちになっている。そんな時代だからこそ、「無責任艦長タイラー」が復刊された意味はある。アニメーション版に沿ったイケメン版ではなく、原型そのままにどこにでもいそうな男のキャラクターで、世に問い直された意義がある。

 そこに自分を重ねよう。金がなくたって心配しない。青い空を見上げ、白い雲に思いを馳せよう。そして唱えるのだ。「そのうちなんとかなるだろう」。タイラーはなんとかなった。自分だってなれるはず。そう信じて進みだそう。


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